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khatia buniatishvili@barbican




美しきピアニスト・ブニアティシヴィリの昨夜の公演終了後、シロウトなりにも言いたいことがたくさんあったのだが、少し冷静になってから書くことにした。


去年のリサイタルはロンドンのクイーン・エリザベス・ホール(360席)で空席があるくらいだったが、今年はバービカン・ホール(1158席)の3階部分を閉めた状態でほとんど満席だった。

じわじわ人気が出ているのだ。

花束とお手紙を持って、舞台へ駆け寄る男性の多さよ! 
いいなあー羨ましい。わたしもあんな人生が送りたかった(笑)。


Khatia Buniatishvili

Schubert
Sonata in B-flat major, D960
Standchen (arr Liszt)
Gretchen am Spinnrade (arr Liszt)
Erlkönig (arr Liszt)


Liszt
Transcendental Étude No 4 in D minor, Mazeppa
Hungarian Rhapsody No 6



まず、たぶん彼女の「公演」のスタイルは、わたしが聞きたいなと思う方向性とは違う。
たぶん彼女もそっちを目指していないと思う。

彼女(とマネージメント)が彼女のセールスポイントをよく理解して惜しみなく出し、唯一無二の存在を築き、クラシック音楽の敷居を低くすることに関してはうまくやってほしいと切に願っている。

リサイタルの構成からしてものすごく計算されていると思う。
あれは性交そのものである。ものすごーーーく超々スローなシューベルトのソナタで焦らしに焦らされ、マゼッパからハンガリー舞踊曲にいたる欲情爆発。
安いといえば安い。
どこまでも自己中心的でひたすら彼女(あるいは彼女が売りたいイメージ)を体現した演奏 。技巧で、というより曲芸で観客を幻惑。
でも嫌いではない。

ライブでは感動させた人が名ピアニストなのだから、当然ありだと思う。

胸がこぼれ落ちそうなほど大きく胸元の開いたドレスにハイヒール、真っ赤な唇、美しい眉を寄せ、カールさせた髪を振り乱し、時々かきあげながら、観客は彼女が速く弾けば弾くほど、爆音を鳴らせば鳴らすほど喜び、歓声をとばす。投げキッス。観客は完全に翻弄されて喜んでいる。すごいライブだ。


対照的に前半のシューベルトのソナタ21番への拍手のパラパラさ。
みな退屈しているのか、不安なのか、最初から最後まで咳き込んだり、動き回る人が異常に多い。
この演奏は最初こそ不安定で、むやみにスローではあったが、子供が鍵盤の上に横たわっているのではないかと思うほど慈愛に満ちた演奏だった(それでもわたしはシューベルトは内田さんの演奏の方がずっと好きだが)。


彼女を売る策略ーそれが成功した結果だろう、観客席の雰囲気がわたしが同席したいと思う雰囲気とは違った。
例えばオペラグラスを手にしたおっさんの多さよ。わたしの隣の紳士も、斜め前の紳士も。その気持ちはわからんではない。わたしだってあの美しいゆれる胸元を眺めたい。
それに演奏中に写真を撮ったり録画をしている(禁止されている)人の多さ。

そうだ、わたしはブニアティシヴィリに腹を立てているというよりも、観客に腹を立てていた。

次は彼女の演奏は見たいが(演奏を聞きたい、ではない)、あの観客に混ざるのは嫌だなあ...


(写真は会場のバービカン。八重桜が遠慮がちに咲いていた。わたしはこのコンプレックスがとても好きなのである)
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