昭和44年に重内炭鉱が閉山になって、汽車も走らなくなった専用線。
その後も線路はそのまま放置されていました。
この写真を撮ったのは昭和47年ごろだと思います。
↑Top画像 すっかり裏庭と化した専用線。
踏み切りは盛り土されて、このままでは二度と汽車は走れません。
県道が陸橋で常磐線を越えた当たりから炭鉱方向を見ています。
*現在ここにはスーパーマルトの駐車場になっています*
↓県道陸橋の土手から磯原駅方向を見る
画面中央の分岐器は安全側線だったと思います。
この場所には製材工場がありました。
↓製材工場の側線横に転がっていた台車
*この時のネガは何故か光が入ってしまったらしく、見苦しくて恐縮です*
その後も線路はそのまま放置されていました。
この写真を撮ったのは昭和47年ごろだと思います。
↑Top画像 すっかり裏庭と化した専用線。
踏み切りは盛り土されて、このままでは二度と汽車は走れません。
県道が陸橋で常磐線を越えた当たりから炭鉱方向を見ています。
*現在ここにはスーパーマルトの駐車場になっています*
↓県道陸橋の土手から磯原駅方向を見る
画面中央の分岐器は安全側線だったと思います。
この場所には製材工場がありました。
↓製材工場の側線横に転がっていた台車
*この時のネガは何故か光が入ってしまったらしく、見苦しくて恐縮です*