毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『議員数に応じて質問』で野党の力はゼロになる」No.2107

2017-11-13 22:38:50 | 日本事情

「与党5・野党5」・・・これはアベ与党の独裁体制の仕上げで、

これが実現してしまえば、国会審議が戦前の大政翼賛会とおんなじになります。

ぱっと見、まるで平等かのように映るこの数字ですが、

議会で与党に圧倒的な発言権を与え、

野党は発言権を剥奪されて、全く力のない存在にされてしまう内容のものです。

そもそも、自民党はさきの野党時代、

野党の質問時間を3倍に増やせと要求した当の政党です

厚顔無恥とはまさにこのことです。

野党はハンガーストライキをしてでも、

これを通してはなりません。

踏ん張れ、野党!!!

 

 

 

twitterより--盛田隆二『焼け跡のハイヒール』祥伝社 @product1954

【JNN世論調査】国会の質問時間の配分。

従来通りの「与党2・野党8」が妥当と考える人は46%、

自民党が主張する「与党5・野党5」が妥当と考える人は41% 

  ↑

 質問時間が「与党5・野党5」だと、

トータルの発言時間は「与党3・野党1」になる。

そのことを理解していない人が多いんじゃなかろうか。

 

野党が10時間質問→政府(与党側)が10時間答弁

 

さらにいえば、従来のように「野党8・与党2」でも 、

野党が8時間質問→政府(与党側)が8時間答弁

与党が2時間質問→政府(与党側)が2時間答弁                                                                 ↓         ↓             ↓                                                                          結果「野党が8時間発言、与党が12時間発言」で、与党の方が発言時間が多いということです。

 

そもそも、国会は行政府のチェック機関でもあり、

国会質疑の目的は、行政が法律に基づいて公正に執行されているか検証すること。

「加計学園の認可は公正なのか」与党議員がきっちり問い質すなら、

与党の質問にも意味はあるが、

チェック機能を放棄している現状では、与党の質問に何の意味も見出せない。

 

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「気の弱い出場者のガンバリ」No.2106

2017-11-12 23:34:03 | 中国事情

11月18日、済南で開催される中日国交正常化45年記念行事

「山東省・和歌山県共催日本語スピーチコンテスト」の菏澤学院日本語学科代表は

3年生の韋彤さんです。

2年と3年に出場資格があるのですが、菏澤学院には2年生は存在しません。

たった11人しかいない3年生から選ばなければなりません。

4週間前、突然降って湧いたこの出場話に驚き呆れながら、

それでも「いい機会だからやってみよっか」と韋さんに声をかけると、韋さんは

「ボクは、スピーチだけは嫌です。高校のとき朗読会で、ある一節が出ず、

頭が真っ白になって、二人一組で一緒に出場した友達が、

『もう一度させてください』と審査員の先生に頼んで、

もう一度トライしたんですが、今度は最初からしどろもどろで友達に迷惑をかけて、

本当に今思い出しても悪夢の体験だったんです」と。

そう言われてみれば、5月の校内スピーチコンテストでも、

韋さんはある場面から、急に口をパクパクさせて、

それから後はうわ言を言っているような有様で何とか終えたのを思い出しました。

そうは言っても、他のクラスメートの主だった人達は、

あと3週間後に来る日本語能力試験の準備でずっと勉強に追われています。

既に1級に合格してのんびりしているのは韋さんだけ。

結局、韋彤さんは泣く泣く引き受けてくれました。

それから今まで、土日を返上して私と韋さんは特訓を続けてきました。

(初めの頃は、大声を出したら何度も酸欠になってしゃがみこむなど、

それはそれはたいへんだったのでございます)。

今日は、ビルの一室から抜け出して、外でやってみました。

久しぶりに酸欠になりました……。

もう、今週の土曜日がコンテストの日なのに(笑)。 

 

 ↓下は全エネルギーを振り絞って、外国語学部のビルの前で演技する韋彤さん。

誰も気にしていません。

 

 

 

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「加計学園、韓国で留学生募集と。そのうち中国でも?」No.2105

