3月27日、久しぶりに晴れ間が出たので、ミンヨン氷河に向かった。
谷に沿って緩やかな山道を2時間ほど歩くと、太子廟という小さなお寺に着く。この辺りで標高2940m。正面には、ミンヨン氷河が圧倒的な迫力で迫り、その上に、梅里雪山の主峰・カワクボ(6740m)が、朝陽に照らされて輝いている。ユイポンの峠で見て以来、ずっと雨や雲り空だったので、10日ぶりに見るカワクボだ。
(太子廟の背後、ミンヨン氷河の上に、主峰のカワクボが見える。)
(急峻なアイスフォールとなって落ちるミンヨン氷河)
少し先は、急峻なアイスフォールになっていて、ズタズタに切り裂かれた氷塊が、今にも崩れ落ちそうに積み重なっている。時々、氷塊が、ドーンと大きな音を立てて崩れる。18日に初めてここに上がってきたのだが、「怖い!」というのが、この氷河を見た第1印象だった。17人は、何年もかけて、こんな荒れた氷河を流されてきたのかと思うと、やはり胸が痛んだ。
1991年1月、標高5100mの第3キャンプで大雪崩に襲われたメンバーたちの遺体は、1998年から2005年にかけて、順次、この氷河で収容された。今までに、17人のうち、16人の遺体が見つかっている。当初は、氷河の標高3700m付近で見つかったが、その後、この急峻なアイスフォールを落ち、2005年には、標高2600mの氷河末端地点近くで見つかっている。彼らは、14年かけて、標高差2500mも下ってきたのだ。
普通、ヒマラヤの氷河の流速は、年間数十メートルほどと言われている。ところが、このミンヨン氷河は、1年で200m~500mほども動いているということが、遺体発見状況により判明した。死んだ井上治郎は、気象や氷河の専門家だった。その彼が、自らの身体を通して、この氷河が世界でも最も早く流れる氷河の一つであることを証明したのだ。
もう一度、氷河を眺める。アイスフォールの少し上、氷河が左に大きく曲がり、やや平坦になった辺りが、1999年8月、井上の遺体が見つかった場所に違いない。
17人を偲んで、太子廟を右まわりに3週した後、廟の中に入り、お参りをした。ペマツモさんに教えてもらって、見よう見まねの五体投地をし、大きなマニ車をまわした。
(太子廟には、村のお婆さんたちが泊まり込み、廟を回りながらお祈りを続けていた。)