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はちみつ色のコッツウォルズ




イギリス中部、コッツウォルズには150くらいの村や町があるという。

自宅からだと車で1時間半くらいの距離だ。

Cheltenham(チェルトナム)やGloucester(グロスター)など大きめの街以外を、まとめて観光目的で訪問したことはついぞなかったが、ガイドブックに名前も載っていないような小さな集落の近辺を通りがかり、ついでにここらで食事をしていこうとか、偶然立ち寄ったりなどの機会はそれこそ何度もある。




今回は初めてコッツウォルズに宿泊した。
邸宅を改造した小規模の趣味のいいホテルで、食事が自慢だ。

2日目、観光の計画は立てず、とにかく駐車ができるところを選んで訪れた。
そのくらい人が多いのです。

Castle Combe(カースル・クーム)は、村の外れまで行って、車も停めなかった...




コッツウォルズは、イングランド中部のグロスターシャー、オックスフォードシャー、ウォリックシャー、ウスターシャー、ウィルトシャー各州、どこも緑が豊かで風光明媚な丘陵地帯...

に、またがって点在する、はちみつ色の美しい村々で有名である。

「コッツウォルズ」という地名は、「Cots」(羊小屋)と「Wolds」(丘陵)という古英語の言葉に由来し、かつては羊毛の生産で栄えた。

今でも、高速道路からでも、羊が草をはんでいるのが見える。

はちみつ色の壁にカラフルな花を飾ったような愛らしい家が数軒だけ道路の両脇に建つ村もあれば、観光客が押し寄せたために地元民が逃げ出した村、ハイストリートのある大きな規模の町もある。


昔、羊毛産業で栄えたというのは想像可能だが、今はどうなんだろう...と、可愛らしい村を訪れるたびに感じる。
調べたところ、観光業、羊毛産業、農業、他には超金持ちが好んで住むことによる不動産業などであるらしい。




コッツウォルズが観光客の間で人気が出たのは、それほど昔のことではないだろう。

テレビ番組や雑誌が、こぞって「英国の田園風景」の代表的なイメージとして取り上げたことが遠因だったろうか。

はちみつ色の石でできている大小の家、愛らしい村の落ち着いた雰囲気、古い教会、羊のいる丘陵、緑の多さなどが、ノスタルジックでロマンティックな「ふるさと」として人の心をとらえたのだろうか。

欧州へ引っ越してくるとき(1998年)、大先輩から『イギリスの美しい村』という本を贈ってもらった。
そのなかにもチャーミングなイラストともに紹介されていた。




映画やドラマの舞台になったことも、その魅力を広めるきかっけになった(なっている)のだろう。


以前、ある村に、日本人の経営のティー・ルームがあると聞いたのだが、最近はどう探しても見つからない。

行きたかったなあ。




宿泊したホテルも可愛らしかった。
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紅茶のなかの 角砂糖のように溶ける




イースト・サセックス州に残る、14世紀のボディアム城からの帰り道、夫が急に米国との遠隔会議に参加することになった。

運転をしつつでは無理なため、適当な「公園」のサインに従い、その駐車場で車を停めた。

それがこちら。

わお、美しい。
まさに英国のマナー・ハウスである。

15世紀後半の建物が基本のつくりで、夏の間の四ヶ月間だけ一般公開されているそう。

16時半とて内部の見学やティールームはすでに終了していたが、20分ほど、わたしは芝生を歩き回り、熱意を持ってバリバリと草をはむ山羊や羊を眺めていた。

そして夕焼け前の強い西陽が射す。

マナーハウスは、紅茶のなかの角砂糖のように溶けてしまいそう...




あとで調べてわかったことには、このマナーハウスには、ゲインズバラ、レイノルズ、ヴァン・ダイク、ラファエル、プリゴらの作品があるそうなので、夏が終わる前にまた行きたいな。
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英国の中世の秋へトリップ




イングランド南東部、イースト・サセックス州にあるボディアム城に遊びに行った。


百年戦争中、フランスの侵略からこの地域を守るため、先代エドワード3世に騎士として仕えたエドワード・ダリングリゲ卿が、リチャード2世の許可を得て14世紀に建てた、ほぼ四角形の城。ザ・お城。

わたしはこの時期の国際政治にとても興味があるが、エドワードだの、リチャードだの、何人いるのか、いつも混乱する。せめて顔写真があれば(笑)。


実は、「百年戦争中、フランスの侵略からこの地域を守るため」とはいうのは表向き、この時期には、侵略のディフェンスとしての機能を持つ城から、富と地位を誇る型の城への時流の変化があり、ボディアム城も同様。

城は戦闘にさらされることはなく、ダリングリゲ卿は、妻と共に安定した暮らしを送ったという。


この土地の砂岩で建てられているため非常にもろいという割には、ナショナル・トラストの尽力で、外側は美しい形が保たれている。




場内の保存状態はさほど良くないが、足場がよく、周囲も美しいグリーンで包まれているため、小さい子供連れが多い。

また、中世の生活を再現した人々のデモンストレーションも...




