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Brugge Style
福音の鐘が鳴るなりハノーファー
今日はおやつの時間を過ぎるころ、ドイツのハノーファーに到着した。
気温20度、晴天。
ホテルに荷物を置いて早速、街歩きに出かける。
わたしはハノーファーに来るのは初めてなのだ。
ロンドンを車で出て、フォークストンでドーバー海峡を渡り、フランスのカレーに到着(したのがもう一週間前)。
ベルギーのアントワープをかすめるように走って、オランダのデン・ハーグへ。一泊。
45分先のアムステルダムに入り、三泊。
アムステルダムが今回のメインで、コンツェルトヘボウでクリスティアン・ツィマーマンのリサイタルに心躍らせ、アムステルダム国立美術館で『フェルメール展』に感動...
ハーレムのハルス美術館を含めて全部で6件の美術館を回った。
デン・ハーグに立ち寄って『真珠の耳飾りの少女』を拝んでから、帰省先のベルギーブルージュで一泊。翌日は友達のお誕生日ランチ。とーっても楽しかった!
再びアントワープをかすめて、ドイツのデュッセルドルフ郊外ヴッパータールで一泊。エンゲルスの生家に行きたかったから...
そして今日はハノーファーに移動し、今夜の一泊。
明日はアイフェル国立公園を訪れ、ベルギー国境の小さな村モンシャウに泊まれたらいいなあ...という予定。
英国島へ渡るまでにまたブルージュで一泊するつもり。
車なので、荷物をその都度きっちりまとめる必要もなく、ここに一泊、あちらへ一泊、というのも全く苦にならないが、何度も荷物を解いてはまとめ、としていたら、はいはい、真珠のイヤリングを片方なくしてしまった模様...
自分のドジさが情けない。
ハノーファーは、かつてハノーファー選帝侯国の宮廷所在地であり、19世紀からはハノーファー王国の首都であった。
かつてはバロック様式の建築物や美しい庭園が特徴だったという。
18世紀から19世紀にかけては、英国とハノーファーとの間で同君連合が成立したため、ハノーファーの領主は英国王を兼ねていた。
英国王位継承者がプロテスタントであることを定めた法律があったため、適当な人物がハノーファーにしかいなかった(ジョージ1世の母ゾフィーがプロテスタントのうちイギリス王家の最近親者にあたる)と..苦肉の策。
19世紀にヴィクトリア女王の即位によって解消され(ハノーファーはサリカ法に基づいて女子の王位継承を認めていなかったため)、ハノーファーと英国は袂を分つ。
そういえば、16世紀宗教改革の時代、ハノーファーの住民の間で福音主義の教えを受け容れる機運が高まり、プロテスタントの騎手マルティン・ルターを支持、ルター派の和協信条に署名した。
上の写真、プロテストするルターの像@マルクト広場。
その文化豊かな街も、第二次世界大戦中に激しい空爆にさらされ、多くの歴史的な建造物や文化財が破壊された。戦後、ハノーファーは復興を遂げ、現代的な都市として再建されたものの、過去の傷跡は今もありありと見ることができる。
あらゆる面で、戦争は絶対に嫌だ...
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