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Brugge Style
ブルージュの熊
バリエーションはいくつかあるが、ブルージュの「最古の市民」の伝説はこうだ。
9世紀のこと。
フランダース伯ボールドウィン一世が、カロリング朝西フランク王国の初代国王シャルル二世の娘ジュディスをフランスの修道院から誘拐した。
シャルル二世の承認を得ないままに結婚した二人は(この話は語り方によっては大変ロマンティックでドラマティックなので映画の題材になりそう)逃避行先の無人のフランダースで熊に出会う。
この熊は周囲の住民をほとほと困らせてきた熊だった(話によっては3頭とか、雪を被った茶色の熊とか)。
しかし勇猛を誇る”鉄の腕の”ボールドウィンはついにこの熊を倒す*。
住民はボールドウィンをたたえ、熊を剥製にして贈った。それ以来熊はブルージュ最古の市民として、ポータロス・ロッジの壁龕(へきがん)を飾る。
この事件と前後し、バイキングの侵略から守備を固めるためにボールドウィンは砦を強化、ブルージュの基礎が形付けられてゆく。
この「熊」は本当に熊だったのか、あるいは先住民族のメタファーなのか。
わたしの個人的想像では、おそらく先住民のメタファーではないか、と。
人間が他の動物と一線を画すのは、人間が「死者を弔う」からである(と、文化人類学は教える)。
人間は太古の昔、死者、特に祟ってきそうな死者を弔ったり、死者の声を聞くためにそれを弔った**ことによって「人間」になった。
例えば「逆説の日本史」のアマテラス対オオクニヌシに当てはめると、征服者ボールドウィンが、先住民「熊」を最古の住民として永代まで祭ることによって祟りを避けようとしたのではないか、と...
ポイントは、なぜ周囲住民を困らせてきた「悪い熊」が、おとしめられたり、見せしめのさらし首などにされず、栄誉と称号を与えられ、立派な姿で祭られてきたのか、ということだ。
キリスト教だってまだ若々しい時代。そのような土着の信仰の影が残っていてもおかしくはない。
まあシロウトの考え過ぎと言えば考え過ぎで、わたしのブログのほとんどはシロウトの考え過ぎなんだが(笑)。
また、どの伝説も、ボールドウィンと熊の激戦の中で「熊は後ろ足で立ち上がって戦った」と述べる。熊が立ち上がることはよく知られているにしても、どうしてわざわざ「二本足で立った」と述べられてるのか。伝説を聞く人を怖がらせるためなのか。ちょっと人間臭すぎやしないか。壁龕を飾る上写真の熊像が、限りなく人間臭いように。
それに「周囲の住民を怖がらせていた」という登場人物が他にあるのに、なぜ「熊」だけが「この辺りの唯一の住人」「最古の住民」という記述が見られるのか?
おかしいなあー。創世記にある食い違いみたいだなあー。
このようにわたしは「熊」とは先住民のメタファーだと思いたかったのである。
ところが昨日の記事と同じの展覧会でこんなものを見た。
左側が9-10世紀頃の熊の頭蓋骨。
これは何を意味するのだろう。
こういうことにワクワクするんです...
*ボールドウィンが熊を倒したのがブルージュの郊外10キロほどの地、beernem である(らしい)。beer とはオランダ語で、bear 、熊、である。ぞくぞくする(笑)。
**死者の声を聞くために弔う、というのはジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」による。
2012年4月25日の記事に「ブルージュの熊はベルセルクか」というのもあります。
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