■2011年8月11日(木)
13~14日にモンブラン登頂の予約を入れてあったので、今日は列車を乗り継ぎ
フランスのシャモニに移動しなければならない。
マッターホルンよ、さらば、である。
久しぶりにトランクに荷物を整理しなおし、ツェルマット駅を出発。
フィスプ駅、マルティニ駅と電車を乗り継ぎ、さらに国境のヴァロシン駅で
登山列車を乗り換える。
(ヴァロシン駅にて)
マルティニ駅では、フランスパンのチーズサンドイッチに舌鼓。
2両編成の赤い列車に乗ると、いきなり、ものすごい傾斜を登っていく。
座席からお尻がずり落ちそうになる。
初めだけは進行方向右手の眺めがよいのだが、あとはずっと左手の眺めのほうがよい。
底が見えないほどの峡谷を見下ろしながら、よくこんなところに鉄道を敷いたなと感心。
およそ5時間に及ぶ列車の旅を経て、ようやく14:00過ぎに、シャモニに到着した。
今度の宿は、駅から100mほどのところにある「ポワン・イザベル」。
オーナーの曾祖母でいるイザベルさんが、夫婦でモンブランの冬季初登庁を成したそうで、
由緒あるホテルという。
荷解きしてから、シャモニの市街を散歩した。
予想以上にこじんまりとした街で、ウインドーショッピングをしながらでも、
半日もあれば、一周できる。
山岳ガイド協会の事務所を訪問し、簡単な説明を受けた。
ホテル「ポワン・イザベル」のベランダからは、モンブランの丸く白い頂が望める。
夕映えのモンブランに望遠レンズを向け、しばらく一心にシャッターを切り続けた。
■2011年8月12日(金)
今日は休養日。
ロープウェイを乗り継いで、エギーユ・デュ・ミディ(3842m)へ観光だ。
富士山を超える標高の、驚くほど急峻な尖峰にロープウェイが通じている。
くしくも、ロープウェイのエギーユ・デュ・ミディ駅は、富士山と同じ
3776mで、さらに3ユーロを支払って、3842mの頂までのエレベータに乗る。
山頂展望台からの眺めは最高。なんせ断崖絶壁のピーク、360度さえぎるものがない。
モンブランは目の前にあり、反対側にはグランド・ジョラスの黒い壁、
ダン・ドュ・ジェアン(巨人の歯)、ヴェルト針峰などが一望のもと。
曇りがちな天候ではあったが、満足である。
中でもグランド・ジョラス北壁は、1979年の長谷川恒男さんによる、世界初の
冬季単独登頂で、日本人にも広く知られた山である。
これをライブで見られるとは、感動の一瞬だ。
周囲の岩壁には、多数のクライマーが取り付いている。
登山の妙味は何も高みの頂上を踏むだけにあらず。
こんな高所でのクライミングは、しんどいだうが、代えがたい楽しみがあるに違いない。
このときは、まさか自分がこのあと、今いるエギーユ・デュ・ミディそのものに
登攀することになろうとは思ってもいなかった。
強風の展望台を辞し、エレベータで下りたら東洋人のじいちゃんが倒れており、
車椅子が運ばれてきた。
すっかり高所順応が済んでいるMr.Dashにとっては平地と変わらない状態だが、
やはり、ここは高山なのである。
この国では、こんなところにも軽食をサービスしている。
カフェテリアでエスプレッソを飲んだ。
ロープウェイでの下山中、一瞬、晴れ目が覗いたが、その後はどんよりとした雲に
覆われてしまった。
下山後、ふと立ち寄ったスポーツ用品店で、日本ではなかなか見られないデザインの
シャツを購入した。ここぞという時に、山に着ていきたい。
夕刻、山岳博物館に立ち寄った後、再び山岳ガイド協会の事務所を訪れた。
今日はモンブラン登頂ガイドのセバスチャンと初めて会い、実際の打合せを行う。
彼は、登頂予定日のモンブランの天候は荒れると言い、予定していた
レ・ズーシュ、ニーデルグル経由、グーテ小屋から山頂を目指す一般ルートは
勧めないと主張する。
むしろ、短距離のコースで、一気に前日に山頂を踏み、グーテ小屋に下り、
荒れる翌日は下山するのみの計画に変更したいという。
短距離のコースとは、さっきまでいたエギーユ・デュ・ミディからの直登ルートで、
急峻なだけでなく、2度のアップダウンがある。スピードも求められる。
こちらは、「どちらでもやってやる」という気概でいたが、ともちゃんは、散々悩んだ挙句、
不安げに直登ルートを選んだ。
その様子から、「あっ、これは多分、登頂は無理だな」と、そのときにうっすら感じた。
こうしたヘビーな登山では、スタートからこうも弱気になってしまうと、登頂は難しくなる。
「何が何でも」という強い意志がなければ人は限界を超えられない。
夕食は中華料理を選び、この日は早々に寝た。