2017-11-11 10:21:12 | 日本事情

昨日は太陽が時折出ましたが北風が強い寒い日でした。

キャンパス内の道は大理石で覆われているので、よく滑ります。

枯れ葉も縦横無尽に移動中。

 

加計学園獣医学部は、「四国で獣医師が不足している」という特区申請理由を挙げていたはずですが、

なんと韓国のあちこちの大学で、優遇措置(日本への旅費は日本持ち、毎月14万2500円の奨学金支給、

医療費は80%補助、住宅手当も支給など)を設けて留学生をかき集めているとのこと。

そうでもしなければ定員に満たないのでしょう。

何と狡猾な手段であることよ!

 

留学生はみんな卒業後、四国で獣医師になるとでも??

そのうち中国の各大学でも募集されるのではないでしょうか。

ほとんどの学生は外の世界を体験したい気持ちを持っています。

お金の問題さえ何とかなれば、今でも飛んで行きたい子はたくさんいます。

そんな若者の気持ちを利用して、数を満たそうとする加計学園の加計孝太郎、

そして、その背後にはこともあろうに日本政府のアベシンゾウ、実に汚い種類の人間です。

 

  

(日刊ゲンダイ)

 

韓国では、腹心の友に国の情報を漏らしたことで、

大統領が罷免されたのみならず、逮捕され、現在も勾留されています。

森友・加計問題は、国の情報漏らしでなく、

国の金(=公金・税金)を自分と考えの合う人間(森友)や親友(加計)にプレゼントするという

前代未聞のレベルの大犯罪です。

アベシンゾウを総理大臣に戴いているのは法治国家として大きく間違っています。

それなら、どうして警察はアベを逮捕しないのでしょう。

どうして裁判所は逮捕令状を出さないのでしょう。

それは、この問題を、国家ぐるみで隠蔽しようとしているからです。

現代日本の国の基本構造は、

三権分立(司法・行政・立法がそれぞれ独立して、他からの干渉、圧力を受けないこと)ですが、

今は、この基本構造がグチャグチャに崩れている有様です。

行政が立法・司法を引き回している状態、

すなわち、法治国家でも国民主権国家でもなく、

政府主権(政府が国家となり、権力を掌握している)状態なのです。

・・・・・・・・・

しかし、崩れたら、また、やり直し、作り直さなければなりません。

さきの敗戦では、占領軍が来て、「この形でやれ!」と新しい国造りを指図しました。

今度は、どこの国も来てくれません。

て言うか、外国に自分の国を立て直してもらうなんて

超恥ずかしいことですよね。

誰がこの目も当てられない今の日本の状況を直視し、

整理整頓し、もう一度立て直してくれるか?

・・・・・・自分でやるしかありません。

思考や判断、実行を他人に頼ってばかりいた人は

今からは自分で調査し、考え、判断し、そして行動しないと

日本はもっと酷く、みっともなく、腐れ果てた国となるでしょう。

私たちは、自分の足りなさを、深く、恥じなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「戦争が 廊下の奥に 立っていた」No.2104

2017-11-09 10:58:10 | 反戦平和

 戦争が廊下の奧に立っていた (渡辺白泉)                                 1939(昭和14)年

 

 フェイスブックの記事です。
4年前に記事を書いた五十嵐裕治さんがご自身で再掲し、
それに共感された大久保正雄さんという方がシェアしたものでした。
「あした、戦争が始まる」と同じ緊迫感を持って読みました。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんなことを言ったらアブナイからやめておこう、とか、
「見ざる言わざる聞かざる」で知らんぷりしていよう、とか、
何かを恐れて本来の主張を自己規制していたところで、
目と耳と口を塞ごうとする邪悪な力は、向こうから押し寄せてくるもの。
...

