■メイン写真
若丹国境尾根にて、みごとなカエデの紅葉
■今回のコース
八原登山口→八ヶ峰スキー場跡→雨量観測計→知井坂の峠→八ヶ峰→染ヶ谷分岐→五波峠
京都府南丹市と、福井県おおい町の境にあるブナ美林の八ヶ峰。
西の鯖街道と呼ばれる知井坂からアプローチ。国境尾根を東進し、五波峠へと抜けてみた。
ちょうどタイミングが良く、ブナ、ミズナラ、カエデ、コシアブラなどの紅葉・黄葉が
たいへん美しかった。
八原登山口は、数台の駐車が可能。南無妙法蓮華経の文字が刻まれた石碑のところから
知井坂と呼ばれる山道に入る。
かつて若狭湾の鯖を都に届けた鯖街道は何本かあるのだが、中でも西に位置することから、
「西の鯖街道」と呼ばれる。
知井坂(ちいざか)は、さすがはかつての輸送路だけに、急坂を避け、歩きやすいルート取りを
している。
ちなみに知井坂は、もともと血坂(ちさか)と呼ばれていたそうで、峠道の険しさのあまり
旅人が血の涙を流したとか、昔、戦があって血が坂を染めたからなど、諸説ある。
夏に峠を越えようとした旅人がヤマビルに吸い付かれて血を流したから、というのでは
なさそうだ(笑)。
水場がある小広い場所に出る。窪みをつけた手水石がおもしろい。
遥か頭上にキノコを発見。エノキタケかな?よくわからない。
ただ全体を通じて、キノコは多くはなかった。
ちょっとした緩斜面が出てくる。ここはかつて八ヶ峰スキー場があった場所だ。
八ヶ峰スキー場は、あまり資料がないが、どうやら1963年(昭和38年)にオープンした模様。
2013年の京都新聞には、40年前に閉鎖されたとあるから、閉鎖されたのは1973年(昭和48年)
ころとなる。つまり10年ほどしか営業していなかったことになる。
八原の集落には一時、スキー客目当ての民宿もあったが、少なくとも1978年には
直通の国鉄バスがなく、美山で一泊して、朝一のバス便に乗り継ぐ必要があったようだ。
崩壊した建屋跡には、今も革製のスキー靴がいくつも転がったままだ。
広葉樹林帯にさしかかると、木の葉の色づきが目立つ。これから先に期待がかかる。
コシアブラの黄葉に陽光が透けて輝く。
まだ新しい雨量観測計を通過。少し開けているので休憩によい。
鮮やかな赤。アズキナシかなあ?
ひときわ大きな葉のカエデ。オオイタヤメイゲツだろう。
お待ちかね、ブナがぽつぽつ出てきた。黄葉がちょうどいい感じ。
標高約670m。分岐でもないのに、寛政の頃の銘が入った石碑が唐突に現れる。
ほどなく知井坂の峠に着く。
ここからは若丹国境尾根を歩く。ザックリいうと、右足が京都府、左足が福井県だ。
2ヶ所ほど、福井県の名田庄へ下りる道との分岐があるが、稜線を外さなければ
間違えることはない。
送電線鉄塔の下は、樹木が伐採されているので南北方面の展望がすこぶるよい。
北は若狭湾の御神島、常神岬が見えた。
西は双耳峰の青葉山(若狭富士)もバッチリ見える。
最後にひと登りすれば、八ヶ峰の広い山頂に出る。
「八ヶ峰」は、丹波、丹後、山城、近江、若狭、越前、加賀、能登の8つの国が
山頂から見えることが由来という。
山頂も展望に恵まれ、敦賀の山々、百里ヶ岳(写真中央の高いピーク)なども一望できる。
景色を楽しんだら、ぽかぽか陽気の中、ランチタイム。
他のハイカーも多く、人気の高さがうかがえた。
下山は国境尾根を東へ。すばらしい紅葉のプロムナードだ。
歩きやすく、気持ちのいい尾根道。癒しの時間がゆったり流れる。
ブナ好きにとっても最高。実を探したり、若い芽を探したり。
ツタウルシの赤は鮮やかだ。
小さなアップダウンを繰り返し、五波峠への最後のピーク、708m点の脇を抜ける。
斜めに伸びたミズナラがカッコいい。
この日は様々な種類のカエデをみた。これが最も赤がキレイだった。
五波峠に到着。路肩の両側に15台は停められる、広い峠だ。
クルマは7~8台あった。なかなか人気なのである。
帰りに、美山かやぶきの里で休憩。ゆっくり1日をかけてぶらり散策してみてもよさそうな
山里は、この日は観光客でにぎわっていた。
