■メイン写真
大岩神社のご神体は、唐突に現れる巨岩。磐座信仰の名残だろうか。
■今回のコース
稲荷駅→伏見稲荷大社→弘法の瀧→岩瀧大神→稲荷山一ノ峰→大岩神社→西野山→
大石神社→岩屋寺→山科神社→大石神社バス停
伏見稲荷は外国人旅行者でいっぱいだった。ようやくコロナ前に戻りつつあるようだ。
しかし、伏見稲荷の南側には、こんな賑わいとは無縁の、もう一つの姿がある。
それはかつての廃仏毀釈・修験道の排斥から、なんとか永らえた民間宗教の"聖地"で、
一転して静寂に包まれたエリアだ。
「お瀧道」とも「行者道」とも呼ばれるそのルートから稲荷山に登り、さらに東へ山を越え、
忠臣蔵のヒーロー・大石内蔵助ゆかりの大石神社へと抜けてみた。
JR稲荷駅から、人ごみの伏見稲荷大社を、観光客の流れに身を任せて千本鳥居から奥社まで
進む。北にほんの少し折れたところにある分岐で山道に入ると、突然、人波が途絶える。
鞍ヶ谷礫層の説明を読みながら、伏見神寶神社に着く。桜がちょうど満開だった。
はるか上の桜の枝に目をやると、メジロやヒヨドリがさかんに花を突っついていた。
よく手入れされた竹林を抜けていく。時折、こんな静かなところに迷い混んでしまったと
明らかに不安顔な外国人旅行者とすれ違うが、本当に人が少ない。
やがて右手に朱色の鳥居が見えてくる。弘法ノ瀧だ。
このあたりから、滝行の場を備えた小規模な行場が続く「お瀧道」となる。
弘法ノ瀧では、その名の通り弘法大師が神殿に祀られていて興味深い。
空海はここでは神である。
伏見稲荷の華やかさは影を潜め、稲荷信仰と密教が習合した空間が続く。
廃仏毀釈で、伏見稲荷が「正式な」神社とされてしまったため、もともとあった民間宗教の
祠や塚が神社の敷地から外れたところに引っ越したりしてできたようだ。
石でできた鳥居や祠が無数に集結し、さびれた中にも、今もきっちり息づいている民間宗教の
気配がする。
ピリッと背筋が伸びるような緊張感と、独特の"妖しさ"がただよう、妙な魅力にあふれている。
青木ヶ瀧を経て、ふたたび竹林へ。竹の合い間から、桃山城が見える。
七面瀧。ここは日蓮系の行場のようだ。まさにいろんな宗教のるつぼ。
白菊ノ瀧、御劔ノ瀧を過ぎると、参道が二手に分かれる。
まずは右をとり、岩瀧大神へ。ここも、おびただしい数の石の鳥居、祠が所狭しと並ぶ。
このまま登っていくと大岩神社だが、いったん元の分岐に戻り、今度は左の道へ。
末廣瀧の向かいにある手水にはショウジョウバカマがたくさん咲いていた。
なかなかの急坂を登り終えると、稲荷山の山頂(一ノ峰)に着く。
今までの幽玄の空間から、またまた外国人ラッシュの、いわゆる「伏見稲荷」の世界に戻り
当惑する。
山頂は短時間の滞在で済ませ、神社の境界標が埋まる尾根道に入る。
しばらく行くと四つ辻に汚れた道標をみる。
ここで、まずはさっき見送った大岩神社へと足を向けた。
ミツバツツジが満開。この日は人が作り出したものばかりに目が向いてきたが、
山の自然への目線を取り戻す。
突如、鉄製の広いデッキと祠、そして奥に巨岩が現れる。明らかにこれまでとは雰囲気が異なる。
大岩神社は、今度は磐座信仰の匂いがするたたずまいだ。
説明板によると、この大岩は「大巳貴命饒速日命」を表すという。
おお、オオクニヌシとニギハヤヒがセットで出てくる!