下に紹介した俳句「戦争が廊下の奧に立っていた」は、
そういう不気味な気配を鋭く五七五に定着させた、ぞっとする名句です。

戦争が廊下の奧に立っていた

1939(昭和14)年、京都大学俳句会で活躍していた、
渡辺白泉という学徒が詠んだものです。

白泉はとくに政治に関与していたわけではありません。
もちろん、左翼でもありませんでした。
戦争を嫌い、平和と文学を愛するごくふつうの大学生だったのです。

ところが、特高警察はこの俳句にまで目をつけ、
「反戦思想の持ち主だ」
と言って、渡辺白泉に治安維持法違反の嫌疑をかけ、投獄しました。

仲間も俳句を作れないほどの言論弾圧を受けました。
いまに伝わる「京大俳句事件」です。

たった一句の俳句にまで弾圧が及んだ暗黒の時代。
そのおぞましい暴力は、まだ大丈夫だろう、と思っている矢先に、
突然に襲ってきたのです。

国民の目と耳と口をふさぎ、
自分たちの思うがままに独裁的な政治をしようという勢力が
居丈高に振る舞っているいま、
すでに不気味な圧力は
あなたの背後にしのび寄っているかもしれないのです。

戦争が廊下の奧に立っていた

戦前、京大生・渡辺白泉がこの俳句を詠んだときには、
もう戦争は廊下の奧どころか、茶の間に軍靴で侵入していたのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 渡辺白泉さんの句には、下のようなものもありました。

私たち日本庶民は、知らないうちに戦争が始まったという

超愚かしく、情けない経験を持っているのに、

「日本を存続させるためには戦争も辞さない」という声が聞こえる今日この頃。

また、想像を絶する数の人々が

殺されたり、殺したりしないと目が覚めないんですかね。

私たちは、何のために、歴史を学んだのでしょうか。

 

  ・街燈は 夜霧にぬれるためにある

  ・鶏(とり)たちに カンナは見えぬかもしれぬ

  ・銃後といふ 不思議な町を丘で見た

  ・玉音を 理解せし者前に出よ

                     (渡辺白泉)

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「1945年8月の後菏澤にいた〈偽(にせ)日本軍〉とは?」No.2103

2017-11-08 23:43:05 | 中国事情

 10月の国慶節休みの時に菏澤の革命記念館に行ったことをブログで書きましたね。

 

そのとき下の写真を見て、

日偽残余勢力を全力粛清した―10月29日山東省西部主要都市菏澤」

の「日偽」の意味が

菏澤出身の日本語学科の李海鵬先生に調べていただき、ついに分かりました!

 

「偽の日本軍」とは、日本軍でも日本人でもなく、

あの汪兆銘の「南京国民党政府」の軍隊のことでした。

(汪兆銘〈汪精衛〉)  (妻とともに)

当時、日本との戦争を極力回避しようと、

妥協に次ぐ妥協策を提案した汪兆銘に対して、

日本が当初の目的であった中国侵略に歩を進めるために、

和平妥協案を踏みにじったことで面目丸つぶれになった汪兆銘は、

中国国内からは裏切り者とされて、

 死体も墓に安置されることなく散逸したといいます。

そりゃそうですよね、中国では理不尽な日本の要求に対して

全国民が怒りに燃えていたのです。

記念館で当時の写真を見ても、正規兵でない民兵までも、

決して侵略に負けないという強く、そして明るい気迫が

感じられました。

その気迫は、日本のみならず、

日本に屈しようとする汪兆銘の「偽国民党」にも

向けられたのでしょう。

 

偽(にせ)日本軍の記載について、また、汪兆銘についても、

興味深い見解を述べていらっしゃる日本語学科の同僚李海鵬先生のメール文を

掲載させていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「1945年10月から1946年1月13日まで、冀魯豫軍区部隊が全力を挙げて日偽残余勢力を粛清した」のことについて

  「日偽」というのは、

日本軍の占領下における汪兆銘の国民政府(傀儡政府)の軍隊のことです。

蒋介石の国民党政府はこの汪兆銘の国民政府を「偽国民政府」、

軍隊を「偽軍」と呼びました。

「偽軍」はよく日本軍に利用され、共産党や国民党の部隊と戦わされたため、

「日偽」とも呼ばれていました。

つまり、「日偽」は日本軍のことでも、日本軍に編入した中国人兵士のことでもなく、

「偽国民政府」の部隊のことです。

 (註:ブルーはーと)1944年汪兆銘病死。「偽国民政府」及び「偽軍」は1945年8月16日に解散し、「偽軍」はその後蒋介石の国民党軍に加わる。「偽国民政府」は日本では「南京国民政府」と呼ばれる。

