■メイン写真
白壁の土蔵なきあとの現在の廃村八丁のシンボル、通称「八丁小屋」のニチレ山小屋
■今回のコース
佐々里峠→分岐→P866→品谷山→品谷峠→(スモモ谷)→廃村八丁→四郎五郎谷出合→
(刑部谷)→同志社大学新心荘→ダンノ峠→分岐→佐々里峠
「廃村」の響きがハイカーをひきつけてやまない廃村八丁へ、佐々里峠から周回してきた。
2018年の台風21号の倒木被害で荒れてしまい、しばらく立ち入るのを遠慮していたが、
そろそろ、なんとか通れるようなので行ってきた。
刑部谷は倒木がひどいところがあり、苦戦したが、沢の水量が少なかったことにも助けられ、
うまく通過することができた。ただし、初級者はまだ避けておいた方がいい。
佐々里峠に駐車。この林道も、12月中旬には冬季閉鎖となる。
さあ、気合を入れてスタートだ。
すぐに尾根に乗る。大きな芦生杉を幾つか見ながら進む。
堂々たる古木。
長い年月の風格を感じる。
クリタケだろうか。ナメコは、ありそうでなかった。
下草はあまりないが、時折、イワウチワやイワカガミの群落がみられる。
ダンノ峠へのジャンクションピークを過ぎ、ブナやカエデの尾根を西進すると、
品谷山に着く。
この季節は落葉して向こうの山々も見渡せるようになる。
旧品谷峠の巨大ブナ。かつて国土地理院の地形図には、ここが品谷峠だと書かれていた。
現在の品谷峠は、その先の小ピークを1つ越えた先の峠だ。
尾根を外れ、南東側の暗い植林へ入る。すぐに若い広葉樹林帯に変わる。
たくさん落ちていたのは赤い枝に黒い実。ミズキかクマノミズキのようだ。
長い固定ロープ沿いに導かれて、スモモ谷の流れへと下る。
この写真で見ると、おだやかな流れにみえるが、相変わらず少々荒れている。
何度か、小沢を渡りながら下っていく。
ヒノキゴケがかわいい。
やがて平流になると、沢の両側が平坦になり、石垣が現れる。
八丁集落の田畑でもあったのだろうか。
八丁川をおっかなびっくり渡渉すると、廃村八丁の中心部に着く。
かつて白壁の土蔵が建っていた横には、現在は三角形のトタン屋根の小屋がある。
旧ニチレ(日本レイヨン)小屋で、現在はここに通う管理人さんがいらっしゃるらしいが、
この日は鍵が閉まっていた。
あたりは陽だまりの平坦地。ここで昼食タイムとした。
かつて八丁のシンボル的存在だった白壁の土蔵跡。
先ほど渡渉した八丁川の少し下流をふたたび渡渉する。
昔、「学校橋」がかかっていたとらしい場所で、渡ると小さな祠が2つ。
左に抜けると、小屋の無残な残骸がある。京都大学高分子山の会の小屋だった。
右に石段の道が分かれる。八幡宮への参道だ。
開拓時の関係者の名を記した石碑は倒れて、石段の道に寝そべっている。
朽ちかけた石段を登りきると、八丁八幡宮の残骸に出る。
かつての村人たちの暮らしを想う。
唯一残る建造物は、どうやらトイレの跡だそうだ。
ずっと廃村でたたずんでいたいが、日が落ちるのが早い晩秋。
そろそろ次へと動かなければ。
八丁川の上流、刑部谷に沿った山道を、ところどころ渡渉しながらたどっていくのだが、
倒木が多くて難儀する。乗り越えたり、渡渉して迂回したりで、時間がかかる。
S字の小さなゴルジュ風の地形が現れる。入口で渡渉し、出口で再び渡り返す。
振り返ると、褶曲が特徴的なした岩が印象的だ。
3m滝を左から越えてしばらく進むと、10mほどの、X字が2つ縦に並んでいる形の
滝が現れる。
この滝は左を高巻く。濡れた木の根で滑り落ちないように、ロープと桟橋を頼りに登る。
刑部谷の本流と、右の奈良谷の二俣に出る。左奥に刑部滝の2段の流れが見える。
以前は滝に近寄れたが、手前に大きな倒木が立ちはだかり、今回はアッサリ諦めた。
なお、奈良谷との二俣の右には、大きな窟屋が見える。
二俣の中央に固定ロープが下がっているのが見える。シャクナゲの尾根への直登コースだ。
難儀した沢筋を離れ、この難所に挑む。
狭いシャクナゲの尾根に登りつき、尾根をしばらく進むと、左に広葉樹の森が出てくる。
ほとんど消えかかったトラバース道を見出し、四郎五郎峠からの道に合流する。
さっきまでの急峻な地形はどこへやら。カエデの葉が散り敷く、心地いい広場だ。
枯れたモミの大木が、いいアクセントになっている。。
左の対岸には、同志社大学の自然環境研究小屋が建っている(非開放)。
刑部谷は、峠谷へと名を変える。やがて水が切れて、登りきるとダンノ峠に出る。
ダンノ峠からは少しアップダウンがある稜線をたどり、朝、歩いた品谷山への尾根へと向かう。
途中の左折点の無名ピークには、空の一升瓶や、懐かしい「ミリンダ」の空き瓶が
転がっていた。
もとのジャンクションピークに戻り、日が傾く中、一路、佐々里峠へ。
難所とおだやかな場所が次々に入れ替わる、変化に富んだコース、
そして昔の村人の生活痕を垣間見られる、すばらしい山行だった。
