日本の経済的に恵まれない家庭の子どもに対する
国家の学費援助の少なさは、
OECD諸国の中で最悪であるとデータが示しています。
OECDに入っていない中華人民共和国はどのような奨学金制度なのか、
実際に奨学金給付を受けている3年の韋彤さんに聞いてみたところ、
かなり詳しい返事をもらったので、まとめてみました。
・中学校:義務教育だから奨学金はない(のではないか)。
・高校:
①入学試験の成績により国家から給付型奨学金(と言うか奨学金は全部給付型)が支給される。
②学校によるが、その学校出身の大金持ちが設立した奨学金制度がある(もちろん給付型)。
韋彤さんの学校ではトップクラス(クラスは成績順で分けられる)の生徒が約20人ほど、
年に2400元ずつもらっていた。ただし、悪い行いをしたら、支給はただちに中止する。
③他にも地元の会社が設立した、一本(一流)の大学に進学した子に給付する奨学金制度もある。
④他の省の大学に進学する場合、低収入家庭の証明があれば国家か省政府から
「旅費」、「短期生活費」のいずれか、または両方が支給される。
⑤もし北京大学や精華大学に進学すれば、
省政府から1万元(約17万円)~2万元(34万円)の金額が支給される。
⑥さらに、国家からの低収入家庭向け「助学金」(給付金)という制度もある。
高校では1年にA)1000元(約17000円)か、B)500元(8500円)支給。
韋彤さんの出身県は貧乏県なので、高校のトップクラスではほぼ全員がもらえた。
申し込み者は作文で窮状を訴え、審査は担任教師とクラス委員が行い、
A)1000元、B)500元、C)もらえない、のいずれかを決める。
大学(菏澤学院):
①国家による奨学金と助学金(もちろん無償)。
韋彤さんはクラスでトップの成績なので一年で5000元(約8万5千円)の奨学金給付を受けている。
作文を書いて助学金を申し込み、給付されている学生もいる。
大学でも助学金は審査員(担任とクラスメート1名)が決める。
②助学ローン(国家の施策で銀行が低利子もしくは無利子でお金を貸し出す制度)もある。
ちなみに菏澤学院日本語学部(いつの間にか学部になっていた!)の
学費は、一年間5000元(約8万5千円)だそうです。
つまり、韋彤さんは奨学金だけで学費が賄えます。
専科(三本)の体育学科の学費は10000元(約17万円)です。
前任校(一本)は3000元ぐらいだったはず。
一本、二本、三本とランクが下がるにつれて学費は上がるという構造ですかね。
菏澤市の初任給は2000~2500元らしいです。
つまり、初任給の2か月分が菏澤学院日本語学科の1年間の学費です。
奨学金、助学金や助学ローンなどを組み合わせていけば、
そんなにたいへんじゃない感じですね。
日本と比較してどうですかね。
かなり、保護者の負担が軽いのではないでしょうか。
なぜUKさんがそんなに世界を見る目が狭いのか、なんとなく分かりました。若い頃の体験が強烈だと、その体験を基に全てをなで切る傾向が生まれがちです。だからこそ、さらにその後多く側面を体験し続け、多くの立場の人の意見を聞き、幅と深みを持ってものごとを考えられるようにしないと、それで人生こじんまりと出来上がりとなります。UKさんはまだきっとお若いのでしょう。心を開放して違う立場の多くの人たちと交流してください。
お金や物の流れ。決済や物流のITシステム。天候や各種イベントが売上に与える影響などに接することで、その上流にある金融政策や税制、民法や商法などをしっかり学んでみたいという意欲が高まり、受験へのモチベーションを維持できましたし。
また、日本の学歴社会は多分世界で一番貧乏な人でもお金持ちになる機会を提供する非常によいシステムだと思っています。なんせ受験一発勝負ですので、私のように底辺校でかつ内申点最低の人間でも本番で合格最低点をとればトップスクールに行けてしまう。保護者の所得と言ったディスアドバンテージを比較的容易に覆せるんですよね。
高校時代から学費を捻出していたんですね。私も日本育英会の奨学金をもらっていましたが、そんなものでは賄えず、貧乏ながら親たちが骨と皮にやせ細りながら私たち子どもを大学に行かせてくれました。
企業のスカラーシップも非常に限られた学生を対象にしているので、やはり国家なり、自治体なりの学費無償化政策がないと、日本国の貧乏な家の子は大学に行けなくなってしまいます。中国のみならず、多くの国々で実施できていることが、日本だけできないはずはありません。またアベ政権批判になりますが、もはや政治とは言えない引き回しが国民をここまで苦しめているのに、まだこの政権を居座らせていることは、子どもたちに対する罪です。
野党が弱いからと言う前に、この政権より酷い政党があるか(希望・維新以外で)?と逆に問いたいですね。国民も政治家に丸投げして、「今やって、すぐやって」という無責任な態度をあらためなければなりません。
あと大学主催の奨学金もありますが、企業が主催する論文コンクールの懸賞金が実質的な給付型奨学金になってたりします。
ただ、それは大学行ってからの話でその前の受験の場では所得がディスアドバンテージになりますね。私もバイトして受験費用と高校の学費をかせぎなが受験勉強をしたのですが、極めて大変でしたし、大学入学後も周りとの学力差に悩まされました。
小説とは言え、『大地の子』の養父さんには本当に泣くほど(と言うか号泣していました)感動しました。
また、私は5年間、大阪の近畿中国帰国者支援交流センターで日本語を教えていたのですが、帰国した中国残留孤児の方にも、養父母に慈しみ育ててもらったというお話は何人もからお聞きしました。
やはり、中国人にとって「子どもは宝」だからですね。こちらで外を歩いていても、子どもを叱っている声はまず聞きません。子どもを守り育てる社会的風土がしっかりあるのですね(もちろん、例外はありますが)。
日本の若者が聞けば必ず羨ましくなるのは、やはり国家による給付型奨学金制度ですね。もらいっぱなしで返さなくてもいいんですから。日本語学科では、クラスに一人、学費をそっくり奨学金で賄っている学生がいます(韋彤さん)。もっと人数の多い学部ではクラスに複数名います。これがあるので、中国では貧乏な家の子も「勉強さえすれば大学に行ける」という確信があり、余計なことを心配しなくても進学に向けて集中的に努力できるんですよね。
韋彤さんの家は貧乏ではないですけど。
しかし、江戸末期に日本を訪れたヨーロッパの人が、江戸庶民が子どもを決して叩いたりせず、いつも「子どもと話をするのが楽しくて嬉しくて」といった表情をして慈しみ育てているのを見て、感嘆したという記事があります。日本が子どもをスパルタ式に育てるようになったのは明治の富国強兵からだとも聞きました。軍国教育ですね。
今は、多くの親が社会性に乏しくなっているので、自分の子ども中心主義が横行しているのでしょうね。モンスターペアレントみたいに。
しかし反面、親が子どもを虐待する事件もしょっちゅう報道されるので、何で、自分の子どもの一人や二人に忍耐できないのか不思議です。まず、親が子ども時代、愛情に裏打ちされたしつけを受けていないのでしょうかね・・・・・・。
戦後、敵国日本人の子どもを、育ててくれたのも根付いていた文化のお陰だと思っています。逆の立場だったら、子どもは皆殺しにあっていたことでしょう。
日本も少子化で子どもを大事にするようになりましたが、それは親族間の話で国は親の責任にしているのでしょうね。
親が大事にしすぎている感もありますが。