 1945年8月15日以降、日本軍は中国の占領区から撤退して日本に引き揚げましたが、

残された数多くの「日偽」が解散されてなかったのです。

というのは、当時、中国で政権をとるため、共産党と国民党が内戦に迫られて、

いずれも勢力を拡大させたがっていたのですが、「日偽」は戦闘した経験があるし、

人数も大勢いたので、無視できない大切な軍事的存在と見られました。

「日偽」が共産党の軍隊に入るか、それとも国民党の軍隊に入るか、

二つの選択肢の中、国民党が当時、代表的合法的な政府として

「日偽」の大部分に受け入れられました。

それで、日本軍が占領区から撤退したあと、

「日偽」は国民党軍への再編入を待っていたのです。

この間にもともと地元にいた共産党のゲリラ部隊と衝突が起きて

戦ったことが時々あるわけでしょう。

その時の「日偽」はまだ国民党の軍隊に正式に編入されてなかったので、

前と同じ「日偽」と呼ばれていたのではないかと存じます。

 

中国は近世に入り、西欧の先進文化の伝来に伴って

近代国家観念や国民意識も伝わってきました。

ただし、これらの先進理念は中国一部のエリート層に認識されたのみで、

数多くの庶民たちにとっては誰も理解できないものでした。

当時の庶民たちが国家概念や国民意識どころか、

漢字を読める人もほんの少ししかいませんでした。

要するに中国の近代化は日本の何十年ほどもおくれていたのです。

日本と国民党政府との戦いは、中国の庶民たちにとっては

歴史上の政権転換と同じくみられました。

例えば、唐のあと宋になり、宋のあと元になり、元のあと明になる、ということで、

政権転換に伴って戦争が相次いで起きたのはたいしたものではありません。

さらに、千年以上にわたる独裁政治の影響を受けて、

庶民たちはどの政権の下で暮らしても、

支配されて蔑ろにされた階層に属していたのです。

どの政権の下で暮らしても、しんどい運命が変えられませんでした。

一方、中国の歴史に遡ると、少数民族政権に占領され、

支配された時代が少なくありません。

少数民族は当時の中国人にとって外国人に相当したのです。

しかし、中国は少数民族政権に占領されても、支配されても、

中国の人種とか文化とかは消滅せず、

逆に少数民族が中国人に同化され、中国人の一部分となりました。

それで、1937年日本が中国に侵略したあと、

国民党の一部の要員らが日本に一時的降伏し、中国の文化を保存させ、

国力を発展させ、将来強くなったら日本と決戦しようということになりました。

その中の代表的な人物が汪精衛氏(汪兆銘)です。

汪精衛氏は日本軍の支持を受けて、

日本軍の占領区で新たな「国民政府」を作りました。

汪精衛氏の「国民政府」は蒋介石氏が率いた「国民政府」と異なるので、

蒋介石氏の「国民政府」から「偽国民政府」と呼ばれました。

「偽国民政府」も軍隊を創立しました。

 徴兵の対象としているのはもちろん中国人でした。

「偽国民政府」の率いた部隊に編入した中国人兵士が「偽軍」と呼ばれました。

「偽軍」はよく日本軍に利用され、共産党や国民党の部隊と戦わされたため、

「日偽」とも呼ばれていました。

つまり、「日偽」は日本軍に編入した中国人兵士のことではなく、

「偽国民政府」の部隊のことです。

  

