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■メイン写真
佐和山の山頂から彦根城を見下ろす
■今回のコース
彦根駅→南登山口→佐和山→弁天山→大洞山→物生山→大洞山→弁天山→大洞弁財天→
井伊神社→龍潭寺→清凉寺→彦根駅
今月の「らくらく山歩の会」は、滋賀県彦根市の佐和山への歴史ハイク。
6月に下見して、今日が"本番"である。すばらしい秋晴れに恵まれてラッキーだ。
石田三成が五層(三層の説もあり)の天守を築いて本拠地とした佐和山城は、
関ヶ原の戦いの後、井伊直政が引き継いだ。
直政は関ヶ原の戦いで銃弾を受けた傷がもとで、ほどなく死去。その後、息子の直継が
雄大な彦根城を築いた。
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南登山口の手前、国道の向こうに、閉園して久しい「佐和山遊園」跡がある。
地元の建築業の個人が、石田三成のテーマパークを作ろうと1976年に着工し、
天守や寺などのミニチュアを少しずつ建てていったもの。
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南登山口から山道に入る。サルに注意との看板がある。
竹薮に入って、少し登っただけで雑木林の尾根に出る。
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佐和山城の井戸跡(千貫井)。木が倒れて祠が崩壊し、水も枯れているのが残念。
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曲輪の分岐から右に30mで石垣跡へ。大きめの岩が、角に2つ積まれている。
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すぐに佐和山の山頂に着く。本丸跡は平坦になっている。
一面に植えられたイロハモミジは、まだ青々としている。
山頂から彦根の中心部を見おろすと、彦根城の向こうに琵琶湖、そして比良山系が
見える(メイン写真)。
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北東方面には伊吹山と、フジテックの実験施設、新幹線の線路などが見える。
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尾根を北へ少し下ると、塩硝櫓跡がある。火薬の保管庫のことである。
今も瓦の欠片がみられる。
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道中、よくみられるのがシバグリ。おサルさんも喜びそうである。
大洞弁財天への下山道との分岐となる弁天山は、地味なピーク。
まずは尾根道を北へ進む。
大洞山のピークは山名表示もなく、もっと地味。そのまま歩いていると気づきもしない。
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その先で送電線鉄塔が立つ。ここは背の低いヌルデと、トゲトゲのカラスザンショや
タラノキの薮がひどく、閉口した。
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物生山(むしやま)の山頂に到着。幾つか休憩ベンチがあるので休憩するのによい。
ただ、展望はなく、ここも地味な場所だ。物生山にも、佐和山城の出城的な役割の
砦があったようだが、ピーク付近あたりは、よくわからない。
ここでランチを楽しむ。
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来た道を弁天山に戻り、大洞弁財天へと下りていく。倒木をエイヤッと越える。
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大洞弁財天は、正式には長寿院と呼ぶ。
日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから、この別名がある。
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山門を覗くと、ちょうど正面に彦根城が見える。彦根城からは鬼門の方角にあたるらしい。
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公衆トイレの窓にヤモリ! かわいい吸盤。
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里道に出て、まずは井伊神社に立ち寄る。
天保13年(1842年)に、彦根藩12代藩主の井伊直亮が、井伊家始祖の750回忌にあたり、
築造した神社。本殿は傷みが激しいため、覆いが施されている。
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次に、お隣の龍潭寺へ。石田三成と井伊家の菩提寺。庭園のコケが美しい寺だ。
井伊氏の始祖、藤原共保以来の井伊家の菩提寺とのことで、もともとは今の静岡県の
井伊谷にあったものを、井伊直政がの時にここに移築された。
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清凉寺。こちらも井伊家の菩提寺だ。井伊直孝が、父・直政の墓所として開いた。
迎賓館のような作りの、豪華な建物にため息。
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奥のほうには、歴代彦根藩主の墓所がある。
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竹薮の中に、おサルがいた。目を合わせると危ないとよく言われるが、こちらが先に
睨みつけると、「やばっ」いう感じでと目線を逸らせやがる。