白壁の土蔵なきあとの現在の廃村八丁のシンボル、通称「八丁小屋」のニチレ山小屋
■今回のコース
佐々里峠→分岐→P866→品谷山→品谷峠→(スモモ谷)→廃村八丁→四郎五郎谷出合→
(刑部谷)→同志社大学新心荘→ダンノ峠→分岐→佐々里峠
「廃村」の響きがハイカーをひきつけてやまない廃村八丁へ、佐々里峠から周回してきた。
2018年の台風21号の倒木被害で荒れてしまい、しばらく立ち入るのを遠慮していたが、
そろそろ、なんとか通れるようなので行ってきた。
刑部谷は倒木がひどいところがあり、苦戦したが、沢の水量が少なかったことにも助けられ、
うまく通過することができた。ただし、初級者はまだ避けておいた方がいい。
佐々里峠に駐車。この林道も、12月中旬には冬季閉鎖となる。
さあ、気合を入れてスタートだ。
すぐに尾根に乗る。大きな芦生杉を幾つか見ながら進む。
堂々たる古木。
長い年月の風格を感じる。
クリタケだろうか。ナメコは、ありそうでなかった。
下草はあまりないが、時折、イワウチワやイワカガミの群落がみられる。
ダンノ峠へのジャンクションピークを過ぎ、ブナやカエデの尾根を西進すると、
品谷山に着く。
この季節は落葉して向こうの山々も見渡せるようになる。
旧品谷峠の巨大ブナ。かつて国土地理院の地形図には、ここが品谷峠だと書かれていた。
現在の品谷峠は、その先の小ピークを1つ越えた先の峠だ。
尾根を外れ、南東側の暗い植林へ入る。すぐに若い広葉樹林帯に変わる。
たくさん落ちていたのは赤い枝に黒い実。ミズキかクマノミズキのようだ。
長い固定ロープ沿いに導かれて、スモモ谷の流れへと下る。
この写真で見ると、おだやかな流れにみえるが、相変わらず少々荒れている。
何度か、小沢を渡りながら下っていく。
ヒノキゴケがかわいい。
やがて平流になると、沢の両側が平坦になり、石垣が現れる。
八丁集落の田畑でもあったのだろうか。
八丁川をおっかなびっくり渡渉すると、廃村八丁の中心部に着く。
かつて白壁の土蔵が建っていた横には、現在は三角形のトタン屋根の小屋がある。
旧ニチレ(日本レイヨン)小屋で、現在はここに通う管理人さんがいらっしゃるらしいが、
この日は鍵が閉まっていた。
あたりは陽だまりの平坦地。ここで昼食タイムとした。
かつて八丁のシンボル的存在だった白壁の土蔵跡。
先ほど渡渉した八丁川の少し下流をふたたび渡渉する。
昔、「学校橋」がかかっていたとらしい場所で、渡ると小さな祠が2つ。
左に抜けると、小屋の無残な残骸がある。京都大学高分子山の会の小屋だった。
右に石段の道が分かれる。八幡宮への参道だ。
開拓時の関係者の名を記した石碑は倒れて、石段の道に寝そべっている。
朽ちかけた石段を登りきると、八丁八幡宮の残骸に出る。
かつての村人たちの暮らしを想う。
唯一残る建造物は、どうやらトイレの跡だそうだ。
ずっと廃村でたたずんでいたいが、日が落ちるのが早い晩秋。
そろそろ次へと動かなければ。
八丁川の上流、刑部谷に沿った山道を、ところどころ渡渉しながらたどっていくのだが、
倒木が多くて難儀する。乗り越えたり、渡渉して迂回したりで、時間がかかる。
S字の小さなゴルジュ風の地形が現れる。入口で渡渉し、出口で再び渡り返す。
振り返ると、褶曲が特徴的なした岩が印象的だ。
3m滝を左から越えてしばらく進むと、10mほどの、X字が2つ縦に並んでいる形の
滝が現れる。
この滝は左を高巻く。濡れた木の根で滑り落ちないように、ロープと桟橋を頼りに登る。
刑部谷の本流と、右の奈良谷の二俣に出る。左奥に刑部滝の2段の流れが見える。
以前は滝に近寄れたが、手前に大きな倒木が立ちはだかり、今回はアッサリ諦めた。
なお、奈良谷との二俣の右には、大きな窟屋が見える。
二俣の中央に固定ロープが下がっているのが見える。シャクナゲの尾根への直登コースだ。
難儀した沢筋を離れ、この難所に挑む。
狭いシャクナゲの尾根に登りつき、尾根をしばらく進むと、左に広葉樹の森が出てくる。
ほとんど消えかかったトラバース道を見出し、四郎五郎峠からの道に合流する。
さっきまでの急峻な地形はどこへやら。カエデの葉が散り敷く、心地いい広場だ。
枯れたモミの大木が、いいアクセントになっている。。
左の対岸には、同志社大学の自然環境研究小屋が建っている(非開放)。
刑部谷は、峠谷へと名を変える。やがて水が切れて、登りきるとダンノ峠に出る。
ダンノ峠からは少しアップダウンがある稜線をたどり、朝、歩いた品谷山への尾根へと向かう。
途中の左折点の無名ピークには、空の一升瓶や、懐かしい「ミリンダ」の空き瓶が
転がっていた。
もとのジャンクションピークに戻り、日が傾く中、一路、佐々里峠へ。
難所とおだやかな場所が次々に入れ替わる、変化に富んだコース、
そして昔の村人の生活痕を垣間見られる、すばらしい山行だった。