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バッハを弾く、下手の横好きが



学生時代にも慰められた...今はもうCDプレイヤーがうちにありません



わたしは娘がショパンやラフマニノフ、わたしのリクエストでスクリャービンやベートーベンを演奏するのを聞くのが大好きだ。
一方、自分ではもっぱら箸にも棒にもひっかからない下手クソなバッハを弾いては気分をよくしている。

娘はある有名な音楽家に「究極のバッハ弾き」と評されたことがあるが、残念ながら練習以外では好んで弾くことはない。


11週間目になった英国での隔離生活で、まがりなりにも健康に暮らしていられるのは、5月6月が英国が一番美しい季節であることと(特に今年は晴れが多い)、絶対にバッハのおかげである。


ミラン・クンデラが、彼の音楽的素養を存分に用いた『裏切られた遺言』の中で

「バッハのフーガは存在の主観外的な美を表現させることによって、私たちに自分の気分、情熱と悲哀、自分自身を忘れさせたがるのに反して、ロマン派の旋律は私たちを自分自身のなかに沈み込ませ、恐るべき態度で私たちの自我を感じさせ、外部にあるいっさいのものを忘れさせたがるかのようである。」(ミラン・クンデラ著 西永良成訳『裏切られた遺言』 87頁)

と書いているのはとても印象的で、ほんとうにその通りだと毎日弾きながら思い出している。


また、出典は忘れてしまったが、精神をある方向に病んでいる人にバッハを聞かせると症状がひどくなるという報告があるそうだ。
それはバラバラになった精神が、構築的で数学的に美しい「主観外的な」構図に耐えられないからだという。


主観外的な美といえばこの方


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