■メイン写真
近畿最高峰・八経ヶ岳の山頂
■今回のコース
行者還トンネル東口→(論所ノ尾)→一ノ垰(タワ)→出合→石休ノ宿跡→弁天ノ森→聖宝ノ宿跡→
弥山小屋→八経ヶ岳→弥山→弥山小屋→(往路を戻る)→行者還トンネル東口
今年も近畿最高峰の八経ヶ岳へ。
まず6月29日にM社登山ツアーのガイドとして登り、この日は自前のパーティで挑戦。
いずれも上天気だったが、とにかく暑い。水分を積極的に摂りながら、熱中症にならない
ようペースや休憩場所などに配慮しながら歩いた。
そもそも今シーズンは、春に国道309号線の天川村側(小坪谷)で崩落があり、行者還岳トンネルも
含めて通行止めになっている。
よって、一般的な登山口のである行者還岳トンネル西口の有料駐車場が使えず、やむを得ず
トンネル東口からのアプローチとなる。
駐車スペースがないうえに、歩行時間も往復1時間ほど余分にかかってしまう。
もともと、比較的ハードな八経ヶ岳。日帰りで行く場合は日没との時間的な戦いもある。
トンネル東口では、クルマが路肩に延々と駐車されていて、往年の大台ヶ原のようだった。
地元の方からは、林業やトンネル補修工事の妨げになるので、トンネル東口付近の駐車は
遠慮したもらいたいと聞いたが、現場には、そのようなことを訴える貼り紙等はない。
当方は、ともちゃんにクルマを一旦、迷惑にならない下のほうまで回送してもらい、
夕方に再度、迎えに来てもらう作戦だ。
トンネル東口をスタート。
すぐに山道に入る。赤い標識に「一ノ峠」と書かれているが、これは一ノ垰(タワ)の
誤り。現状、YAMAPでも誤っている(指摘済み)だが、昔からの地名は大事にしてほしい。
ヤマアジサイ。
論所ノ尾の急坂を上る。「論所」は、境界や所有権めぐる紛争の地を意味する。
この尾根を境に、山の所有者が異なったのだろうか。
一ノ垰からは奥駈道に合流する。気持ちのいい尾根道をしばらく行くと、
目指す八経ヶ岳と弥山が姿を現した。「え?あんなに遠いの?」の声も。
大栂山への分岐を過ぎ、本来登ってくる予定だった、トンネル西口からの道との出合へ。
ここで昼食タイムとした。
昼食を終えてさあ、出発しようと皆さんに声をかけたら、我々パーティに背を向けて
座っていた体格のいい男性が、なにやらMr.Dashを呼ぶではないか。
こちらのパーティが何か迷惑をかけたのかなと思い、「誰ですか?」と近づくと、
「Tだ、T!!」と笑顔。なんと、以前に勤めていた会社の元常務さんだった。
こちら、会社を辞めて7年になるが「声を聞いてわかった」とおっしゃる。
お元気そうで何より。ガッチリ握手して懐かしむ。
サラリーマン時代、Tさんとは、岐阜県の平湯温泉の露天風呂でばったり会うなど
山好き同士の不思議なご縁。
ちょうど10年前、会社の山岳部の例会にゲスト参加され、一緒に行者還岳に登ったことも。
この時は、山行の途中で会社の役員さんがお忍びで来ていることに気付いて
緊張の表情に変わった山岳部員たちの姿が愉快だった。
弁天ノ森。三角点がある、なだらかなピーク。
途中、稲村ヶ岳と山上ヶ岳が見える。
聖宝ノ宿。聖宝(理源大師)は、光仁天皇の玄孫で、修験道中興の祖と言われる。
醍醐寺の開祖でもある。
聖宝八丁は、弥山小屋までの標高差300mの急登だ。
大普賢岳が見えてきた。だいぶ標高を稼いできた。
聖宝八丁の途中、標高約1800mあたりの展望スポット。
日なたなので暑いのだが、大台ヶ原が正面にドーンと見える。
あと少しで線小屋に着くというとき、丸々としたシカが我々の前を悠然と横切って行った。
まだバンビの斑点が残る若い個体だ。
弥山小屋前で少し休憩して、いよいよ八経ヶ岳をめざす。
オオヤマレンゲは今が花期。
しかし、保護柵のどこかが破損しているのか、オオヤマレンゲの葉の大半が食われて
しまっており、花がついた株はわずか。明らかなケモノ臭がする場所もあり、
来年以降が心配だ。
八経ヶ岳の山頂に到着。この日は1名を除く全員が初登頂ということで、
感激もひとしおの様子だった。
下山時間を考えると、あまり滞在時間を取れなかったのが残念だ。
山頂からは弥山小屋も見える。
その弥山小屋に戻る。
あまりのんびりとはしておられないものの、弥山の山頂にも寄る。
帰路、聖宝八丁の真ん中あたりで、何やら人の声がした。
近寄ると、おそらく熱中症で動けなくなった人がおられ、そのパーティの方が
介抱していた。水分補給等、こちらがフォローできる可能性がある内容を確認したが、
既にできる対処は適切に終えており、さらに、もう救助ヘリを呼んでおり、
あと7分ほどで来ることになっているとのこと。接近時のローターが起こす風が危険なので、
すぐに下りたほうがよいとの助言で、我々パーティは現場を後にした。
聖宝ノ宿で休憩していたら、ヘリがやってきた。すぐに要救助者を発見できたようで、
何度か現場を旋回してからホバリング。鮮やかだった。
我々パーティは順調に下山。長丁場であったが日没までに登山口に戻ることができた。
最後まで暑さに苦しめられたものの、全員無事に戻れた喜びと安堵に包まれた。
酷暑の登山も、なかなか怖いものである。
