goo

終末説




「「2010年終末説」信者が南仏の村に集結、当局が警戒

 2012年に世界が終わると信じる人たちが、フランス南部にある人口わずか200人の小さな村ビュガラッシュを安全な「聖地」とあがめ、終末から逃れるために続々と詰めかけている。

 新興宗教団体を監視する政府当局は15日発表の報告書で、古代マヤ文明の暦を基に割り出された「滅亡の日」とされる2012年12月21日までの間、ビュガラッシュに対する監視を強める必要があるとの見解を示した。

 当局の報告によると、特別な場所とされるビュガラッシュにある岩山には過去数カ月間で多くの訪問者が殺到。周辺の不動産価格が上昇しているほか、金融詐欺やマインドコントロール(洗脳)が行われるリスクが高まっているという。」(6月6日のロイターの記事から一部抜粋)



終末説というのはある種の人たちにかなりアピールするらしい。歴史を通して何度も繰り返し盛り上がったのは周知のことだ。
1999年のノストラダムスの大予言も流行りましたね...

人間はおのれの堕落がそれほど疾しいのだろうか。
それとも罰されたいという変○性欲なのか(笑)?

それともデストルドー(死への欲動)の一種? 例えば古代文明において、狂気じみた祝祭の最後には生け贄を捧げた。そういう種類の? 
お祭り騒ぎなら、日常生活からのガス抜き? 単なるガス抜きなのに真面目に死んでしまう人がいるのも、お祭りにはそれがつきものだ。

いずれにせよ、現代の終末説は中途半端に豊かな社会に住む人々の甘いお菓子にすぎない。
今日一日を生きるだけで精一杯の人間がそんなことを考えるだろうか。


まあ1年後に何が確実に起こり起こらないかは誰にも知り得ないから、その頃「絶対に」終末など来ないとはわたしも断言はしないが、わたしはこういう類いのハナシを微笑しながら聞くタイプだ。仮に本当に第七の天使がラッパを吹いても助かりたいとは思わないし。


おもしろいと思ったのは、この冒頭の話が「ビュガラッシュ」という「パワースポット」とセットになっていることである。
終末説などに夢中になる人々は、パワースポットなどを信じる人たちと一部被っているのではないかと思う。
終末説よりパワースポットのほうがはるかに害はないが。

パワースポットという変な英語はともかく、わたしのような俗悪人とて伊勢神宮やヴィクトリアの滝などを持ち出さないまでも、早朝の教会とか、森などになんとも言えない清浄な空気が流れ、心が洗われるような雰囲気に満たされていると感じられることがある、というのは喜んで認めよう。

それでもマスコミで喧伝されるスポットや、人間の恐怖心につけこむ宗教的勧誘にはカネの匂いがぷんぷんするしていると思う。


「パワースポットのような営業トークにひっかかってしまうのは、たぶん、一人前の大人としての判断力を身につけていないという意味で不運な人々なのだと思う。で、そんなふうに不運に生まれついた人物であるがゆえに、彼らには、パワースポットのような擬似的な慰めが必要なのかもしれない。ここまではわかる。が、業者の側から見れば、彼らの利益の源泉は、運の悪い人間の運の悪さにつけこむことの中にしか無いわけで、つまり、運の悪いカモはカモられ続けるということになる。こんなことで良いのだろうか。彼らはパワーを奪われているのではないのか?」(日経ビジネスオンライン2010年5月7日「パワースポットめぐりでパワーを奪われていないだろうか?」より)

さすが、小田嶋大先生である。



そういえば最近、婚活中の女性の間で「お金持ちと結婚するための75日間プログラム」云々という赤面ものの本とセミナーが流行っていると聞いた(わたしが若い頃は同工異曲の「ルールズ」というのが流行った)。
夢を夢に見る女性がこういう「営業トーク」にまんまとひっかっかるのは分からないでもないが、著者を「お金持ち」にして差し上げているのは何者でもない、あなた自身なのに...もったいない。パワースポット商法と同じ。あくどい。



自分が本当に一番恐れているものは何なのか、を知ることは人間にはたぶんできない。それこそがトラウマと呼ばれるもので、それが何か分かった途端、それはトラウマでも恐怖でもなんでもなくなるからだ。

でもそれを検証してこそ人間は強くなり、成熟に向かう。

一日一日を大切に、隣人を愛し、淡々と生きることがすべてではないのか。
いつ天使がラッパを吹いても涼しい顔をしていられるような毎日を送ることこそが大切なのではないのか。
あなたの正誤を判断し、あなたを選ぶ神やあなたを選ぶ金持ちの結婚相手が存在しなくとも、それでも正しく生きることが重要なのではないのか。

そのためには激混みのパワースポットにわざわざ出かける必要も、終末説も、気のきいた本も、どんな種類のメンターも必要ない。
もしそういうことが必要だと言う魅力的な人が近づいて来たらそれは営業トークである。誰かがめっちゃ儲かってるだけのハナシである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )