毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「湖南省の張家界、長沙方面旅行~15日まで」2014年6月10日(火)No.920

2014-06-10 10:25:07 | 中国事情

5月に旅行好きの三年生、余立君さんから湖南省に行こうと誘われていた。

しかし、彼女は7月6日に日本語能力試験(N1)を受ける身、

日本語教師としては遠慮せざるを得ない。イヤイヤ、と辞退したのだが、

昨日の朝、突然に

「先生、明日の夕方に出発でいいですか。」

と、電話があった。すでに計画はかなり進んでいる様子。

ここはいつもこれだ。寸前の申し出の多いこと、多いこと。

カレンダーにメモする習慣が希薄だからだろう、とは最近気がついた。

 

というわけで、今夕10日から15日晩まで

5泊6日の湖南省ツアーに行ってくる。

私は旅行好きではないが、学生たちとの旅は別だ。

道中が楽しいのだ。

目的地の張家界は長沙から内陸に入った山奥で、

「土家族」という少数民族の居住地だとのこと。

平地で住みやすい所は漢民族、自然条件が厳しい内陸は少数民族という、

居住配分になっているんだな。

 

明治時代、「北海道開拓」という名の開発の下で、

アイヌ民族が痩せた土地に居住区を制限された歴史を知る和人の私としては、

「少数民族は手厚い保護を受けている」

という漢民族の言い分を鵜呑みにはできない。

とは言っても、今回は、

そんな生活するには過酷な自然を拝みに行くので、

ほんとうに(ちょっとだけお邪魔します)の気持ちだ。

自分が子どものころ、知床の地で暮らしていたときに、

東京方面から観光に来た若者が、

「君たちはこんなすばらしい自然の中で暮らせて幸せだよ」

とニコニコして言うその顔に愚鈍な思考停止を見ずにはおれなかった。

今、私はどんな顔をして行くのか、自分の顔を鏡で見たいものである。

 

というわけで、15日晩までこのブログは一休みです。

旅行の報告をお楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「農大南昌商学院副院長宅でお好み焼き」2014年6月9日(月)No.919

2014-06-09 20:42:59 | 中国事情

袁先生は江西農業大学南昌商学院の副院長(つまり副学長)だが、

全く偉そうでない(これは中国においては普通ではない)。

偉そうでないばかりでなく、私のような一介の(しかも他大学の)日本語教師を

「日本に帰る前にいらっしゃい」とお招きくださった。


今日、江財大の陶先生の車で、科技師範大の八木先生とともに

農大構内のお宅に伺った。

副学長だというのに日本語教師の森本先生と同じビルの宿舎に住んでいる。

(本宅は上海にあるという)。

と言うことは、日本人教師の森本先生は、副学長並みの待遇?

イヤイヤ、そうではありません。


部屋の様子は、

入り口を開けるとすぐにダイニング、その奥に居間と寝室があり、

いずれの部屋も私の住む江財大外国人教師の部屋に比べて、

非常にこじんまりとしている。

「財経大学は特別だ」と、

どこの大学の人からもこの言葉が返ってくるが、納得。

確かに我が宿舎は他の大学に比べて広い。

しかし!その分、掃除がメチャ大変なのだ。

まあ、私の部屋のことなどどうでもいい。

 

袁先生は、日本の東京大学大学院を卒業されたそうだが、

日本での生活中、たこ焼き屋、お好み焼き屋などでアルバイトを続けたという。

見事な手さばきでお好み焼きを作ってくださった。

 

大阪風というより広島風に近いかな。

いや、お好み焼きに留まらずご馳走の数々がまことに手際よく、

決して広くない台所と決して大きくない立方体の冷蔵庫を駆使して、

チャッチャ、チャッチャとテーブルに並べられるのである。

鉄板の上等焼肉。

 

↓もち米と緑豆に金木犀の乾燥花+ミントの冷たいスープ。


↓酒かすに漬けた豆腐と鶏肉をどうにかしたもの(詳細は忘れました)。


↓「ピンクの恋人」だったかな?おいしいカクテル。


↓グラスとホルダーがかっこいい。


↓陶先生用のキャラメル・マッキャート。

 

バナナと餡子のデザート。

 