彦根駅に戻る、最後の車道歩きは、この時期とい思えないくらい暑かった。
佐和山の山頂から彦根城を見下ろす
■今回のコース
彦根駅→南登山口→佐和山→弁天山→大洞山→物生山→大洞山→弁天山→大洞弁財天→
井伊神社→龍潭寺→清凉寺→彦根駅
今月の「らくらく山歩の会」は、滋賀県彦根市の佐和山への歴史ハイク。
6月に下見して、今日が"本番"である。すばらしい秋晴れに恵まれてラッキーだ。
石田三成が五層(三層の説もあり)の天守を築いて本拠地とした佐和山城は、
関ヶ原の戦いの後、井伊直政が引き継いだ。
直政は関ヶ原の戦いで銃弾を受けた傷がもとで、ほどなく死去。その後、息子の直継が
雄大な彦根城を築いた。
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南登山口の手前、国道の向こうに、閉園して久しい「佐和山遊園」跡がある。
地元の建築業の個人が、石田三成のテーマパークを作ろうと1976年に着工し、
天守や寺などのミニチュアを少しずつ建てていったもの。
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南登山口から山道に入る。サルに注意との看板がある。
竹薮に入って、少し登っただけで雑木林の尾根に出る。
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佐和山城の井戸跡(千貫井)。木が倒れて祠が崩壊し、水も枯れているのが残念。
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曲輪の分岐から右に30mで石垣跡へ。大きめの岩が、角に2つ積まれている。
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すぐに佐和山の山頂に着く。本丸跡は平坦になっている。
一面に植えられたイロハモミジは、まだ青々としている。
山頂から彦根の中心部を見おろすと、彦根城の向こうに琵琶湖、そして比良山系が
見える(メイン写真)。
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北東方面には伊吹山と、フジテックの実験施設、新幹線の線路などが見える。
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尾根を北へ少し下ると、塩硝櫓跡がある。火薬の保管庫のことである。
今も瓦の欠片がみられる。
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道中、よくみられるのがシバグリ。おサルさんも喜びそうである。
大洞弁財天への下山道との分岐となる弁天山は、地味なピーク。
まずは尾根道を北へ進む。
大洞山のピークは山名表示もなく、もっと地味。そのまま歩いていると気づきもしない。
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その先で送電線鉄塔が立つ。ここは背の低いヌルデと、トゲトゲのカラスザンショや
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物生山(むしやま)の山頂に到着。幾つか休憩ベンチがあるので休憩するのによい。
ただ、展望はなく、ここも地味な場所だ。物生山にも、佐和山城の出城的な役割の
砦があったようだが、ピーク付近あたりは、よくわからない。
ここでランチを楽しむ。
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来た道を弁天山に戻り、大洞弁財天へと下りていく。倒木をエイヤッと越える。
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大洞弁財天は、正式には長寿院と呼ぶ。
日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから、この別名がある。
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山門を覗くと、ちょうど正面に彦根城が見える。彦根城からは鬼門の方角にあたるらしい。
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公衆トイレの窓にヤモリ! かわいい吸盤。
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里道に出て、まずは井伊神社に立ち寄る。
天保13年(1842年)に、彦根藩12代藩主の井伊直亮が、井伊家始祖の750回忌にあたり、
築造した神社。本殿は傷みが激しいため、覆いが施されている。
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次に、お隣の龍潭寺へ。石田三成と井伊家の菩提寺。庭園のコケが美しい寺だ。
井伊氏の始祖、藤原共保以来の井伊家の菩提寺とのことで、もともとは今の静岡県の
井伊谷にあったものを、井伊直政がの時にここに移築された。
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清凉寺。こちらも井伊家の菩提寺だ。井伊直孝が、父・直政の墓所として開いた。
迎賓館のような作りの、豪華な建物にため息。
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奥のほうには、歴代彦根藩主の墓所がある。
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竹薮の中に、おサルがいた。目を合わせると危ないとよく言われるが、こちらが先に
睨みつけると、「やばっ」いう感じでと目線を逸らせやがる。
彦根駅に戻る、最後の車道歩きは、この時期とい思えないくらい暑かった。