 戦争罪を逃れるために、戦後、日本軍部隊の一部が

当時の国民党に雇われて共産党と戦ったことは聞いたことがあります。

例えば、元中国派遣軍総司令官の岡村寧次氏が戦後、

国民政府の軍事顧問として雇われました。

戦争罪が問われずに、残った人生を無事に送ることができたのです。

でも、日本軍部隊が中国に残留したことはただ山西省一省のことか、

それとも、中国のどこでも普遍的なことか、

そんな深いところまで触れていないので、私にも分かりません。

でも、戦争史に携わる専門家が掲載した論文や書物を調べていくことで、

究明できると思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「中国の学生の寮生活」No.2102

2017-11-08 01:38:13 | 中国事情

まるで落ち葉のデコレーション。

おそらく日本の大学では、掃除スタッフが素早く取り除いてしまうのではないでしょうか。

樹木に塗された落ち葉たちは、この大学ではずっとこのままです。

三年生の5文エッセイが軌道に乗ってきた今日この頃。

学生の生活を知る上でとてもありがたい資料でもあります。

今日は寮生活について書いてあるものをピックアップしましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「今日は天気がよくて、風もありませんでした。

寮のたくさんの学生は布団を干しました。

布団を干す人が多かったので、私は晒す場所が見つけられませんでした。

だから布団を干す計画を放棄しました。

明日も天気がよかったら、干せるかも知れません。」(王妍)

(これは古い男子寮の前の旧運動場)

   *中国の大学は基本的に全寮制です。

    この大学の各部屋には4人~8人(古い寮ほど狭くて人数が多い)暮らしています。

    布団を干す場所を確保するのは並大抵ではありませんが、

    学生たちは夜フカフカの布団に寝たくて、

    天気のいい日には、平日でも朝から男性、女性問わず、

    せっせと布団を干しています。

 

「今晩、私の部屋の友達はグラウンドで『暴走団』の活動をしました。

その後、同じ部屋の閻さんが歌を歌うのを見に行きました。

いつもグラウンドでは、何人かの男子が歌を歌っています。

閻さんも歌が歌いたくて、彼らに加わりました。

私たちは閻さんを応援して誉めそやしました。

閻さんは本当に歌を歌うのが好きです。」(王妍)

   *「暴走団活動」とは広場で列を作り、リズミカルな音楽に合わせて

    踊るのではなく、早く前進したり、バックしたりする運動です。

    「広場ダンス」同様、自然発生的に人数が膨れ上がって、

    毎晩キャンパスの一角でやっているそうです。

    おじさんやおばさんたちも参加しているとのこと、

    私も近かったら行きたいんですけど(笑)。

    ルームメートたちの結束は部屋のメンバーによりますが、

    王妍さんたちの部屋はみんなとても仲良しです。

 

「今日は、Aさん、Bさん、Cさんたちと一緒に寮で料理を作りました。

食材は羊の肉とレタスなどです。

新鮮な食材なので、とても美味しかったです。

特に今の気候はますます寒くなりました。

寮で料理を作るのはいいですね。」(D)

   *名前を伏せているのは、寮規則違反だからです(笑)。

    これがばれたら、たいへん、たいへん叱られます。

 

「今日、クラスの4人は教師の資格試験を受けた。

同室の王さんは、朝4時半頃もう起きた。

そこそこに歯を磨いて顔を洗った後、バスに乗りに行った。

午後6時頃、寮に帰ってきた。

疲れた顔をしていた。

寝る前に彼女に『今夜は十分に休みなさいね』と言った。」(遅芮)

   *この大学の学生たちは小・中・高校の教師の資格試験を受ける人が多いです。

    (前任校ではほとんど聞きませんでした。大学によるのですね)。

    当日の朝が早いため、前日の夜9時に寝た受験生の部屋では、

    同室の他の子たちも、一斉に9時に消灯して寝たそうです。友情ですね。

 

「高級日本語の授業が終わった後、いつも一緒に昼ごはんを食べる遅さんは、一年生の通訳に行きました。

今日も寒かったです。

だから一人で図書館に行きたくなかったです。

そのまま寮に帰ったとき、ルームメートは一人もいませんでした。

寒かったので、ベッドに横になりました。」(陸恵敏)

   *学生にとって(特に女子学生にとって)ルームメートは大切な存在です。

    寒いのは気候のせいだけではなさそうな寂寞とした文です。

 

    

    

 

    

 

 

 

 

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「日本人は中国のテレビドラマを見ますか」No.2101

2017-11-06 23:50:40 | 中国事情

三年生劉樹慧さんの五文エッセイから。

「『おトメさん』というテレビドラマを見ました。

日本人はブツブツと独り言を言うのが好きですか。

日本のテレビドラマは中国で大ヒットしています。

日本人は中国のテレビドラマを見ますか。

先生が好きな中国のテレビドラマは何ですか。」

 *誰か、『おトメさん』をご存知の方はいらっしゃいますか?