他にもクッキー、コーヒー等々、

全て先生の手料理である。

(凄い、凄すぎる。クルクル←舌を巻く音)

私なら、あんな狭い台所であんな手品のような料理はようせんわ。

いや、実は広くても・・・

もてなす時はとことんやるという袁先生のスタイルは、

中国の多くのおうちのスタイルなのだろう。

過去の御呼ばれを振り返り、そう確信した。

それでも、男性でここまで拘りのおもてなしを

してくださった方は、中国では初めてである。

 

食後、こじんまりした居間で二胡に似た京胡、板胡、

そしてチェロの演奏を拝聴した(もちろん袁先生御自身の演奏)。

学校で習ったのではなく、

文化大革命当時、15歳の袁先生は

革命宣伝の音楽隊の人から教わったという。

現在、袁先生は64歳。

ということは1949年か1950年生まれだ。

う~む。

うっかりして、日本に留学するきっかけとか聞かなかったのが

悔やまれる。日本に帰るまでに聞くチャンスはないかなあ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「4年生との別れ・・・卒業パーティー」2014年6月8日(日)No.918

2014-06-08 17:17:08 | 中国事情

昨日7日(土)は、

八一公園日本語コーナーの後、

江西省日本人会が帰国者への送別昼食会を開いてくださった。

「やはり日本人同士だと気心が知れてホッとします」

という方もいらっしゃるが、私はそういう感想はいまだかつて持ったことがない。

インターナショナルになり過ぎたのか(笑)、

はたまた、中国が肌に合い過ぎているのか。

日本に戻ると数日でクサクサしてくる、あの感覚を思い出すとちょっと嫌だな。

 

さて、夜の部は4年生の卒業記念パーティーだ。

私はこの日が来るのをひそかに恐れていた。

あの4年生との別れの現場に居合わせたくないのだ。

(出会ったときに挨拶するように、別れる時にも、きちんと挨拶したほうがいいのだろうか。できることなら、すうっと消えてなくなりたいのだが)。

 

そうこうするうちに、陳小雲さんがウォルマートの前まで迎えに来て、

青山湖近くの会場に向かった。

例年になく、卒業パーティーはいくつものアトラクションが用意されていた。

先生方への表彰状、先生方の日頃のしぐさや口癖をとらえた寸劇、

面白い記念撮影の写真上映・・・・・・。

「ええ?林蘭さん、ま~た宿題忘れたって?!あなたは忘れ物の女王様です」

潘梅萍さん扮する私の物真似を見て、

(日本の学校で言っていたのとほぼ同じことを言ってるんだなあ)と我ながら感心した。

 

司会進行は一年生入学当時からのゴールデンコンビ、

周双双さん&陳小雲さんだ。

 

このクラスを担任し、基礎日本語から高級日本語まで徹底した暗誦指導で

クラス全体の実力を引き上げた朱小紅先生。

3年の2学期、閻さんがバスケットボールの試合で大怪我をした際の、

朱先生の大奮闘は忘れられない。

財大日本語学科の老師たちは熱い心の人ばかりだ。


劉慧さんが、クラスの皆から日本人教師の私への手紙を読み上げた。

ここに至り、できれば別れという事態を茶化したい私の悪デレの心はどこかに飛んでいった。

確かに、私も一生懸命彼女ら・彼らのために努力した。

初めは、それが、ちっぽけながら中国人と日本人の関係改善のために

一庶民の自分にできることだと思っていた。

そのうち、中国だの日本だの関係なく、

私が人間の大人として教えたいことを、人間の子どもに伝えるのだ、

という気持ちが強くなってきた。

学生たちも同じように、私を特別な「日本人の」先生から、

ただの先生と思ってくれるようになったのではないか。

国境なんか、ちっちゃいことだ。

 昨夜の会は、そんなことを感じさせてくれた。



劉慧さんが2010年度日語班代表で書いてくれた手紙。

ちょっとひけらかしになるかも知れないが、今日だけは我慢して付き合ってほしい。

――――――――――――――――☆
先生、
時間のたつのは本当に早いものですね。
もう四年間も経ってしまいました。一年生から四年生までずっとご指導いただき、心から感謝いたしております。
一年生のとき、私たちは日本語について何もわかっていませんでした。
初めて日本人先生の授業に出たときの不安や興奮はずっと覚えています。
先生の初めての授業、英語でしゃべったりして、先生の豊かな表情や面白い身振り手振りで、みんな、笑いながら過ごしてしまいました。
先生の優しさや私たちへの思いやりをその時から十分わかって、おそらくその時から、みんなはもう先生のことが大好きになりました。
その時、私たちはよく授業中にゲームをやったりして、勝った人やチームは日本のお菓子を配られることで、みんな、いつもわいわいと騒いでしまいました。

