生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

知識が人生を変えていく

2010年04月17日 21時12分09秒 | 放送大学
最近、ネットがフル稼働の状態である。

なんせ、日本福祉大学のオンデマンド講座を相当時間、視聴しなければならない。また、武蔵野大学大学院もログインして勝手にやらなければならい。

そして、懸案だった「放送大学のログイン時エラー発生」の問題が今朝ほど解消した。システムが新しくなったので、以前のパスワードではログインできなくなってしまったのだ。というより、新たなパスワードを登録したのであろうが、忘れてしまっていたのだろう・・・登録した記憶も、すっかり忘却されてしまっている。

パスワード再発行がどうしてもできなかったのだが、数十回トライしたところで、ようやくログインできた!

システムWAKABAを久しぶりに眺めてみる。放送大学で履修した単位は137単位。う~ん、3年次編入なら62単位で卒業できるのだが、2回卒業できる分量である。というより、1年次編入でも単位数だけなら124単位の基準を充足している。無論、面接授業の20単位等、個別の内容は未充足なのだが。

放送大学がCMを放映しているというのがHP上にあったので、内容を見てみると・・・タイトルの「知識が人生を変えていく」というコメントが放映されていた。

そうだな・・・知識は人生を変えていくというのは事実だろうな。というより、最低限の知識がないと生きていけないし、知識を吸収していくことで、新たな発見があるというのはよくあることである。

われわれ人類は、過去に獲得された知識や知恵、理論や研究結果等を使って効果的に生活している。過去の知識がなければ、文明の利器と呼ばれるものはすべて作り出すことができない状態になる。火すらおこすこともできないだろう。猿人や原人のような生活に逆戻りしてしまう。

学習することのみが、この過去から蓄積してきた「先達の知識」を継承していくことを許容する。学習を放棄した時点で人類は絶滅の危機を迎えるだろう。

誰かが新たな研究をしてくれているからドンドン快適な生活が構築されていくし、学校の先生や教師の方々、あるいは家庭が必要な知識を教育してくれるので、一般社会でも大きな混乱なく、秩序のある生活が送れている。

で、私が思うのが、自分だけがフリーライダーになっていいのか?ということである。もちろん、我々は労働し、己の役割期待に応えることで文明社会の一端を担っている。しかし、それは賃金を得ることが目的である場合が多い。過去の知識を使わせていただいて快適な生活を送っているのであれば、その知識を更に発展させ、伝達していく義務もあるのではないか・・・と思うわけである。「フリーライダー=タダ乗り」では、申し訳ない。それも私が学習する一つの根拠となっている。

ただ、最近、学習の守備範囲を広げてしまい、粗雑な学習となっているのが懸案事項である。
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本日の機構!

2010年04月17日 21時08分53秒 | 大学評価・学位授与機構
帰り道なので、機構の写真を撮ってみました!
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放送大学で面接授業!

2010年04月17日 21時04分59秒 | 放送大学
「裁判の話-比較の中の過去と現在」を受講している。

本日は一橋大学大学院の先生がリレーで講義をされた。非常に興味深く、考えさせられるものであった。明日の授業が楽しみである。

さて、昼ごはんは一橋学園駅前で天丼を食べたが、結構油が重く、まだ、胃がもたれている・・・家に帰って食べた方がよかったかな?

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これから放送大学へ!

2010年04月17日 08時56分55秒 | 放送大学
10時から面接授業です。

遠隔地だと、雪やら電車のダイヤが気になるところですが、歩いていける距離なので安心です。
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人脈。

2010年04月17日 05時09分17秒 | 読書
サラリーマンの癖に、私の専門分野の1つに大学教育というものがある。

通信制大学や大学での学習に関連して「学士(教育)」や「学士(社会科学)」を授与されている。また、「修士(教育学)」についても、修士論文は大学について言及している。

で・・・「出逢いの大学」という本の題名だけで、勝手に「大学での出逢いが人間を成長させる」という本だと思って買ってしまった!