赤ちゃんもコスチュームを着ていた!!

ほんと、似合いすぎで違和感なし。
中世に来たみたいだ。




彼は外科医である。
中世の外科医といえば床屋との兼業ではなかったか??




ホイジンガは、中世の後半の文化が極度に感情的であったと指摘している。
騎士道、宗教的儀式、芸術作品など、過剰なまでに豊かな象徴を用い、それがこの時代の精神の特徴であったと...

ならば、防衛の「機能の美」を持つ城を、単に美しいから、という理由でダリングリゲ卿が建てたのも分かる。

「遊び」は、生存に絶対不可欠ではない。しかし、それこそが文化である。

われわれは、生存に絶対不可欠ではない「遊び」をすることのよって人間になった(ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」)。そして今も。

つまり、「無駄」なくして人間は人間たりえないのである。
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英国、昨日今日そして明日


英国ではどこにでもありそうな平和な風景...


英国の各地で先週から連続して起きている暴動に関連して、イングランドと北アイルランドでは昨日5日までに400人近くが逮捕された。

警官や移民や外国人への威嚇や暴力、宿泊施設、商店、車両の破壊、放火など、日本では考えられないような凄まじい暴動で、スターマー首相の発言のとおり「暴力であり犯罪であって抗議行動ではな」かった。

わたしが最も驚いたのは、赤ちゃんや幼い子供連れが、野次馬や扇動的な集団に混ざり、草野球でも観戦するような様子だったことだ。


この暴動は、イングランド北西部サウスポートで先月末起こった事件が引き金になっている。
子供のダンス教室が刃物を持ったアフリカにルーツを持つ少年によって襲撃され、少女3人が死亡し、多数が負傷した痛ましい事件だ。

犯人に関する誤った情報は瞬く間に拡散され、全く関係のない集団に属する人たちが攻撃され、情報が修正された後も続いている。


スターマー首相は4日にTVで演説を行い、「極右の暴徒」には「法律の全威力」をもって厳正に対応すると約束した。

彼は「肌の色で差別をするのは極右だ」と言ったが、わたしは彼の踏み込み方は、現段階では一面的だと感じている。


英国はもともと階級差が激しい(世界で最も?)社会である。

大英帝国として、植民地と奴隷の搾取によって栄華を極めたものの、次第に経済的な低迷と社会の分断が明らかになり、その傷はいまだに癒やされていない。

産業革命以降、特に20世紀から21世紀にかけての新自由主義的やグローバリゼーション、産業構造の変化、金融危機、政治の迷走などが組み合わさることで、問題はより深刻化し、その皺寄せは社会の最も弱い人々を直撃している。

特に英国北部では、産業の衰退、失業率の上昇、教育の不備などから生じる経済的困窮が、飲酒やドラッグの乱用、家庭内暴力、差別、コミュニティの荒廃、社会的サービスの劣化などの社会問題を引き起こしている。

その現実には、ほんとうに同情する。しかし当然、より弱い人々や特定のグループを攻撃する言い訳にはならない。


BBCを見ていると、極右の暴徒は、アメリカでトランプ元大統領を熱烈に支持している、例えばProud Boysに似ている。
ホワイトハウス襲撃事件で有名になったProud Boysには、アメリカの中部で経済的に取り残され、社会的な変化に対応できず、不満を抱く層が多いとされている。

これは単なる人種差別や移民受け入れの問題ではなく、社会に深く根を張った格差と困窮の問題であり、彼らは自分たちが社会の成長から忘れ去られ、不当に見捨てられた存在だと声をあげているのだ。

しかし、その怒りや批判や絶望は、感情ベースで集団を形成し、なぜか政治や経済のリーダー、グローバリストの資本家に向かわず、命からがら逃げてきた亡命者や移民に向けられる。
なぜなのか。

スケープゴートを仕立ててガス抜きをさせるのは支配層の常套手段だとしても。


有名なインターネット・ミームを借用して紹介。
帰属感や、自他、他者の認識というのはこのようなものにすぎないのである...
上:アメリカ人がイメージする英国人
下:ヨーロッパ人がイメージする英国人
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世界は薔薇と芍薬




薔薇と芍薬とまりません
姿も香りもすばらしい

花屋さんや園芸家は毎日こんな経験をしているのだろうか...

美しいものにふれると、「世界」を感じるのはなぜだろう?

美しい薔薇のむこうに、理想的な真理や存在の本質があることが垣間見れるからか。
日常的な経験が一旦停止し、より広い視点へと導きかれたような気がするからだろうか。

今まで知らなかった存在のありかたが目の前に開示され、世界の豊かさを知るからか。
究極的な美は、脳よりも身体的に感じる...と、世界との直接的関係を体験するからだろうか。


なぜこんなに美しいと感じるんでしょうね?
知りたいわ...
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