この四年間、先生の授業はいつも面白くて、私たちもとても楽しみながら知識を学びました。知識だけでなく、一人の人間として必要な礼儀やマナーについても先生から教えていただきました。
先生は真剣に私たちのノートを読んで、小さい文章記号まで直してくださり、そして、可愛い「猫」のついた「大変よくできました」「よくできました」「がんばったね」「がんばってね」という評価、まるで先生の笑顔が残されたようなノート、みんなも、きっと忘れられないと思います。
日本の歌、面白いコント、詩、ゲームなど、私たちもできるようになりました。
また、先生がいらっしゃって以来、日本文化、特に、日本の茶道、着物についてのイベントが何度も開かれ、日本語学科のみんなが日本文化について触れるチャンスが多くなり、本当にありがたく思っております。

授業時間以外のときも、私たちと先生はよく一緒に過ごしてきましたね。
一年生のときはまだ日本語が十分わかりませんでしたが、先生や先輩たちと一緒に第二食堂の一階(今は潰れましたけど)で、餃子を作ったことがあります。
先生はまだ覚えていますか。みんなは覚えていますよ。とても楽しかったのです。
でも、あの時先生は少し不満なところがありました。
それは、みんなが後片付けをあまりしなかったことでした。
あれから、みんな 、どんどん後片付けの必要さが分かってきました。
週末にも、よく先生の宿舎にお招きいただき、先生が作ってくださったカレーライスやお寿司は大変おいしかったです。それは先生だけの手作りの味なんです。
それに、みんな、先生の宿舎で気楽にしゃべったり、大笑いしたりして、本当に貴重な思い出になりました。

ああ、私たちと先生のことを、一杯書こうとしてもとても書けません。
先生は元々、一年契約ですね。
でも、私たちのために、私たち日本語学科のために、四年間も南昌に滞在していただきました。
私たちはもうすぐ卒業して、先生も日本にお帰りになって、これから会うチャンスも少なくなりますが、今、みんなの仕事はほとんど日本語関係なので、また日本でお会いすることを楽しみにしています。
 
この四年間、先生は中日友好のために中国にいらっしゃって、きっと大変苦労されたでしょう。
そして、領土問題で、中日関係が悪化する一方の状態で、先生もつらかったでしょう。
授業の中で、先輩の作文を涙ながらに読んでいる先生の顔、ご両親のことを教えてくださったとき、手で涙を拭いている先生の姿、中日関係のことで、先生は何度も涙を流されたことを、私たちは永遠に忘れません。
卒業しても、先生の教えはずっと心に刻んでいこうと思っております。(以下略)
 
―――――――――――――――――――☆




 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「巨大マンゴーを半分食べた」 2014年6月6日(金)No. 917

2014-06-06 22:31:46 | 中国事情

先週、4年の周双双さんからマンゴーをもらった。

卒業旅行で出かけたアモイのお土産だという。

日曜日、遊びに来た4年生の皆で食べようと切ったら、実の部分が白かった。

そのまま今日まで放置していたら、切り口がこれこのように色づいてきた。

日曜日には「だまされた!もう二度とあの店では買わない」

と怒っていた周双双さん。

あの店とは、アモイ大学のすぐ前にある果物屋で、

若いお兄さんが「数日で食べごろだ」と勧めてくれたという。

アモイとはそんなに何度も行けるところとは思えないので、

「二度とあの店で買わない」と決意する必要もないと思うが、

さらに5日間たった今日、このように黄ばんだ、じゃない、色づいてきたのは

大変嬉しいことであり、周さんに連絡する意味でも、

写真を掲載する次第である。

 

皮は削ぎ切り。やはり完全には黄色になっていない。

 

刃渡り18cmの包丁とほぼ長さが同じ。

 

黄色い部分は甘いマンゴーの味。

白っぽいところは瓜の味。

残り半分はさらに放置して、完熟を待つことにした。

来週、後半部分が食べられるのじゃなかろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今日の江西財経大学」 2014年6月5日(木)No.916

2014-06-05 21:42:22 | 中国事情

数日前からキャンパスでは卒業記念の写真撮影をする姿が見られるようになった。

で、今日は、日本語学科の卒業生の撮影日だ。

       じゃーん!