中身を読んでいくにつれ、「大学」とは全く関係ないものだということを悟った。

サブタイトルに「普通のサラリーマンが黄金人脈を作る法則」とあるように、人脈を作るためのテクニックを教える=「大学」というものだった。

著者は「わずか3年で3000人以上の交友関係を築き・・・」とある。私の常識からすると、3000人の交友関係を維持することは事実上ムリと思う。

昔、私は年賀状を500枚書いていたが、それは真の意味で「交友関係」ではないと悟り、今では50枚ぐらいしか書いていない。しかも、コメントを入れる年賀状は稀である。すごく失礼なやつである。

大体、「人脈」という言葉が気に食わない。「人脈」って何なの?同世代なら「友人」でいいじゃん。「先生」とか「後輩」とか、色々カテゴリーがあるわけで、なんだかそういう大切な関係と、「名刺交換しただけ」「知っているだけ」という低レベルな関係もひっくるめて「人脈」ということが気に食わない。

私の勝手な解釈かもしれないが「名刺交換した名刺の相手を人脈と思ってはいけない」と思っている。また「名刺を持っているだけが人脈ではない」ということも認識しておかなければならない。

MBAでは、高名な方が大学で講義をしたあと、学生が行列をなして名刺交換をする。「おいおい、何してんねん!」っていうくらい見苦しい・・・「一体、名刺交換して何をしたいの?あんたら、講師と対等じゃないのに、自分から名刺を交換するのかよ!」と思ってしまう。講師の立場からすれば、名刺交換しても何~のメリットもありゃしない。強引に名刺交換する学生は、きっと、名刺のコレクターなんだろうな~と思ってしまう。で、「おいらはこんな有名人の名刺を持っているんだぜ!」って自慢したりするんだろうな・・・

いわば「名刺狩り」である。

基本的に私は相手が私の名刺を持つことでメリットがあるであろう場合を除いて、自分から名刺を渡すことはない。無論、請われれば「会社の名刺」でも「プライベートの名刺」でも名刺交換させていただくが。やはり「会社の名刺」より「プライベートの名刺」の方が人気?がある(笑)

極稀に、私の方から名刺をおねだりすることもあるが、それは心から尊敬する人の名刺をお守り代わりに持ちたい気持ちからかしら?

正直、私、産業能率大学大学院のときのゼミの先生の名刺も持っていないし、明星大学大学院のときのゼミの先生の名刺も持っていない。名刺はないし、年賀状も交換していないが、私とのつながりの濃さからすれば、かなり上位に入ってくる方々である。


さて・・・だまされた感を持ちつつ、この本を読みましたが、意外と「なかなかいいこと書いているじゃん!」と得した感じでした。

人脈という言葉は嫌いだけど、よくよく考えれば、サブタイトルのとおり、「普通のサラリーマンである私が、ありえないようなネットワークを構築できている」のは何故か?多くの恩師、多くの異業種の友人を、30代後半から増やしていくことができた。しかも、仕事を通じて構築したものはほとんどなく、会社の看板ではなく、ありのままの自分を前面に出して築いてきたものである。つまり、会社を辞めても、変動しないつながりである。

この本の著者も、どのようなものでもいいから「出逢いを増やす」ことが人脈を作る基本としている。これは非常に正論である。出逢いがない限り、人脈は広がらない。にもかかわらず、会社以外の外部と接触しない社会人が、なんと多いことか・・・

とはいえ、私の場合、セミナーを主催するわけでもなく、「会社」を除く出逢いは「大学」と「ネット(このブログ)」ぐらいである。しかし、それが、思いもよらないような、貴重なネットワークを生み出している。それこそ、私にとって「黄金人脈」といえるのかもしれない。

まずは、外に出てみること。そして、人と接点を持つこと。そうしない限り人脈は広がらないし、人生、つまんないと思うのだが・・・如何?
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