「混交」か「同一人物」か「並存」か。いろいろ考えるだけで一晩、酒が飲めそうだ。
またまた我が国古来の宗教の、別なるバリエーションを観た気がした。
先ほどの四つ辻に戻り、東麓・山科の大石神社方面へと足を進める。
しっかりした踏み跡がある山道になり、さすがにもう何もないだろうと思ったら、
「将軍菩薩」の塚に出くわす。
将軍菩薩は、右手に剣、左手に錫杖を持っていて、いわゆる十二神将や四天王とも
特徴が異なる。そもそもこれ、菩薩なのか。またまた、よく分からないワールドに来てしまった。
西野山(239m三角点)ピークは、展望はないが、ちょっと開けていて休憩に良い。
あまりにユニークなスポットが続いていたので、この平凡なピークが妙に落ち着く。
気になる道標があったので、ついでにそれを見極めようと寄り道してみた。
山科神社末社の愛宕神社の石碑である。かつてここに神社があったのかな?
石碑そのものはまだ新しい。
どんどん下り、住宅街に出た。右に折れるとすぐに大石神社だ。
ちょうど桜が見ごろで、いい花見ができた。
山科は、忠臣蔵のヒーロー・大石内蔵助が隠棲し、義挙の議をめぐらした地だ。
大石神社はあたりに居を構えていたとされ、大石内蔵助は神社の祭神となっている。
現在は大願成就のご利益があるという。
隣にある岩屋寺には、大石の遺髪塚や、大石を永代供養する忠誠堂、大石家の巴家紋を
模した池などがあり興味深い。
さらに隣にあるのは山科神社。はじめ宇多天皇の勅命で創建され、山科一ノ宮として栄えた。
大石が隠棲時、山科神社の奥の院、岩屋神社に参籠して大願成就を祈ったという。
岩屋神社は山科の東のはずれにある。
大石神社バス停からは京阪バスが付近さまざまの鉄道駅に出ていて便利。
この日は醍醐駅で地下鉄に乗り換え、六地蔵駅に出た。
大岩神社のご神体は、唐突に現れる巨岩。磐座信仰の名残だろうか。
■今回のコース
稲荷駅→伏見稲荷大社→弘法の瀧→岩瀧大神→稲荷山一ノ峰→大岩神社→西野山→
大石神社→岩屋寺→山科神社→大石神社バス停
伏見稲荷は外国人旅行者でいっぱいだった。ようやくコロナ前に戻りつつあるようだ。
しかし、伏見稲荷の南側には、こんな賑わいとは無縁の、もう一つの姿がある。
それはかつての廃仏毀釈・修験道の排斥から、なんとか永らえた民間宗教の"聖地"で、
一転して静寂に包まれたエリアだ。
「お瀧道」とも「行者道」とも呼ばれるそのルートから稲荷山に登り、さらに東へ山を越え、
忠臣蔵のヒーロー・大石内蔵助ゆかりの大石神社へと抜けてみた。
JR稲荷駅から、人ごみの伏見稲荷大社を、観光客の流れに身を任せて千本鳥居から奥社まで
進む。北にほんの少し折れたところにある分岐で山道に入ると、突然、人波が途絶える。
鞍ヶ谷礫層の説明を読みながら、伏見神寶神社に着く。桜がちょうど満開だった。
はるか上の桜の枝に目をやると、メジロやヒヨドリがさかんに花を突っついていた。
よく手入れされた竹林を抜けていく。時折、こんな静かなところに迷い混んでしまったと
明らかに不安顔な外国人旅行者とすれ違うが、本当に人が少ない。
やがて右手に朱色の鳥居が見えてくる。弘法ノ瀧だ。
このあたりから、滝行の場を備えた小規模な行場が続く「お瀧道」となる。
弘法ノ瀧では、その名の通り弘法大師が神殿に祀られていて興味深い。
空海はここでは神である。
伏見稲荷の華やかさは影を潜め、稲荷信仰と密教が習合した空間が続く。