この間まで1年生だったのに・・・・・・。

 

とまあ、4年生が浮かれている間も、

在校生たちは期末試験の真っ最中なのであった(この写真は3年生)。

 

何年も前から、各教室の前と後ろにエアコンがあるのが財大の自慢の一つ。

 

パソコンも各教室に完備されている(時々調子悪いけど)。

中国人の老師たちは常にパワーポイントで授業するように上から言われているとのこと。

今さらながら画一的だ。

 

黒板上にはスクリーンがすぐに降りるようになっている。

 

皆がテストに取り組んでいる最中だというのに、

窓から見えるキャンパス風景などを呑気に写真に収めるブルーはーと。

 

テストが終わって第2教学楼(第2ビル)から出てくると、

東湖傍にも妖精のような卒業生たちが。

 

図書館前では車に一杯の桃を積んで、女性が桃を売っていた。

どういうわけかここでは、写真を撮ってもいいか聞くと、とても照れくさがる女性が多い。

この女性も恥ずかしがり屋さんだった。

 

ふう、今日も一日終わった。

麦蘆キャンパスからスクールバスで蛟橋園へ。

「アグリー(ugly)」と外国人教師たちに言われているこの屋根は、

遠くから見てもすぐにわかるので、この4年間、方向音痴の私にはとても助かっていた。

 

今年も合歓の木が開花した。

蛟橋キャンパス南門を入ると何本もの合歓の木が出迎えてくれる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人民新聞・山田記者の仕事」 2014年6月4日(水)No.915

2014-06-04 20:11:35 | 中日(日中)関係

大阪の人民新聞社から山田洋一編集長が

4月初旬、江西財経大学にやって来て、1週間あまり取材活動を展開したことは

以前のブログ文で述べた(No.881、882など)。

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/6b9eb6e4a32632ae117b13aa35c79bf5

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/ede3f880aac1373ee55e64db243cd4ee

市内に行くバスにもうちょっとで乗れなかったり、

学生たちに得意の料理を振舞ったり、

大学の授業に特別講師として参加し、

因幡晃の「わかってください」を1番から3番まで熱唱したり、と

いろいろの思い出を残して去っていった山田さんだが、

その後、人民新聞にシリーズで江西財経大学日本語学科や、

市内八一公園の日本語コーナーでの取材を記事にしてくれている

こんな地方都市の大学のことを取り上げてもらって、

学生たちや先生方は大喜びである。

しかし、こんな目立たない省の大学だからこそ、

生(なま)の、そして普通の中国の学生や教師の姿が見えるということもある。

山田さんもそんな風に思って取材してくれたのではなかろうか。

シリーズの記事をこのブログで紹介させていただく。

―――――――引用ここから

人民新聞People's News 1512号(2014年4月15日)

-中国現地取材 江西財経大学生が日中関係について討論-

対立を深める日中両政府。不測の衝突すら危惧される事態について中国の学生が「平和への提言」をテーマに討論会を行うというので、現地取材に飛んだ。

今回取材の最大の収穫は、険悪化する日中関係という学生にとっては課題とも言えるテーマに真正面から向き合い、自分にできることを探そうとする真摯な姿に接することができたことだ。

中国で日本語を学ぶことは、フランス語や英語とは違う特別な意味を帯びる。とりわけ両国関係が緊張すると、過去の侵略の歴史がクローズアップされて、「なぜ、何のために学ぶのか?」を自ら問うことになるからだ。

実際反日デモが起こった2012年には「売国奴」と非難された学生も多い。日本語学科の学生は親や友人から「よりによって、なぜ日本語を学ぶのか?」と問われ、各々答えを探すという経験を語っている。

教師たちにとっても二国関係悪化は悩みの種だ。ここ数年、日本語を学ぶ学生が減り続け、転部希望者は増え続けているという。

江西財経大学は、省内各地方から成績優秀な学生が集まるエリート校だ。全寮制で、貧しい農村部出身の学生も多い。日本語学科の規模は南昌市の日本語学科のある大学で最も少人数だが、省内スピーチコンテストや全国規模の作文コンクール(日本僑報社主催)でも上位入賞を果たしている。外国語学院日本語学科主任の厳新平さんに企画の意図などを聞いた。(文責・山田)

編集部:テーマを「平和への提言」とした理由は?

