水戸局の石炭車 水セラ

2006-11-30 13:53:56 | 昔写真
11/27のエントリ ED75-19号機 でほんの少し、いわゆる "水セラ" に付いて書いたところ、doraさまからコメントをいただきました。ありがとうございました。
良い機会なので、昔撮った写真から水セラが写っているのを探してスキャンしてみました。

↑大津港駅を発車する、植田行きと思われるED75牽引のセラ列車。昭和46年(1971)撮影

私がこれらのセラを最初に見たのは磯原駅でした。ある日駅構内に面した我が家からは本線を挟んだ向こう側、下り側一番端の側線に並んでいたのをみて非常に驚きました。ざっとみた感じではセラ5700が一番小さい番号で、01,02などがランダムに並んでいました。
最初は形式番号と65km/hを示す黄色線のみで水**は書いてありませんでしたが、ある日学校から帰ってくると全てのセラに水**と表記されていました。それを見て「これらは常磐線で使用されるのだな」と漠然と思ったのです。

これらが常磐線に現れたのは昭和45年(1970)だと思います。
はっきりとは記憶していませんが、昭和45年に水戸局の無煙化がありまして、それまで蒸気機関車だった磯原駅の入換がDE10に変わりました。そのDEが珍しくて、入換風景を8ミリムービーで撮影したバックに、この水セラの列が写っているのです。

その後しばらくして我が家の裏からいなくなり、磯原駅で見かける事は無くなってしまいました。
↑の写真は昭和46年(1971)に高校に入学して、春の遠足で勿来の関に行き、帰りに大津港駅で上り電車を待つ間に撮影したものです。

後年になって聞いた話なのですが、茨城県北部の常磐炭鉱で産出した石炭を、植田駅近傍の常磐共同火力発電所へ効率よく運ぶための試験運転であったらしいです。
この発電所への石炭輸送は、セラが導入される以前から活発に行われており、植田駅の岩沼方には電化した小ヤードが設けられて、専用線へ貨車の授受が行われていました。
この発電所は現在でも輸入石炭専焼発電所として操業されていまして、小名浜港から10トンダンプで石炭のピストン輸送が行われています。

何時ごろまでこの水セラが運転されていたかは知りませんが、昭和46~47年頃に相次いで南中郷駅から側線が延びていた常磐炭鉱中郷砿や、大津港駅から側線があった常磐炭鉱神の山砿などが操業を止めてしまったため、これらの石炭車も用済みになってしまったものと思われます。

↓はセラではありませんが、↑の列車と入れ違いで大津港駅に進入して来た上り貨物列車です。牽引機ED75-2に続くのは側面に "火力**" と書いた板を掲示したトキ15000型で、これが元々常磐共同火力発電所向けの石炭を輸送していたと思われます。この貨物列車は私たちが乗る予定の上り普通電車を退避するために中線への進入でした。


↓鉄道90年の記念で常磐線を走ったC571。大津港駅中線に停車中。昭和46(1971)年10月16日撮影
遠方に留置中の空車セラの列が見えます。


磯原駅に留置中の姿も写真を撮ったはずなのですが見つかりません。
何しろもう35年も前の事ですから、だんだん記憶も怪しくなってきています。
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