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「あなたは誰?」 ソフィの世界
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ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルによって1991年に出版されたファンタジー小説(ウィキペディアによる)だ。
少年少女向きに哲学への興味を喚起し、注意をそらさないよう計算されて書かれている。日本で翻訳が出た1995年当時は大人の間でもベストセラーになったので読まれた方も多いのではないだろうか。わたしも一読した後、大学の友人間で回しているうちに返って来なくなった。
今日はある方へのメールの返信をかね、15年前に「ソフィの世界」をお読みになった方にもその内容を思い出してもらおうと思う。
小学校六年生の娘のクラス用にわたしが書いたブックレビューを全文引用(日本語で書いたものを英語にし、夫がオランダ語に訳した。カッコ内ページ数はオランダ語版による)。
「あなたは誰?」
ある日、もうすぐ15歳になるソフィーという女の子の元に手紙が届きます。
あなたは「わたしは誰」なのか考えたことがありますか?
これは、名前が何なのか、何歳なのか、好きな食べ物は何なのか、趣味は何なのか、などという質問ではありません。
「わたしは誰でどこから来たのか、わたしたちはなぜ生きているのか、世界はどのように存在するのか」という意味の質問です。
こういう「普通みんなが当たり前だと思っているので真剣に考えたりしないこと」についてあらためて考えることを「哲学」と言います。
ソフィはこの手紙を受けとったことによって
「友達はたぶん選べるのに、自分自身を選ぶことはできない。人間になることも自分で選んだことではない。人間って何?ソフィは鏡に映った女の子を見(p.12)」て考え始めます。
これがソフィーの冒険の始まりです。
ソフィーはアルベルトという愉快な哲学の先生から、ギリシャ時代に始まった哲学について話を聞きます。偉大な哲学者のものの「考え方」について学ぶのです。
物語の最後の方でソフィーは自分がいったい誰なのかに気づきます。本の中で彼女に割り当てられた役です。
それはちょっと悲しく受け入れがたい現実です。
そこでサルトルがこう言ったことを思い出しました。
「(サルトルは)生には意味がないわけにはいかない、と考えた。これは避けれられないことだ。しかも、わたしたち自身がわたしたちの生の意味をつくらなくてはならない。実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ(p.490)」と。
つまり、わたしが誰であり、なんのために生きているのかは、元々わたしに(属性として)備わっているのではなく、自分自身が世界との関係の中でその都度つくるものなのです。
世界もそうです。世界もわたしとの関係として存在するのです。
例えばアメリカのオバマ大統領は、「バラクオバマ」として元々から存在しているのではありません(そういう風に存在できるのは「神」だけです)。
誰かにとっては優しいパパであり、
誰かにとっては米国初のアフリカン・アメリカン系の大統領であり、ヒーローであり
誰かにとっては価値を脅かす悪魔であり、
もし彼が世界がよりよくなれ、と行動するならば、それが彼自身が創造する世界の意味、なのです。
ソフィは受け入れがたい役割を乗り越え、自分の存在を自分自身で創造するためにある行動をとります。
さあソフィーは自分が誰だと気がついたのでしょうか。
自分の存在を自分で創造するために何をしたのでしょうか。
三千年を解くすべをもたない者は
闇のなか
未熟なままに
その日その日を生きる (ゲーテ)
という言葉が巻頭に載せられています。
哲学の質問にたったひとつの解答はありません。
いくつも答えがあって、そのどれもが正解であるようなものなのです。
ソフィーの冒険に興味がある人はぜひこの本を読んでみて下さい。
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