■メイン写真
ダンノダイラの東端にある磐座
■今回のコース
出雲バス停→十二柱神社→奥不動寺分岐→天壇跡→ダンノダイラ→磐座→アンテナ基地→
巻向山直下→水場分岐→愛宕大権現→秉田神社→出雲バス停
奈良県桜井市に、出雲という地名が残る。
大和政権よりはるか昔、この地に住む「出雲族」が、周辺地域で力をもっていたと
いう説もあるが、実のところ真相はまったく分からないため、「正式な」日本史には
登場しない。
それだけでもう、ひたすらロマンを感じてしまうのだが、巻向山に登る途中に、
この出雲族の信仰の対象であったという磐座と、実際に村があったと伝わる場所、
ダンノダイラが存在する。
ハイキングというには足りない、まさに散歩程度の行程だが、この地を訪ねてみた。
まず、出雲の十二柱神社に寄ってみた。
その名の通り、国常立神(くにとこたちのかみ)はじめ神世七代の神々と、天照大神など
12の古い神様が祀られている。そのほか、相撲の祖・野見宿禰(のみのすくね)も
祀られている。伝説をそれなりに裏付けるだけに、興味深い。
また、この地は第25代・武烈天皇の泊瀬列城宮跡とする説もある。
地元のおじいさんに、奥不動寺までの道を尋ね、簡易舗装の林道を登っていくと、
セイヨウタンポポに押されぎみながらも、シロバナタンポポの群落があった。
農地から山林に入るあたりに、古い石碑があった。「富村弥兵衛」とある。
ここからの急坂がとにかくつらい。舗装されているがゆえに、しんどい。
普通の山道だったら余裕なのに。
標高330mあたりで林道が終わり、植林の中の明瞭な道を登り続ける。
たまに「アンテナ基地」への私製標識がある。しばらくは、この標識が役立つ。
奥不動寺との分岐に出ると、「左へダンノダイラ200m」の標識がみられる。
なんなくダンノダイラの西側、「天壇」の跡に着く。
説明板がなければ、緩斜面の植林地にしか見えない。
すぐ東に行くと、ダンノダイラには古代の出雲ムラがあり、日本建国の母胎であったか
とする説明板が立つ。
湧水の「小川跡」があり、明治の初めごろまで住民がいたという。
なぜ大和川(初瀬川)添いの場所ではなく、古代人がこんな山奥に住んでいたのかと
疑問もわくが、出雲族にはいろんな伝説があり、もともと三輪山山麓にいた彼らが
他の勢力に攻められて、ここに移ったとする説もあるので、山の中に逃げ込んで
なかば籠城するように住んでいたのかもしれないと空想すると面白い。
さらに東へ少し進むと、巨大な磐座が出てくる。今も注連縄がかけられている。
出雲族の磐座信仰を示す遺構は、各地に存在する。
一番下の巨岩の直下に回り込んでみた。すごい迫力だ。
その巨石の上部には、少し小さめの岩が数個、鎮座する。
もし樹木がなかったら、朝倉から大宇陀あたりまでを一望できるはずだ。
周りには古木・巨樹は見られない。
昔は樹を伐って、絶景の地にしていたのだろうなと確信できる。
磐座からは北に進路を変え、ものすごい急登に立ち向かう。
登りきったところにアンテナが建つ。出雲地区共同アンテナとのことだ。
アンテナからは西側が開けている。
この日のコースは、これといった展望ポイントがないので、ここで昼食にした。
巻向山のピークへはこの日は寄らず、これまで歩き残していた山頂直下の南側からの
巻き道を下山道に使ってみた。
巻向山東南尾根の山腹を快調に下っていくと、白河の愛宕大権現の手前に下り立つ。
雄略天皇が地元の美少女・赤猪子に声をかけた伝説が残る秉田(ひきた)神社で、
今回の短い歴史散歩はおしまい!
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!
ダンノダイラの東端にある磐座
■今回のコース
出雲バス停→十二柱神社→奥不動寺分岐→天壇跡→ダンノダイラ→磐座→アンテナ基地→
巻向山直下→水場分岐→愛宕大権現→秉田神社→出雲バス停
奈良県桜井市に、出雲という地名が残る。
大和政権よりはるか昔、この地に住む「出雲族」が、周辺地域で力をもっていたと
いう説もあるが、実のところ真相はまったく分からないため、「正式な」日本史には
登場しない。
それだけでもう、ひたすらロマンを感じてしまうのだが、巻向山に登る途中に、
この出雲族の信仰の対象であったという磐座と、実際に村があったと伝わる場所、
ダンノダイラが存在する。
ハイキングというには足りない、まさに散歩程度の行程だが、この地を訪ねてみた。
まず、出雲の十二柱神社に寄ってみた。
その名の通り、国常立神(くにとこたちのかみ)はじめ神世七代の神々と、天照大神など
12の古い神様が祀られている。そのほか、相撲の祖・野見宿禰(のみのすくね)も
祀られている。伝説をそれなりに裏付けるだけに、興味深い。
また、この地は第25代・武烈天皇の泊瀬列城宮跡とする説もある。
地元のおじいさんに、奥不動寺までの道を尋ね、簡易舗装の林道を登っていくと、
セイヨウタンポポに押されぎみながらも、シロバナタンポポの群落があった。
農地から山林に入るあたりに、古い石碑があった。「富村弥兵衛」とある。
ここからの急坂がとにかくつらい。舗装されているがゆえに、しんどい。
普通の山道だったら余裕なのに。
標高330mあたりで林道が終わり、植林の中の明瞭な道を登り続ける。
たまに「アンテナ基地」への私製標識がある。しばらくは、この標識が役立つ。
奥不動寺との分岐に出ると、「左へダンノダイラ200m」の標識がみられる。
なんなくダンノダイラの西側、「天壇」の跡に着く。
説明板がなければ、緩斜面の植林地にしか見えない。
すぐ東に行くと、ダンノダイラには古代の出雲ムラがあり、日本建国の母胎であったか
とする説明板が立つ。
湧水の「小川跡」があり、明治の初めごろまで住民がいたという。
なぜ大和川(初瀬川)添いの場所ではなく、古代人がこんな山奥に住んでいたのかと
疑問もわくが、出雲族にはいろんな伝説があり、もともと三輪山山麓にいた彼らが
他の勢力に攻められて、ここに移ったとする説もあるので、山の中に逃げ込んで
なかば籠城するように住んでいたのかもしれないと空想すると面白い。
さらに東へ少し進むと、巨大な磐座が出てくる。今も注連縄がかけられている。
出雲族の磐座信仰を示す遺構は、各地に存在する。
一番下の巨岩の直下に回り込んでみた。すごい迫力だ。
その巨石の上部には、少し小さめの岩が数個、鎮座する。
もし樹木がなかったら、朝倉から大宇陀あたりまでを一望できるはずだ。
周りには古木・巨樹は見られない。
昔は樹を伐って、絶景の地にしていたのだろうなと確信できる。
磐座からは北に進路を変え、ものすごい急登に立ち向かう。
登りきったところにアンテナが建つ。出雲地区共同アンテナとのことだ。
アンテナからは西側が開けている。
この日のコースは、これといった展望ポイントがないので、ここで昼食にした。
巻向山のピークへはこの日は寄らず、これまで歩き残していた山頂直下の南側からの
巻き道を下山道に使ってみた。
巻向山東南尾根の山腹を快調に下っていくと、白河の愛宕大権現の手前に下り立つ。
雄略天皇が地元の美少女・赤猪子に声をかけた伝説が残る秉田(ひきた)神社で、
今回の短い歴史散歩はおしまい!
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!