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色とりどりの世界




先日の記事、「レオナルド」に関して多くのメールを頂き、驚いている。


友人に聞いたところによると、わたしが書くようなブログ、文章が明晰でなく、分かりにくく、だらだら長く、繰り返しが多く、漢字も多く、写真は少なく、あったとしてもピンぼけで、ましてイラストもないようなブログは流行らない(笑)ということなのに(わたしも激しく同意する)...有り難いことです。



ほとんどの方が、
「人間は不完全なものしか生み出せないのに、なぜ創作を続けるのだろうか」と書いておられた。



わたしは、「全」を目指す人間の表現方法や技術が必ず「不完全」であり、その「不完全」さが一人一人異なっているという「全」からの「ズレ」に創造はある、と考える。
前回も断ったが、この場合の「不完全」にネガティブな意味はなく、単に「全」との対語である。


つまり、不完全なものしか生み出せないにもかかわらず、創造へと人間を駆り立てるモティベーションは何なのか、という問いの立て方をわたしはしない。

不完全なものしか生み出せないからこそ、モティベーション(一人一人に固有の創造性の起動と発露)があるのである。


「全」は、ある意味(ある宗教ではと言った方がいいのか)「無」と同義語である。「全」においてはもはや創造行為は行われない。

芸術家、アーティストの中には、「全」を実現することさえできれば、金輪際創造などできなくてもいいと考える人もいるだろうし(わたしはこういう人を何人か知っている。彼らは例外なくカルトに走る。)、創造自体が快楽、と感じる人もいるだろう。


「不完全」の外に決して出ることのできない人間としては、色とりどりの世界の方が愛おしいと思うのだが、どうだろう。


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