毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「写真『焼き場に立つ少年』を中国に送った」2015年4月26日(日)No.1345

2015-04-26 21:23:09 | 歴史

江西財経大学日本語学科4年施芳芳さんの卒論テーマ、

日本人の『もったいない』精神」

と関連して先日このブログでもアンケートをお願いした。

彼女は今、一生懸命に論文をまとめているところだが、その中に

〈戦争、災害のため失われた、命や環境の「もったいなさ」〉という項があり、

広島、長崎の原爆投下による子どもたちの死を具体例に挙げていた。

私は、その文に資料として添えたらどうかと思い、

あの有名な一枚の写真を施芳芳さんに送った。

「焼き場に立つ少年」である。

 

 背負われた弟は既に死んでいる。

弟を焼く順番を待ちながら、悲しみに耐える少年。


 1945年当時、この写真を撮影したアメリカ海兵隊所属ジョー・オダネル軍曹

 

 自分がこの写真を初めて見たときから、もう15年は経つだろう。

今、改めてこの写真を見ると、最初に見た時の衝撃が何倍にも増幅して心を揺さぶる。

見ている自分の鈍感さを責める別の自分がいて、

(お前なんかに分からない、この子どものギリギリの痛みは)と言う。

この写真を撮影したアメリカ軍海兵隊所属ジョー・オダネル軍曹は、

軍が許可していない日本の人々の写真を何枚も撮り、

それを60歳過ぎるまで誰にも見せず秘密裡に保管していた。

あまりにも重いものが詰まっているこの写真を前に思いがつかえて、

今日は書こうとしていた言葉が出てこない。

この時の状況をオダネル氏自身は次のように説明している。

――――――――――――――――――――――――― 

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。


夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

―――――――――――――――――――――――――――

写真・インタビュー文は「ウィンザー通信」さんからお借りしました。

「ウィンザー通信」http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9?fm=entry_awp

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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名もなき人々の… ()
2015-04-27 07:46:39
反戦の思いを集めたら、どれだけ大きな声になるのか!と思いますねぇ(-.-;)
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息詰まる局面がジリジリと (ブルーはーと)
2015-04-28 10:42:03
空様
アンネ=フランクの心境にジリジリと近づいてきました。
今ここで踏ん張らないと!と思うのですが、大きなうねりになるには、日本社会には生気が欠け、人々の表情は明るくないですね。でも、市議会議員選挙で、大奮闘して当選した無所属市民派もいます。絶望したらそこで終わってしまいますよね。自分が自分でいられるための一線を守りたい。その一心です。
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