  私は日本でもテレビには布カバーをかけているくらいテレビ離れしているので、

  中国であろうと日本であろうと、テレビドラマちゅうものは見ません。

  日本では中国のドラマを放映しているのでしょうか。

  アメリカとかのは映すのに、中国やアジア諸国のはあまりないのでは。

「はっはっは!

面白いニュースを見ました。

ハロウィンなので、ある男の子が『千と千尋の神隠し』の「顔なし」の装いをして

幼稚園に行きました。

幼稚園のクラスメートはびっくりして泣き出しました。

-・-・-・-・-

今日は夜、一年生の教室で勉強しました。

一年生の皆からキャンディをたくさんもらいました。」

  *大学入学以来二年間、自分たちの教室があてがわれていたのに、

   三年生になって自分たちが自習できる教室がなくなり、

   「流浪の民」化した三年のうち何人かは

   後輩の一年生の教室で夜自習をしています。

   自分たちだけの自習室がないので音読できず、本当に困ったものです。

   どこか空いていないのかなあ?

「小さい時、美しいドレスを着たことがあります。

トイレに行った後、ドレスのへりがパンツに入ってしまいました。

自分はわからないままで、遠くまで行きました。

心の温かいおばさんはどこにでもいるものです。

知らないおばさんが私の様子を見て、ドレスを整えてくれました。」

  *なんですかね、この劉樹慧さんの短いエッセイは、

   読んで緊張がほぐれますよね。と言うか、脱力……。

 

                

 

 

   

 

 

 

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「また日本は中国のものを盗んだのか、で議論」No.2100

2017-11-05 23:30:53 | 中国事情

春、夏、秋とザクロの木は葉の色を変え、結実させ、葉を落とします。

どの季節のザクロの木も美しいことに、私は今年ようやく気がつきました。

 