廃仏毀釈で、伏見稲荷が「正式な」神社とされてしまったため、もともとあった民間宗教の
祠や塚が神社の敷地から外れたところに引っ越したりしてできたようだ。
石でできた鳥居や祠が無数に集結し、さびれた中にも、今もきっちり息づいている民間宗教の
気配がする。
ピリッと背筋が伸びるような緊張感と、独特の"妖しさ"がただよう、妙な魅力にあふれている。
青木ヶ瀧を経て、ふたたび竹林へ。竹の合い間から、桃山城が見える。
七面瀧。ここは日蓮系の行場のようだ。まさにいろんな宗教のるつぼ。
白菊ノ瀧、御劔ノ瀧を過ぎると、参道が二手に分かれる。
まずは右をとり、岩瀧大神へ。ここも、おびただしい数の石の鳥居、祠が所狭しと並ぶ。
このまま登っていくと大岩神社だが、いったん元の分岐に戻り、今度は左の道へ。
末廣瀧の向かいにある手水にはショウジョウバカマがたくさん咲いていた。
なかなかの急坂を登り終えると、稲荷山の山頂(一ノ峰)に着く。
今までの幽玄の空間から、またまた外国人ラッシュの、いわゆる「伏見稲荷」の世界に戻り
当惑する。
山頂は短時間の滞在で済ませ、神社の境界標が埋まる尾根道に入る。
しばらく行くと四つ辻に汚れた道標をみる。
ここで、まずはさっき見送った大岩神社へと足を向けた。
ミツバツツジが満開。この日は人が作り出したものばかりに目が向いてきたが、
山の自然への目線を取り戻す。
突如、鉄製の広いデッキと祠、そして奥に巨岩が現れる。明らかにこれまでとは雰囲気が異なる。
大岩神社は、今度は磐座信仰の匂いがするたたずまいだ。
説明板によると、この大岩は「大巳貴命饒速日命」を表すという。
おお、オオクニヌシとニギハヤヒがセットで出てくる!
「混交」か「同一人物」か「並存」か。いろいろ考えるだけで一晩、酒が飲めそうだ。
またまた我が国古来の宗教の、別なるバリエーションを観た気がした。
先ほどの四つ辻に戻り、東麓・山科の大石神社方面へと足を進める。
しっかりした踏み跡がある山道になり、さすがにもう何もないだろうと思ったら、
「将軍菩薩」の塚に出くわす。
将軍菩薩は、右手に剣、左手に錫杖を持っていて、いわゆる十二神将や四天王とも
特徴が異なる。そもそもこれ、菩薩なのか。またまた、よく分からないワールドに来てしまった。
西野山(239m三角点)ピークは、展望はないが、ちょっと開けていて休憩に良い。
あまりにユニークなスポットが続いていたので、この平凡なピークが妙に落ち着く。
気になる道標があったので、ついでにそれを見極めようと寄り道してみた。
山科神社末社の愛宕神社の石碑である。かつてここに神社があったのかな?
石碑そのものはまだ新しい。
どんどん下り、住宅街に出た。右に折れるとすぐに大石神社だ。
ちょうど桜が見ごろで、いい花見ができた。
山科は、忠臣蔵のヒーロー・大石内蔵助が隠棲し、義挙の議をめぐらした地だ。
大石神社はあたりに居を構えていたとされ、大石内蔵助は神社の祭神となっている。
現在は大願成就のご利益があるという。
隣にある岩屋寺には、大石の遺髪塚や、大石を永代供養する忠誠堂、大石家の巴家紋を
模した池などがあり興味深い。
さらに隣にあるのは山科神社。はじめ宇多天皇の勅命で創建され、山科一ノ宮として栄えた。
大石が隠棲時、山科神社の奥の院、岩屋神社に参籠して大願成就を祈ったという。
岩屋神社は山科の東のはずれにある。
大石神社バス停からは京阪バスが付近さまざまの鉄道駅に出ていて便利。
この日は醍醐駅で地下鉄に乗り換え、六地蔵駅に出た。