近畿最高峰・八経ヶ岳の山頂
■今回のコース
行者還トンネル東口→(論所ノ尾)→一ノ垰(タワ)→出合→石休ノ宿跡→弁天ノ森→聖宝ノ宿跡→
弥山小屋→八経ヶ岳→弥山→弥山小屋→(往路を戻る)→行者還トンネル東口
今年も近畿最高峰の八経ヶ岳へ。
まず6月29日にM社登山ツアーのガイドとして登り、この日は自前のパーティで挑戦。
いずれも上天気だったが、とにかく暑い。水分を積極的に摂りながら、熱中症にならない
ようペースや休憩場所などに配慮しながら歩いた。
そもそも今シーズンは、春に国道309号線の天川村側(小坪谷)で崩落があり、行者還岳トンネルも
含めて通行止めになっている。
よって、一般的な登山口のである行者還岳トンネル西口の有料駐車場が使えず、やむを得ず
トンネル東口からのアプローチとなる。
駐車スペースがないうえに、歩行時間も往復1時間ほど余分にかかってしまう。
もともと、比較的ハードな八経ヶ岳。日帰りで行く場合は日没との時間的な戦いもある。
トンネル東口では、クルマが路肩に延々と駐車されていて、往年の大台ヶ原のようだった。
地元の方からは、林業やトンネル補修工事の妨げになるので、トンネル東口付近の駐車は
遠慮したもらいたいと聞いたが、現場には、そのようなことを訴える貼り紙等はない。
当方は、ともちゃんにクルマを一旦、迷惑にならない下のほうまで回送してもらい、
夕方に再度、迎えに来てもらう作戦だ。
トンネル東口をスタート。
すぐに山道に入る。赤い標識に「一ノ峠」と書かれているが、これは一ノ垰(タワ)の
誤り。現状、YAMAPでも誤っている(指摘済み)だが、昔からの地名は大事にしてほしい。
ヤマアジサイ。
論所ノ尾の急坂を上る。「論所」は、境界や所有権めぐる紛争の地を意味する。
この尾根を境に、山の所有者が異なったのだろうか。
一ノ垰からは奥駈道に合流する。気持ちのいい尾根道をしばらく行くと、
目指す八経ヶ岳と弥山が姿を現した。「え?あんなに遠いの?」の声も。
大栂山への分岐を過ぎ、本来登ってくる予定だった、トンネル西口からの道との出合へ。
ここで昼食タイムとした。
昼食を終えてさあ、出発しようと皆さんに声をかけたら、我々パーティに背を向けて
座っていた体格のいい男性が、なにやらMr.Dashを呼ぶではないか。
こちらのパーティが何か迷惑をかけたのかなと思い、「誰ですか?」と近づくと、
「Tだ、T!!」と笑顔。なんと、以前に勤めていた会社の元常務さんだった。
こちら、会社を辞めて7年になるが「声を聞いてわかった」とおっしゃる。
お元気そうで何より。ガッチリ握手して懐かしむ。
サラリーマン時代、Tさんとは、岐阜県の平湯温泉の露天風呂でばったり会うなど
山好き同士の不思議なご縁。
ちょうど10年前、会社の山岳部の例会にゲスト参加され、一緒に行者還岳に登ったことも。
この時は、山行の途中で会社の役員さんがお忍びで来ていることに気付いて
緊張の表情に変わった山岳部員たちの姿が愉快だった。
弁天ノ森。三角点がある、なだらかなピーク。
途中、稲村ヶ岳と山上ヶ岳が見える。
聖宝ノ宿。聖宝(理源大師)は、光仁天皇の玄孫で、修験道中興の祖と言われる。
醍醐寺の開祖でもある。
聖宝八丁は、弥山小屋までの標高差300mの急登だ。
大普賢岳が見えてきた。だいぶ標高を稼いできた。
聖宝八丁の途中、標高約1800mあたりの展望スポット。
日なたなので暑いのだが、大台ヶ原が正面にドーンと見える。
あと少しで線小屋に着くというとき、丸々としたシカが我々の前を悠然と横切って行った。
まだバンビの斑点が残る若い個体だ。
弥山小屋前で少し休憩して、いよいよ八経ヶ岳をめざす。
オオヤマレンゲは今が花期。
しかし、保護柵のどこかが破損しているのか、オオヤマレンゲの葉の大半が食われて
しまっており、花がついた株はわずか。明らかなケモノ臭がする場所もあり、
来年以降が心配だ。
八経ヶ岳の山頂に到着。この日は1名を除く全員が初登頂ということで、
感激もひとしおの様子だった。
下山時間を考えると、あまり滞在時間を取れなかったのが残念だ。
山頂からは弥山小屋も見える。
その弥山小屋に戻る。
あまりのんびりとはしておられないものの、弥山の山頂にも寄る。
帰路、聖宝八丁の真ん中あたりで、何やら人の声がした。
近寄ると、おそらく熱中症で動けなくなった人がおられ、そのパーティの方が
介抱していた。水分補給等、こちらがフォローできる可能性がある内容を確認したが、
既にできる対処は適切に終えており、さらに、もう救助ヘリを呼んでおり、
あと7分ほどで来ることになっているとのこと。接近時のローターが起こす風が危険なので、
すぐに下りたほうがよいとの助言で、我々パーティは現場を後にした。
聖宝ノ宿で休憩していたら、ヘリがやってきた。すぐに要救助者を発見できたようで、
何度か現場を旋回してからホバリング。鮮やかだった。
我々パーティは順調に下山。長丁場であったが日没までに登山口に戻ることができた。
最後まで暑さに苦しめられたものの、全員無事に戻れた喜びと安堵に包まれた。
酷暑の登山も、なかなか怖いものである。