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美人の条件




美人の条件は時代や文化ごとに異なる。

最近、晴天が続き、ここぞとばかりに肌を太陽にあてているベルギーの女性(男性も)を見ていると、現代の「美」の条件のひとつは「経済力を背景に、より手をかけていること」ではないかと思った。


ヨーロッパのこのあたりでは基本的に日焼けをしている肌が美しいとされる。
先日のロイヤルウエディングでも、キャサリン妃が白肌ではなかったことに注目した人も多いだろう。

一般的な肌色の人が一年中焼けた肌を保とうとすれば、しょっちゅう長期バカンスに出かけるだけの経済力があるか、さもなくば日焼けサロンへマメに通うか、とにかく5分でも長く日に当たるなど、常に意識し続けなければならない。面倒くさいから焼けていなくてもいい、と言っていては「美人」へのエントリーもできないのである。


一方、日本では、70年代に健康的な「小麦色の肌」がもてはやされたが一過性のもので、白い肌が美しいとされている。
日本人の誰もがより日焼けしやすいタイプなのかどうかは知らないが、事実としてわれわれは色素沈着しやすく、日差しは強く、白美肌を保つためにはエステや化粧品などで十分手入れをする精神的物理的余裕が必要と思われる。

タイで聞いた話では、上流階級のお嬢さん方の間では日に焼けていないのが美人の第一条件だということだった。
太陽の下での労働から解放され(経済力)、日陰で「手がかけられる」肌が美しい、つまり美人ということではないだろうか。


これらのことから、小麦色がいいか白肌がいいか、という状態についての価値観の差はあるが、その状態を目指すためにはどちらにおいても「多少の可処分所得があって手をかけることができる」という点で同じであるということが分かる。


美人の条件には有名な「平均美人説」(簡単に言うと、美人とはその土地において最も平均的な顔のことであり、例えば白肌の人が多ければ多いほどそれがその土地での美人の条件のひとつとなる)がある。
しかしその説が正しいとすれば、この辺りでは白肌こそが美人の条件となるはずなのにそうではないのはなぜなのか?

わたしの説では、ある土地において最もまれな状態が美とされ、マジョリティがそのまれな状態を真似をすればするほど、その美的価値はつり上がって行く...
つまり、このあたりの国々を例にすると、ナチュラルに小麦色の肌というのは最もまれで、その希少さゆえに「美しい」と認識され、多くの人が競ってその真似をして焼けば焼くほどその価値が上昇する...ということになるが、いかがでしょうか。
「希少な状態をみんなで真似して平均的にしてしまおう美人説」(笑)。



まあ二地域の事情を較べただけでは何の証明にもならないので、機会があったらアラブ諸国やアフリカでもその基準について質問してみたいとは思っている。美人とは何か、「価値」とは何か、ということにたいへん興味がある。

美人も好きだし。


...


時代。

今、米国HBOのシリーズThe Tudersを夜な夜な宿題のように見ており、当時(16世紀)は金髪白肌豊満が美人の条件だった。

谷崎潤一郎が「陰影礼賛」の中で、電気のない昔の日本で、奥の院の暗闇の中に、女性のお歯黒された白塗りの顔がぽっかり浮かぶのはぞくぞくする美だったとろうと書いたように、中世ヨーロッパでも、暗い建物の中で浮かび上がる金髪白肌(黒髪小麦色の肌が不美人と定義されたことに注目)というのは発光しているようで美しいと感じられたのだろう、と思う。

美人の定義は科学の発達とともに変わったんですな。

宇宙ステーションに人間が移住するようになったら、やっぱり宇宙服が似合うタイプが美人になるのでしょうか。「金星美人」とか。ヴィーナスそのもの。あるいは宇宙人と出会ったら...


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