![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/2b/31e72dcc1fd2735d2b2af1dbf1f430b1.jpg)
■メイン写真
途中に通りかかる、修験の寺・教弘寺。現在は中之坊のみが残る無住の寺。
■今回のコース
ケーブル宝山寺駅→宝山寺→大聖院(岩谷の滝)→舗装道終点→教弘寺→七つ森地蔵→
鶴林寺→藤尾の石仏→やまびこホール→(竹林)→四つ辻→千光寺→清瀧石仏群→元山上口駅
生駒の忘れ去られた古道のひとつ、庄兵ヱ道。
江戸時代、地元・鬼取に住む庄兵ヱさんが、宝山寺中興の祖・湛海律師から、
ともに修験の寺であった宝山寺と千光寺の間を結ぶ道の整備を頼まれて拓いたルートだ。
明治以降、廃仏毀釈や修験禁止令によって、いつしか道の存在が忘れられたが、
最近、地元の研究者などによって再発見され、歩く人も少しずつ増えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c7/bc5bf962d343df525b553206a237c416.jpg)
庄兵ヱ道の起点、宝山寺。バックにそびえる般若窟のインパクトがすごい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/2b50f50dd3d0ffe2e250aa3c615e8aee.jpg)
般若窟は、奈良時代に修験道の祖・役行者が修業し、般若経を納めた場所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ed/583a064b4589062dbdab754f1d5d9c76.jpg)
境内の庇の下に、巣立ち間近のツバメの子たち。狭くなったマイホームだが、
まだ飛べないので、詰めてスワロー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d5/793593b778046d702cd096bc1a906340.jpg)
ユキノシタの花がちょうど旬を迎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/68/acdf545a7fb8d324d965375c04a7dd91.jpg)
大聖院(岩谷の滝)では、法螺貝がぶら下がっていた。
ここは唐招提寺の修行場として、約120年前に創建された、比較的新しい寺だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/40/f55df27ee97e868c1f96760c9acdc93b.jpg)
そのまま舗装道を直進していくと、遠く大峰山系が望めた。役行者も眺めたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8c/3d2069d947a82213094b04ea6fa5e97a.jpg)
舗装道の終点から薮道に入る。いきなり、古道の雰囲気に包まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0a/e665824bea26214aa104253f10c0b8d7.jpg)
いきなり教弘寺の裏手に飛び出すのでビックリ。
江戸時代の史料では、5つの草房があったとされる。
教弘寺にある役行者石像は安土桃山時代の作という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/33/47d8e6a00f485018671494efce533193.jpg)
教弘寺からは、しばらく舗装道を歩く。
七つ森地蔵。地元では、七つ森の樹々を切ると祟りがあるという言い伝えがあるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/84/4f1c053c15649595c7be5cba48dfb232.jpg)
鶴林寺。元々は奈良時代に行基が開創したと伝えられる。当時はもっと生駒山の山頂に
近いところにあり、現在もその跡地はなかなかのパワースポットだ。江戸時代に当地に移転。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/17/c7df4354a25bae232d6c78c29bf3dd98.jpg)
生駒山稜線に立ち並ぶ電波塔群を見ながら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d1/9d2b36c104d2bff3887e88974886ed5e.jpg)
藤尾の石仏。鎌倉時代の文永7年(1270年)の造立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3f/26d5c8578271f9b820b54d08ce9f7314.jpg)
やまびこホールを少し過ぎたところで右の細道に入ると、すぐに竹林に入る。
荒れた竹林の中だが、道はしっかりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/70/742b37703ff596c45f74b5d868ea8a22.jpg)
橋を渡って草深い道を進む。溜池の横を通って緩い坂を登っていくと、
倒れた古い標石に出くわす。これ以降、同じ形の標石をよく見る。
[右]宝山寺、[左]元山上などと刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/10/84bdcbdbe947356f85929b050e44cdf5.jpg)
アオスジアゲハが羽ばたいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/54/3867348e39410a1f42798ad9fdd142ff.jpg)
それほどの坂ではないが、尾根を越える。尾根上の四つ辻にも標石が立つ。
ここで休憩したが、尾根を通り過ぎる風が心地よかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f4/6efe66ec13db9a8ce204cc77cf351cc6.jpg)
美しい棚田に下りてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/13/e00895106fca4b3b945a6a37b0e70826.jpg)
そして、庄兵ヱ道のゴール、元山上・千光寺に到着。
ここも役行者の開創。ウルシの木で千手観音を刻んで草庵に安置したという。
後世になって、役小角が大峯山を開くより前に修行した場所ということで
「元山上」と呼ばれるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/89/6d121cf78865cb169acdc49ecb028494.jpg)
ゆるぎ地蔵の角を右に下りる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9b/a338df8dd34ba3c9d76388b558ff1cdf.jpg)
清瀧石仏群を抜ける。川の流れのおかげで涼しい風が吹いていた。
写真は貝吹き地蔵。八尺地蔵の横の水垢離場は、水の流れが復活していた。