13~14日にモンブラン登頂の予約を入れてあったので、今日は列車を乗り継ぎ
フランスのシャモニに移動しなければならない。
マッターホルンよ、さらば、である。
久しぶりにトランクに荷物を整理しなおし、ツェルマット駅を出発。
フィスプ駅、マルティニ駅と電車を乗り継ぎ、さらに国境のヴァロシン駅で
登山列車を乗り換える。
(ヴァロシン駅にて)
マルティニ駅では、フランスパンのチーズサンドイッチに舌鼓。
2両編成の赤い列車に乗ると、いきなり、ものすごい傾斜を登っていく。
座席からお尻がずり落ちそうになる。
初めだけは進行方向右手の眺めがよいのだが、あとはずっと左手の眺めのほうがよい。
底が見えないほどの峡谷を見下ろしながら、よくこんなところに鉄道を敷いたなと感心。
およそ5時間に及ぶ列車の旅を経て、ようやく14:00過ぎに、シャモニに到着した。
今度の宿は、駅から100mほどのところにある「ポワン・イザベル」。
オーナーの曾祖母でいるイザベルさんが、夫婦でモンブランの冬季初登庁を成したそうで、
由緒あるホテルという。
荷解きしてから、シャモニの市街を散歩した。
予想以上にこじんまりとした街で、ウインドーショッピングをしながらでも、
半日もあれば、一周できる。
山岳ガイド協会の事務所を訪問し、簡単な説明を受けた。
ホテル「ポワン・イザベル」のベランダからは、モンブランの丸く白い頂が望める。
夕映えのモンブランに望遠レンズを向け、しばらく一心にシャッターを切り続けた。
■2011年8月12日(金)
今日は休養日。
ロープウェイを乗り継いで、エギーユ・デュ・ミディ(3842m)へ観光だ。
富士山を超える標高の、驚くほど急峻な尖峰にロープウェイが通じている。
くしくも、ロープウェイのエギーユ・デュ・ミディ駅は、富士山と同じ
3776mで、さらに3ユーロを支払って、3842mの頂までのエレベータに乗る。
山頂展望台からの眺めは最高。なんせ断崖絶壁のピーク、360度さえぎるものがない。
モンブランは目の前にあり、反対側にはグランド・ジョラスの黒い壁、
ダン・ドュ・ジェアン(巨人の歯)、ヴェルト針峰などが一望のもと。
曇りがちな天候ではあったが、満足である。
中でもグランド・ジョラス北壁は、1979年の長谷川恒男さんによる、世界初の
冬季単独登頂で、日本人にも広く知られた山である。
これをライブで見られるとは、感動の一瞬だ。
周囲の岩壁には、多数のクライマーが取り付いている。
登山の妙味は何も高みの頂上を踏むだけにあらず。
こんな高所でのクライミングは、しんどいだうが、代えがたい楽しみがあるに違いない。
このときは、まさか自分がこのあと、今いるエギーユ・デュ・ミディそのものに
登攀することになろうとは思ってもいなかった。
強風の展望台を辞し、エレベータで下りたら東洋人のじいちゃんが倒れており、
車椅子が運ばれてきた。
すっかり高所順応が済んでいるMr.Dashにとっては平地と変わらない状態だが、
やはり、ここは高山なのである。
この国では、こんなところにも軽食をサービスしている。
カフェテリアでエスプレッソを飲んだ。
ロープウェイでの下山中、一瞬、晴れ目が覗いたが、その後はどんよりとした雲に
覆われてしまった。
下山後、ふと立ち寄ったスポーツ用品店で、日本ではなかなか見られないデザインの
シャツを購入した。ここぞという時に、山に着ていきたい。
夕刻、山岳博物館に立ち寄った後、再び山岳ガイド協会の事務所を訪れた。
今日はモンブラン登頂ガイドのセバスチャンと初めて会い、実際の打合せを行う。
彼は、登頂予定日のモンブランの天候は荒れると言い、予定していた
レ・ズーシュ、ニーデルグル経由、グーテ小屋から山頂を目指す一般ルートは
勧めないと主張する。
むしろ、短距離のコースで、一気に前日に山頂を踏み、グーテ小屋に下り、
荒れる翌日は下山するのみの計画に変更したいという。
短距離のコースとは、さっきまでいたエギーユ・デュ・ミディからの直登ルートで、
急峻なだけでなく、2度のアップダウンがある。スピードも求められる。
こちらは、「どちらでもやってやる」という気概でいたが、ともちゃんは、散々悩んだ挙句、
不安げに直登ルートを選んだ。
その様子から、「あっ、これは多分、登頂は無理だな」と、そのときにうっすら感じた。
こうしたヘビーな登山では、スタートからこうも弱気になってしまうと、登頂は難しくなる。
「何が何でも」という強い意志がなければ人は限界を超えられない。
夕食は中華料理を選び、この日は早々に寝た。