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終わりの始まり




昨日日曜日、ブルージュの2件先のお宅でお茶を頂いてから、娘を英国の学校の寄宿舎へ預けに行った(寄宿舎には一日単位で入れてくれるので便利)。

明日からブルージュでは1週間かけて引っ越し作業が始まるので、その間だけ寄宿生活をするのである。

何週か前に練習で一泊させたのがよかったのか、秋晴れのもと意気揚々と舎に入って行った。
彼女の英国生活はすでに始まっているのだ。
母親のわたしが後ろ向きではいけないなあ、と思う。

で、われわれ両親はその足でブルージュへ帰宅。

ブルージュを出たのは14時、戻ったのは23時だった。
日曜日とは言え、ロンドン周辺の渋滞がひどく、思ったよりも時間がかかってしまった...走行距離往復500キロ以上。
ドライバーシートに座りっぱなしだった夫が腰が痛いと言い出した。引っ越し目前にまったく。



この一ヶ月間の活動でも納得するような家は見つからず、最初から押さえてあった郊外の4ベッドルームの中流を絵に描いたような家に10月初旬入居することになった。

何もかもが今の家の半分以下のサイズ。階段の幅も、階段の長さも、天井の高さも(これがとにかく一番こたえる)、バスルームのサイズ、個々のベッドルームのサイズ、リビングのサイズ、暖炉の大きさも...物をすべて放り出して逃げ出したくなる。
「美しい家」か「庵」かの両極端にしか価値を見いだせないのは精神上の大きな問題なのかもしれない。


今でもまだ見ぬ美しい家の夢を見る。

夫は「なに、満足度の低い家にしばらく入居した方が、家探しのモティベーションが下がらなくていいんですよ。」と言った。
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