のどかな農村風景を楽しみながら、近鉄元山上駅へ。
ピークを通らないハイキングだが、廃道の探検的ムードが楽しいルートだ。
途中に通りかかる、修験の寺・教弘寺。現在は中之坊のみが残る無住の寺。
■今回のコース
ケーブル宝山寺駅→宝山寺→大聖院(岩谷の滝)→舗装道終点→教弘寺→七つ森地蔵→
鶴林寺→藤尾の石仏→やまびこホール→(竹林)→四つ辻→千光寺→清瀧石仏群→元山上口駅
生駒の忘れ去られた古道のひとつ、庄兵ヱ道。
江戸時代、地元・鬼取に住む庄兵ヱさんが、宝山寺中興の祖・湛海律師から、
ともに修験の寺であった宝山寺と千光寺の間を結ぶ道の整備を頼まれて拓いたルートだ。
明治以降、廃仏毀釈や修験禁止令によって、いつしか道の存在が忘れられたが、
最近、地元の研究者などによって再発見され、歩く人も少しずつ増えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c7/bc5bf962d343df525b553206a237c416.jpg)
庄兵ヱ道の起点、宝山寺。バックにそびえる般若窟のインパクトがすごい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/2b50f50dd3d0ffe2e250aa3c615e8aee.jpg)
般若窟は、奈良時代に修験道の祖・役行者が修業し、般若経を納めた場所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ed/583a064b4589062dbdab754f1d5d9c76.jpg)
境内の庇の下に、巣立ち間近のツバメの子たち。狭くなったマイホームだが、
まだ飛べないので、詰めてスワロー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d5/793593b778046d702cd096bc1a906340.jpg)
ユキノシタの花がちょうど旬を迎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/68/acdf545a7fb8d324d965375c04a7dd91.jpg)
大聖院(岩谷の滝)では、法螺貝がぶら下がっていた。
ここは唐招提寺の修行場として、約120年前に創建された、比較的新しい寺だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/40/f55df27ee97e868c1f96760c9acdc93b.jpg)
そのまま舗装道を直進していくと、遠く大峰山系が望めた。役行者も眺めたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8c/3d2069d947a82213094b04ea6fa5e97a.jpg)
舗装道の終点から薮道に入る。いきなり、古道の雰囲気に包まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0a/e665824bea26214aa104253f10c0b8d7.jpg)
いきなり教弘寺の裏手に飛び出すのでビックリ。
江戸時代の史料では、5つの草房があったとされる。
教弘寺にある役行者石像は安土桃山時代の作という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/33/47d8e6a00f485018671494efce533193.jpg)
教弘寺からは、しばらく舗装道を歩く。
七つ森地蔵。地元では、七つ森の樹々を切ると祟りがあるという言い伝えがあるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/84/4f1c053c15649595c7be5cba48dfb232.jpg)
鶴林寺。元々は奈良時代に行基が開創したと伝えられる。当時はもっと生駒山の山頂に
近いところにあり、現在もその跡地はなかなかのパワースポットだ。江戸時代に当地に移転。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/17/c7df4354a25bae232d6c78c29bf3dd98.jpg)
生駒山稜線に立ち並ぶ電波塔群を見ながら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d1/9d2b36c104d2bff3887e88974886ed5e.jpg)
藤尾の石仏。鎌倉時代の文永7年(1270年)の造立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3f/26d5c8578271f9b820b54d08ce9f7314.jpg)
やまびこホールを少し過ぎたところで右の細道に入ると、すぐに竹林に入る。
荒れた竹林の中だが、道はしっかりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/70/742b37703ff596c45f74b5d868ea8a22.jpg)
橋を渡って草深い道を進む。溜池の横を通って緩い坂を登っていくと、
倒れた古い標石に出くわす。これ以降、同じ形の標石をよく見る。
[右]宝山寺、[左]元山上などと刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/10/84bdcbdbe947356f85929b050e44cdf5.jpg)
アオスジアゲハが羽ばたいていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/54/3867348e39410a1f42798ad9fdd142ff.jpg)
それほどの坂ではないが、尾根を越える。尾根上の四つ辻にも標石が立つ。
ここで休憩したが、尾根を通り過ぎる風が心地よかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f4/6efe66ec13db9a8ce204cc77cf351cc6.jpg)
美しい棚田に下りてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/13/e00895106fca4b3b945a6a37b0e70826.jpg)
そして、庄兵ヱ道のゴール、元山上・千光寺に到着。
ここも役行者の開創。ウルシの木で千手観音を刻んで草庵に安置したという。
後世になって、役小角が大峯山を開くより前に修行した場所ということで
「元山上」と呼ばれるようになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/89/6d121cf78865cb169acdc49ecb028494.jpg)
ゆるぎ地蔵の角を右に下りる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9b/a338df8dd34ba3c9d76388b558ff1cdf.jpg)
清瀧石仏群を抜ける。川の流れのおかげで涼しい風が吹いていた。
写真は貝吹き地蔵。八尺地蔵の横の水垢離場は、水の流れが復活していた。
のどかな農村風景を楽しみながら、近鉄元山上駅へ。
ピークを通らないハイキングだが、廃道の探検的ムードが楽しいルートだ。