厳:今、中日関係は平和からどんどん遠ざかっています。政府間の対立に加えて、民間交流も減っています。江西財経大学でも、日本語を学ぶ学生が減少し続け、他大学も同じ傾向にあります。今後、中日関係がどうなっていくのか。日本語を学ぶ学生だけでなく、日本語にかかわる教職員にとっても、未来を大きく左右する課題だけに真剣に考えなければならないと思いました。

テーマ設定に際し、日本語学科担当教官たちが相談会をもちました。その場に日本人の先生が日本の新聞を持参し、回覧しました。そこには「日中対立は戦争に向かっているのか?」と心配する日本人の声が掲載されていたのです。私たちも絶対戦争はしたくないので、考えるきっかけを作るためにテーマを「平和への提言」と決めました。      

現在のようなギクシャクした関係を続けて良いことは一つもありません。中日両国が歩まなければならない道は、唯一つ。それは、交流の道であり、平和の道です。

もう一つの目的は、中国で生活する私たちの「平和を望む声」を日本の人々に発信することです。今回、人民新聞社に取材に来ていただきましたが、学生たちの真摯な声を日本の皆さんに伝えてほしいと思います。

スピーチコンテストで学生たちは自らの経験を基礎に、自分なりの見方や提言を示しました。今後、スピーチで主張したことを行動に移してほしいと思います。今回の大会は、中日平和有効に撮って大きな成果がありました。

編集:厳先生が日本語を学ぶきっかけは?

厳:私が南昌大学日本語学科に入学した1995年は、日系企業が中国にどんどん進出し始めた時期です。国内の大学も先を争うように日本語学科を新設し、日本語を学ぶ学生が増えており、日本語がブームとなった時期です。                     

夏休みに高校の先輩が自宅に遊びに来て、「日本語を習得すれば就職に有利になる。日系企業に就職できれば、2~3倍の給料も夢ではない」と、教えてくれました。私は貧しい農家出身なので、両親に経済的負担はかけられませんでしたし、(安定した職を得て、親に楽をさせたい)という思いもあって、日本語を専攻しました。

日本語習得は私の人生を大きく変えました。日本に行くチャンスに恵まれたからです。2004年4月から1年間、岡山県庁国際課で「国際交流員」として働くことになりました。江西省政府の訪日団が来日した際、通訳として働きました。当時は農業・教育分野の交流が活発で、雑伎団日本公演の開催にも関わりました。

中日両国民は、まだまだ理解不足で、もめ事が良く起こります。ふれあいがないために相手の考えがわからず、無用な対立が起きています。人は知り合えば友達になれます。民間交流が進めば、対立やもめ事も減るはずです。

編集:日本語を習得して日本のイメージは変わりましたか?

厳:日本語を学ぶ前、日本のイメージと言えば、教科書に書かれている侵略戦争の歴史くらいで、現実の日本についてはほとんど知りませんでした。でも、日本に行ってみると、町は清潔で人は礼儀正しいことに驚きました。印象的だったのは、横断歩道を人が渡ろうとしている時、運転手が車を止めて、歩行者に横断するよう促していたことです。譲り合いの精神を感じました。                               

また私は自転車通勤をしていたのですが、人とぶつかったことがあります。私はすぐ謝ったのですが、相手も謝るので驚きました。日本人はトラブルを回避する謙譲の精神があります。皆がルールを守る、安心できる社会だと思いました。

編集:尖閣諸島国有化と首相の靖国参拝について。

厳:私は政治に関心がありませんが、中日間に領土問題はあると思います。日本政府は「領土問題は存在しない」と主張していますが、実際に両国間が争っているのですから、日本政府の主張には納得できません。旧日本軍人を奉る靖国神社を参拝するのは、罪を犯した人を尊敬することになるので、おかしいと思います。

編集:中国社会の課題とは?