昨日、今日と土日も3年の韋さんと外国語学部のビルでスピーチコンテストの特別練習です。

今年は中日国交正常化45周年なのに、何の行事もなく寂しいことだと思っていたら、

和歌山県と山東省の共催で、

日本語スピーチコンテストが開催されると聞いたのが3週間前。

(なぜそういうことをもっと早く言わんのだ!)と、いつものようにプリプリ怒りながらも、

学校代表に指名された韋さんと、早速原稿書き、そして練習に取り掛かりました。

何しろ11月18日に開催ですから、ホントに時間ないんです。

第一部は課題スピーチで「ネットショッピング」か「絆」から選べとのこと、

韋さんは「ネットショッピング」を選んでどんどん練習を進めています。

しかし、問題は第二部の即席スピーチです。

スピーチの10分前に課題テーマを提示され、10分間で3分以内のスピーチを考えなければなりません。

色々なエピソードを集めて記憶しておくことにしました。

その一つに、

「韋さんが日本の歌を中国の歌だと誤解していた経験」というのがあります。

大学に入学してまもない授業で、

キロロの「未来へ」を中国人の先生がかけてくれました。

この歌は中国でもとても人気があり、韋さんも中国語ではよく知っていました。

キロロが日本語で歌うのを初めて聞いた韋さんは、

(なんだ、日本はまた中国のものを盗んだのか。軽蔑するわ)と思ったそうです。

しかし、すぐに老師からもともとこの曲は日本の歌手が作って歌ったものだと知らされ、

とても恥じ入ったという体験です。

彼はそれを「中日の誤解の一例」として挙げました。

しかし、私は韋さんの(日本は「また」中国のものを盗んだのか)の「また」に心がちくっと痛みました。

侵略戦争のとき、確かに日本軍は中国の財産を略奪し、多くの中国人の命を奪いました。

それを指しているのかと思ったので、確かめると、

「戦争は関係ありません。例えば漢字がそうじゃないですか。」

と彼が答えたので、私はひっくり返りそうになりました。

漢字は中国から学んだものであることは、日本の歴史でずっと伝えてきているもので、

「もともと日本のものだ」などと主張したことは一度もありません。

遣隋使や遣唐使を中国に派遣してさまざまな文明を日本に持ち帰りましたが、

それは中国王朝の許可の下に実行したことであり、こっそり盗んだものではありません。

そもそも古代文化は取ったとか、盗んだとかいう法的所有権があるものではなく、

人々の往来・交流から自然に広がり伝わったものです。

 

「なぜ、『漢字を盗んだ』と思うのか。

近代以前の中国人は決してそういう見方(「漢字を盗んだ国」という見方)を日本に対してしていなかったはずだ。

なぜならば、中国王朝のお墨付きで日本は留学生を中国に送り込み、学んで、日本に持ち帰ったのだから。

やはり戦争のことがあるので、日本に対する悪感情がそういう言い方になっているのではないか」

と話すと、

「ああ、今まで単純に周りの中国人が言うことを鵜呑みにしていて、そんなこと考えたこともありませんでした。

どうもすみませんでした。」

と謝ってくれましたが、私に謝られてもね、と言うか、本当に気づいてくれたならそれでいいですけど。

もう一つ、「盗んだ」という件については、

「改革開放以降の中国社会では、

現代法に基づく著作権もお構いなしに、

まるで自分が作ったかのように発表し、広めている事例は千も万もあるが、

もともと作った人たちはどれほど『中国人は私の財産を盗んだ』と思っているか考えたことがありますか」

聞いたところ、それは少し知っているとのことでした。

私は、小さい子どもを苛めているわけではありません。

大学生はもう大人です。

自国中心主義=「いつも自分の国が正しい」という子どもっぽい考えは

近年、どこの国の大人の中にも蔓延していますが、

それが国際理解を阻害している主因であることに、

せめて、日本語学科の学生たちには気づいてほしかったのです。

韋さんとは、スピーチコンテストが終わるまで、こんな議論を延々と繰り広げることになりそうです。

別に、喧嘩じゃなくて学生の認識が深まることを期待しての話し合いですので、

お互い、全く苦痛ではありません(と言い切りたい)。

 

夕方、外国語学部のビルを出ると、日曜日にもかかわらず軍事訓練をしている一団がありました。

その後ろで、薔薇とダリアが最後の一頑張りして、花を咲かせています。

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「日本が崩れていく…【 加計学園認可】の悲報」No.2099

2017-11-04 23:00:16 | 日本事情

忙しかったり、ネットが繋がらなくなったりしているうちにまた日本から理不尽なニュース……。

「加計学園認可」ですって。

大学の教授体制が十分か否かという文科省レベルの問題以前に、

この大学の設置を巡る根本問題は、

首相が不法に自分の友達の加計孝太郎に国の土地をプレゼントし、

その土地を加計孝太郎が勝手に使って大学を作ろうとしているという、

首相の一大疑獄問題ではありませんか。

疑惑が一つも解明されていない今、

この認可を取り消させなければ、

私たち庶民が生きていく上で大切に保持しなければならない、

人間としての誇り、正義の心が失われてしまいます。

 

「人のうわさも七十五日」と言いますが、

これは単なる噂話ではありません。

私たちは江戸時代の悪代官に額づく奴隷なのでしょうか。

「しょうがねえだ、おらたちに口はねえだに」

と押し黙り、ひたすら耐えて暮らすのが私たちの務めなのでしょうか。

私たちは、

いったい何のために歴史を学んできたのでしょう。

何のために学校で勉強してきたのでしょう。

こんな日本を作るためですか。

 

-------- 澤田愛子さん(twitter)

