Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2023年6月7日(水)[彦根]佐和山へ、石田三成と井伊家の史跡をたずねる軽ハイク!

2023年06月09日 | 山登りの記録
■メイン写真
佐和山の山頂から彦根城を見下ろす

■今回のコース
彦根駅→南登山口→佐和山→弁天山→大洞山→物生山→大洞山→弁天山→大洞弁財天→
井伊神社→龍潭寺→清凉寺→彦根駅


登山の対象ではないレベルだが、かねてから気になっていた、彦根の佐和山を歩いてきた。
佐和山は、かつて石田三成が本拠地としての城を築いた山で、関ケ原の戦いの後、
井伊直政が佐和山を引き継いだ。直政の死後まもなく、やがて井伊家は彦根城を築くことになる。



南登山口の手前、国道8号線を挟んだ向こう側に、「佐和山遊園」の跡地がある。
佐和山遊園は、地元の建築業の個人が、石田三成のテーマパークを作ろうと1976年に着工し、
天守や寺などのミニチュアを徐々に建てていたが、どうも正式にオープンすることなく、
閉鎖、立入禁止となっているものだ。
一時、無料入園できる時期もあったようで、惜しいことをした。



南登山口から山道に入る。
最初は竹藪を巻くように進み、少しの登りで落葉広葉樹の尾根に出る。



佐和山城の井戸跡(千貫井)や、石垣跡に寄りながら、あっという間に山頂に着く。
山頂部は、城が建っていた場所だけに平坦。そこにイロハモミジが植えられ、美しい森になっている。



山頂から彦根の中心部を見おろす。



佐和山城は、もともと鎌倉時代から城があったとされるが、石田三成の頃に五層(三層の説も)の
天守を築いたという。
実際には三成は、伏見城で秀吉の奉行として仕えてたため、住んでいたのは父の正継だったそうだ。
井伊直政の死後、息子の直継が彦根城を新築。大津城、佐和山城、小谷城、観音寺城などの
築材を用い、彦根城を造った。佐和山城は破城となった。



南北に続く尾根を北へ。弁天山は、大洞弁財天への下山道との分岐だが、ここはひとまず
稜線を北へ。遊歩道の左側は、クリーンセンターの敷地のため、立入禁止だ。



ほどなく大洞山の目立たないピークを過ぎる。ここには山名表示もなかった。
その先で送電線鉄塔を通る。



物生山(むしやま)の山頂には、ベンチが設置されているが、展望はなし。
東麓のフジテックの工場方面にテープと薄い踏み跡があるが、この日は弁天山へ引き返す。



弁天山から、大洞弁財天へ下る。
正式には長寿院と呼ぶが、日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから
大洞弁財天と呼ばれる。
彦根城の鬼門の方角にあたり、日光東照宮建立の総奉行だった井伊直興が、厄除けと
城を守る備えとして建立したという。



仁王門の向こうに、ちょうど彦根城が見える。



井伊神社。
天保13年(1842年)に、彦根藩12代藩主の井伊直亮が、井伊家始祖の750回忌にあたり、
築造した神社。本殿は傷みが激しいため、覆いが施されている。



境内にある枝垂れ桜。



公衆トイレの近くには、こんなマンホールのフタも。



続いて龍潭寺。井伊家の菩提寺。びっしり覆うクラマゴケが、本当にきれいだった。



清凉寺。こちらも井伊家の菩提寺だ。



寺の裏手には、歴代彦根藩主の墓所がある。



彦根駅に戻る途中、樹がざわざわと揺れたので見上げると、お猿さんがいた。
最近、佐和山ではサルの群れがよく出てくるらしい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2023年6月4日(日)[御杖]学能... | トップ | 2023年6月10日(土)[宇陀]高城... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山登りの記録」カテゴリの最新記事