Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

ドキュメント「気象遭難」(山と渓谷社、羽根田治著)を読んでまたまた震えた!

2008年09月26日 | 山に関する本やマンガ
先日、本欄で紹介した『滑落遭難』に続き、『気象遭難』を読んだ。
7編の気象遭難事例が迫真の描写で紹介されている。

有名な1989年の中高年パーティの立山三山での10人中、8人の死亡事件も
載っていた。
事件が起きたのは10月8日。時ならぬ吹雪。軽装の登山者たちはしだいに
遅れをとる者が出始め、パーティはバラバラに分散。
リーダーそのものが不明確だったようで、統率する者もなく、あえなく
倒れてしまう。

実はMr.Dashは、この前年、全く同じ時期に、同じ場所を縦走していた。
しかも、彼らよりもっと軽装で。
雄山のピークで、ブランデー紅茶に舌鼓を打っていたくらい、油断していた。
Mr.Dashの高山デビューは実は結構遅くて、この立山が初めて、自力で登った
3000mである。

もっとも、実は2歳のときに両親に連れられ、雪の一ノ越手前までは登っていたが。
このとき、登山をやらない両親は、なんと普通の運動靴で、登山者に
「そんな靴で、しかもそんな小さい子を連れて!」と注意されていたそうな。
当たり前だ!

話を戻して、1988年、我々のとったルートは下記の通り。

10/9 JR信濃大町⇒扇沢⇒(トロリーバス)⇒黒部ダム⇒(ケーブルカー)⇒
   黒部平⇒(ロープウェイ)⇒大観峰⇒雷殿→東一ノ越→一ノ越→
   立山雄山→一ノ越→室堂(ニューフサジ泊)
10/10 ニューフサジ→美女平⇒富山

半分、旅行みたいな行程であり、高所経験は皆無。
翌年、遭難事件のニュースを見て、震え上がったものだ。

今回、『気象遭難』を読んで、久しぶりに、その時の記憶が蘇った。

2つ玉低気圧が剱岳を襲った事例紹介も、我が事のように思えた。
クロスカントリースキーを履きつつ、腰までのラッセルを強いられた
八ヶ岳(麦草)。
あのときは2つ玉低気圧の来襲を知りつつ、国道をスキーで上がるだけなら
大丈夫とタカをくくっていた。
確かに、遭難はしそうになかったが、予想外の苦労を強いられたのは
いい経験だったが、もうコリゴリ。

以来、確かに、天気には敏感になった。
最近は、写真も撮れないような悪天候の時にわざわざ行くまでもないと
達観しつつある。単に若さがなくなっただけかな?



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