加計疑惑。これほど総理関与証拠が続々示されたのに、当事者は逃げまくり、

官邸は追及者を誹謗、私生活まで暴く酷さだった。

国民も良識議員も怒りと不信を蓄積した。

なのに総理都合の勝手解散で自民が勝つと、いきなり強引な加計認可だ。

権力者を批判しても無駄だぞと言わんばかりの無法国家だ😡😡

--------嶋村伸夫さん(FB)

 加計の獣医学部新設について、結局、加計孝太郎は一度も国民の前に姿を現さず、

一言のお詫びもお礼も述べませんでした。教育者としてあり得ない態度です。

こういう人物が何を学生に教え、啓蒙するのか。

「日本はバカの国だから、権力者と組めば何でもできる」。

これが加計の教育理念になります。(兵頭)

 

 

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「野党時代、質問時間を3倍に増やせと言った自民党が今度は」No.2098

2017-11-03 19:35:29 | 日本事情

昨日から宿舎のネットがブチッと切られたきり、びくとも動きません。

ノートパソコンを持って研究室に来ましたが、引っ越した部屋でのセキュリティコードが

聞いていたのと合致せず、したがって使えず、

不便な中国式制限がはなはだしいデスクトップで打ち込んでいます。

(それでもGOOやYAHOOが開けるだけでもありがたいです。

メールは見られませんが。もちろんフェイスブック、ツイッターは絶対無理)。

ああ、蚊が10匹も20匹も飛んでいる......。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小選挙区制のおかげで絶対多数をキープした自民党が、

議員数に応じた質問時間を配当するため、野党の質問時間を減らす要求をしたそうですね。

あきれた!

自民党は与党なのだから法案を提出する際、自分の党内で十分議論してから国会に提案するのが当たり前。

それに、自民党が国会で質問したのを聞いても、

法案の賛美のみで(何だ、やらせ質問か)としか受け取れないものばかり。

私は質問は野党だけで十分だと思っています。

去年、カジノ法案が審議されたとき、質問に立った自民党の谷川弥一議員が

「あまりにも時間が余っている」と言って、

割り当てられた40分の質問時間に般若心経を唱え、夏目漱石の話などして時間つぶしをしたことは

皆さん、記憶に新しいはずです。

国会の存在意義を完全に無きものにしようするこの画策を

世論の力で抑え込むことは可能です。

政治の勉強学校を広めることと、

与党の独裁の監視と、

日米安保体制を見直す野党共闘の輪を強めることと、

こう並べたら、なんだか政治のことだけでも忙しくてたまりませんが

私たち庶民は無骨に、ひたすらやっていくしかないですね。

 

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「え、もう11月」No.2097

2017-11-01 22:42:35 | 中国事情

雨がちな10月が過ぎ、今日は6℃ー23℃とまあまあの暖かさでした。

授業が終わり、キャンパスの道路を歩いていると、

あちらでもこちらでも「シャー、シャー」と音が聞こえてきます。

掃除スタッフが大箒で落ち葉を掃く音です。

カメラでその様子を追っていたら、

向こうの方で、ジッとこっちを見ている人が。

英語学科のEVE先生でした。

フィリピン出身でさぞ山東省の冬は寒かろうと思いきや、

以前はもっと寒い吉林省や遼寧省でも暮らしたことがあるので

これくらいたいしたことないとのこと。

外国人講師は、根無し草の風来坊が多いです。

掃いても、掃いても、バラバラと落ちてくる大きな葉っぱ。

毎年、この時期は年配のスタッフが総動員で、

日曜日も休まず毎日、朝早くから午後まで掃除をしてくださっています。

しかし、葉はまだまだ枝に張り付いていて、

いつまでこの作業を続けなければならないのか分かりません。

 

方や、こんなに寒くなっても、ガッツリ着込んで麻雀している年配女性グループ。

真冬を除き、暇なおじいさん・おばあさん方はいつも外で和やかに麻雀をしています。

折りたたみイス、麻雀セットなどは、年配の方々の楽しい外遊びに欠かせません。

 

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