厳:まず、大気汚染です。早く解決しないと、深刻になる一方です。特に北部はひどいので、政府は段階的でもいいから積極的に取り組んでほしいですね。

もう一つは格差問題です。農村と都市の所得格差を解決しなければなりません。豊かになった中国人も増えているので、彼らに社会貢献を求めるべきです。税金の累進性を高めて、お金持ちから税金をもっと徴収すべきです。

編集:未来の中国について。

厳:きれいな空気と安心・安全な食料が必要です。環境問題は、焦眉の課題です。グローバル化の時代は、1国だけが繁栄を求める時代ではありません。共存共栄こそが重要です。トウ小平氏は「安定こそが一番大事」と言いました。国際交流に関わる者としても、争いのない平和的国際環境を願っています。

――――――引用ここまで

↑4/9スピーチコンテストで挨拶する厳先生


 ↑5/16日本文化の集いで日本人形とカレンダーを桶蝶レディースから

プレゼントされ、「はい、はい、シャッターチャンスですよ」のレディースの声に

応えて、ずっとポーズを取り続ける真面目な厳先生。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ついに陸の孤島状態から脱出」2014年6月3日(火)No.914

2014-06-03 21:22:06 | 中国事情

5月30日(金)の夜8時頃だったか、

突然インターネットが断絶状態になった。

以前も時々あったことなので、翌日には何とかなるだろうと希望を持って寝た。

翌朝8時過ぎても、9時過ぎても復旧の見通しは立たない。

誰かに直しに来て貰わなければならないので、

八一公園の日本語コーナー行きはやめた。

で、結局外国人教師の全宿舎がネット接続できない状態であることを知り、

「ひとつ直せば、また次々と問題が起きて、今はメイバンファ(どうしようもない)」

とMs苗に言われて部屋に引き下がった。

まさか、端午節の3日間ずっと待たされるとは誰が予想できただろうか・・・。

 

それでも、待っている間は別のことが捗ると言うか、

全くインターネットと関係ない読書などできることは、ちょっと嬉しくもあった。

(それほどまでに、日頃インターネットに振り回されていたのだろうか、

このワタシわ)と、今後の人生計画建て直しも考えたりする余裕もできた。

 

5月31日、6月1日、2日、の3日間は中国の端午節休暇だ。

ほかの外国人教師たちも、所在無げに庭をブラブラ歩いたり、

ベンチで日向ぼっこしたり、最後の日には西欧圏おなじみのバーベキューなどして、

それぞれ勝手に過ごしていた様子。

わが部屋には4年生(1日)、3年生(2日)が来訪し、

高湿度、高温の中、

扇風機や調子の出ないエアコンで涼を取りながら、

それでも楽しい休日を過ごした。

4年生とはおそらくこれが宿舎での最後の昼食会だろう。

全員には来て貰えなかったが、代表団?とのひと時を

写真にてチラリとご紹介する次第である。

↑班長の周双双さん、助っ人の陳小雲さんが卒業写真の衣装屋さんに行っている間に、

待ちきれず乾杯。右端の夏斐さんは化粧して写真写りがバッチリ。

 

↑カレー以外はみんなで作りました。ワンパターンと言われても

仕方がない、海苔巻き、とんかつ、サラダ。

 

↑こ、これは!?ひょっとしてピータン(皮蛋)?

誰がここまで破壊的に切ったのか?

それは、何を隠そう下の写真の人(雷国華さん)です。

 

↑商務日語の会話に、「これは斬新なデザインですね」というのがあるが、

このお寿司のデコレーションにも当てはまると思う。

 

↑ようやく2人が帰ってきて、本物のかんぱ~い!

 

↑やはり、一年のときに比べたら見目麗しいお姉さんになっているなあ。

しゃべったら同じだけどね~。

 

↑やはり化粧の力はあるものだ。て言うか、ほかの人、わざとそんな顔してる?

 

↑みんなの友だち、陳小雲さん。バスケットボールの名手なのだが、

実習の間、そんなことしている暇はほとんどなかったとのこと。

 

パワフルな4年女子に囲まれてつい写ってしまったブルーはーと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする