日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
augarten
書きたいことの量の都合で昨日の記事から独立させました(それで昨日の記事は最初版とはかなり違っています)。
磁器工房Augarten。
何十年も前、初めて訪れるまでウィーン市街からは離れた森の中にあるのかと想像していたのだが、実際は結構な市街地にある。
前庭には前日に降った雪が残っていた。
改装新オープンが1月17日だったにもかかわらず、その数日後訪れたら閉館したままで地団駄を踏むモエ。
併設のすてきなカフェは営業していたし、雪の残る公園内を散歩できたのでよしとしよう。
17世紀ごろの王侯貴族の間では、東洋の繊細で美しい白磁が、ステイタスや趣味を見せびらかすのにもぴったりの憧れの芸術品だった。
ホーフブルグの博物館には当時の人々の熱狂が伝わってくるような、ものすごく美しい伊万里が飾られている。
欧州各国は自国で磁器を生産すべく競い、最初に成功したのが18世紀初頭、ザクセン選帝侯兼ポーランド王のアウグスト2世に命じられた錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー。
こうして開かれたのが有名なマイセン釜で、アウガルテンは欧州で2つ目になるのだとか。アウガルテンはマリア=テレジアによってハプスブルグ直属となる。
ホーフブルグ博物館には、伊万里を真似て作られた名前も「日本」という磁器セットが飾られており、しかし本物とのデザインの差は歴然としている。本物に比較すると「大量生産の土産物じゃ?」という感じである。
それが現代では「憧れのマイセン」「憧れのアウガルテン」となっているのだから、欲望と洗練とは力あるものだなあ。
アウガルテン(公園)内には「アウガルテン高射砲塔」が残されている。
なんとも言えない冷たさと悲しみを放ちつつ。
「第二次世界大戦中にドイツ空軍が、連合国の空襲から戦略上重要な都市を防衛するための都市防空設備として建築した、鉄筋コンクリート製の巨大な高層防空施設」(Wikipediaより)
アウガルテン高射砲台は使用されることはなかった。
昨日はホロコースト・メモリアル・デイで、夜、モニュメントは紫色にライトアップされ、家庭では窓際にろうそくをともし、ジェノサイドに想いを馳せた。
わたしもロンドンで開かれた行事に参加した。
アウガルテン磁器は、ウィーン本店の地下と、ホーフブルグ宮殿の博物館で。
本店はたまたま他にお客さんがいなかったからか、地下で貴重なコレクションをいろいろ見せてくれた。
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