若丹国境尾根にて、みごとなカエデの紅葉
■今回のコース
八原登山口→八ヶ峰スキー場跡→雨量観測計→知井坂の峠→八ヶ峰→染ヶ谷分岐→五波峠
京都府南丹市と、福井県おおい町の境にあるブナ美林の八ヶ峰。
西の鯖街道と呼ばれる知井坂からアプローチ。国境尾根を東進し、五波峠へと抜けてみた。
ちょうどタイミングが良く、ブナ、ミズナラ、カエデ、コシアブラなどの紅葉・黄葉が
たいへん美しかった。
八原登山口は、数台の駐車が可能。南無妙法蓮華経の文字が刻まれた石碑のところから
知井坂と呼ばれる山道に入る。
かつて若狭湾の鯖を都に届けた鯖街道は何本かあるのだが、中でも西に位置することから、
「西の鯖街道」と呼ばれる。
知井坂(ちいざか)は、さすがはかつての輸送路だけに、急坂を避け、歩きやすいルート取りを
している。
ちなみに知井坂は、もともと血坂(ちさか)と呼ばれていたそうで、峠道の険しさのあまり
旅人が血の涙を流したとか、昔、戦があって血が坂を染めたからなど、諸説ある。
夏に峠を越えようとした旅人がヤマビルに吸い付かれて血を流したから、というのでは
なさそうだ(笑)。
水場がある小広い場所に出る。窪みをつけた手水石がおもしろい。
遥か頭上にキノコを発見。エノキタケかな?よくわからない。
ただ全体を通じて、キノコは多くはなかった。
ちょっとした緩斜面が出てくる。ここはかつて八ヶ峰スキー場があった場所だ。
八ヶ峰スキー場は、あまり資料がないが、どうやら1963年(昭和38年)にオープンした模様。
2013年の京都新聞には、40年前に閉鎖されたとあるから、閉鎖されたのは1973年(昭和48年)
ころとなる。つまり10年ほどしか営業していなかったことになる。
八原の集落には一時、スキー客目当ての民宿もあったが、少なくとも1978年には
直通の国鉄バスがなく、美山で一泊して、朝一のバス便に乗り継ぐ必要があったようだ。
崩壊した建屋跡には、今も革製のスキー靴がいくつも転がったままだ。
広葉樹林帯にさしかかると、木の葉の色づきが目立つ。これから先に期待がかかる。
コシアブラの黄葉に陽光が透けて輝く。
まだ新しい雨量観測計を通過。少し開けているので休憩によい。
鮮やかな赤。アズキナシかなあ?
ひときわ大きな葉のカエデ。オオイタヤメイゲツだろう。
お待ちかね、ブナがぽつぽつ出てきた。黄葉がちょうどいい感じ。
標高約670m。分岐でもないのに、寛政の頃の銘が入った石碑が唐突に現れる。
ほどなく知井坂の峠に着く。
ここからは若丹国境尾根を歩く。ザックリいうと、右足が京都府、左足が福井県だ。
2ヶ所ほど、福井県の名田庄へ下りる道との分岐があるが、稜線を外さなければ
間違えることはない。
送電線鉄塔の下は、樹木が伐採されているので南北方面の展望がすこぶるよい。
北は若狭湾の御神島、常神岬が見えた。
西は双耳峰の青葉山(若狭富士)もバッチリ見える。
最後にひと登りすれば、八ヶ峰の広い山頂に出る。
「八ヶ峰」は、丹波、丹後、山城、近江、若狭、越前、加賀、能登の8つの国が
山頂から見えることが由来という。
山頂も展望に恵まれ、敦賀の山々、百里ヶ岳(写真中央の高いピーク)なども一望できる。
景色を楽しんだら、ぽかぽか陽気の中、ランチタイム。
他のハイカーも多く、人気の高さがうかがえた。
下山は国境尾根を東へ。すばらしい紅葉のプロムナードだ。
歩きやすく、気持ちのいい尾根道。癒しの時間がゆったり流れる。
ブナ好きにとっても最高。実を探したり、若い芽を探したり。
ツタウルシの赤は鮮やかだ。
小さなアップダウンを繰り返し、五波峠への最後のピーク、708m点の脇を抜ける。
斜めに伸びたミズナラがカッコいい。
この日は様々な種類のカエデをみた。これが最も赤がキレイだった。
五波峠に到着。路肩の両側に15台は停められる、広い峠だ。
クルマは7~8台あった。なかなか人気なのである。
帰りに、美山かやぶきの里で休憩。ゆっくり1日をかけてぶらり散策してみてもよさそうな
山里は、この日は観光客でにぎわっていた。