既に暦の上では秋です。今日も35度を超える猛暑ですが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回は、およそ11年前、2002年8月19日に、天領時代の面影を所々に残す日田市の淡窓・中城町・豆田町界隈を歩いた時の様子を紹介します。
8月19日、大分駅から特急ゆふ2号に乗って、日田市へ行きました。サテライト日田裁判の関係で、日田市の方々とは大分地方裁判所でお会いしたりするのですが、よく考えると、日田市に行くのは今年初めてのことでした。
目的は、市町村合併関係の資料を収集することでした。日田駅を降りて、市役所へ行きました。この日の午後には湯布院町で講演の仕事が入っていたのですが、特急ゆふいんの森3号の到着時刻まで間が空いたので、駅からも、市役所などのある田島からも近い淡窓から豆田町までを歩いてみました。
私は川崎市の出身ですが、この街並みには或る種の懐かしさを覚えます。少しばかり、高津区溝口(みぞのくち)に雰囲気が似ているからです(溝口のほうがもう少しにぎやかですし、道路の幅も広いのですが)。溝口は大山街道の宿場町でした。今ではその面影もほとんどないのですが、最近まで、溝口から二子(ふたご)までの旧大山街道には、古い店、そして建物がたくさん立ち並んでいました。少し脇に入ると細い路地に静かな住宅地という点でも、この淡窓・中城町・豆田町界隈と、少し前までの溝口・二子あたりは似ています。
ちなみに、この通りには古道具屋があり、そこに古本が並べられていました。岡嶋二人のSF小説「クラインの壷」が文庫本で売られていました。この小説の舞台が溝口です(小説では「溝の口」となっています)。
喫茶店です。入ってみたくなったのですが、あまり時間がなかったので、やめました。
中心街でも刃物屋の存在は珍しくなりつつあると思われます。郊外であれば、大型ショッピングセンターの中に刃物コーナーがある程度でしょう。私は、よく、父と青葉台(横浜市)や南町田、そして宮前平のDIY店に行き、大工道具などをみていましたが、私が住んでいた大分市の郊外でもDIY店がむしろ当たり前の存在です。刃物屋、金物屋、雑貨屋、履物屋(靴屋ではありません)など、個人営業の形態では難しくなっているのでしょう。溝口には、こうした店がまだあるはずです(旧大山街道沿いなどに金物屋があります)。
日田は小京都の一つです。祇園山鉾があるとのことで、撮影しました。
そういえば、当時購入した、宮脇俊三編著『鉄道廃線跡を歩くⅨ』(JTBキャンブックス)の164頁以下に、久留米から日田の豆田まで走っていた筑後軌道の記事が掲載されています。大正5年に豆田まで延長されたのですが、久大本線の開通などがきっかけで昭和4年3月に廃止されています。街には、何の痕跡も残っていないようです。
御覧の通り、淡窓・中城町・豆田町界隈は、 道幅が狭く、ちょっとしたことで渋滞が起こりかねないところです。ここを車で走るのは少々面倒です。それに、歩行者にとっても、両方向から車が来た時などには厄介で、危険性は高いと言わざるをえません。サテライト日田問題で独自のまちづくり像を主張している日田市ですが、手始めにこの界隈を何とかしなければならないでしょう。私も取り組んでいるこの問題で、サテライト日田問題が解決してもそれは始まりにすぎないという趣旨を、私は何度も述べています。
おそらく、ヨーロッパ、とくにドイツあたりの都市であれば、自動車をシャットアウトするでしょう。幼いころの記憶をたどると、木曽路の宿場町で島崎藤村の生家もある馬籠宿(当時は長野県山口村でしたが、岐阜県中津川市と合併する方針が決定され、2005年に実現しました)は、自動車の乗り入れが禁止されていたはずです。しかし、淡窓・中城町・豆田町界隈 は、大型の路線バスも通ります。どうなるかは、御想像にお任せします。仮に自動車の通行禁止という措置を取ったとしても、日本の場合、かえって街の衰退に拍車をかける可能性が高いと思われます。だからと言って、道幅を広くしたら、生活空間の破壊にもつながりますし、観光資源としても台無しになるでしょう。
さて、僅かな滞在時間の後、日田市を離れ、湯布院町(現在は由布市)へ行かなければなりません。午後、市町村合併に関する講演の仕事が入っていたのです。2002年は、私が大分大学教育福祉科学部の助教授になった年ですが、夏休みをとらず、帰省もしなかったことを思い出しました。
久大本線の途中主要駅、日田の駅名標です。北九州市小倉北区にある城野駅から日田市夜明までの日田彦山線も、日田駅まで乗り入れています。この写真ではわからないのですが、左側(久留米方面)の「てるおか」を漢字で記すと「光岡」となります。難読駅名と言ってよいでしょう。ちなみに、サテライト日田問題の現場は、光岡駅からのほうが近いのですが、周辺が細い道でわかりにくく、また、普通列車の本数も少ないため、特急停車駅である日田駅からバスかタクシーで行くほうが楽でしょう。
日田駅3番線に停まるキハ125です。JR九州が発足してしばらくしてから登場した気動車で、久大本線、豊肥本線などを走っています。
ちなみに、久大本線が日田を通るようになったのは意外に遅く、昭和初期になってからのことでした。
2番線から光岡側を撮影したものです。左側は日田市の中心街です。御覧のように、久大本線は非電化路線ですので、架線がなく、すっきりとしています。ただ、気動車のエンジンが鳴り響いていることもあり、ホーム付近は結構な暑さとなります。
日田市でも中心街の空洞化という問題があります。撮影当時、この写真にある岩田屋日田店は営業していたのですが、2週間ほど後、2002年8月31日を最後に閉店しました。岩田屋の経営建て直しのためで、多少、時期が前後するとは言え、熊本の岩田屋も閉店しました。熊本のほうは「くまもと阪神」となったのですが、日田のほうは、岩田屋が撤退してからの後処理が難航しているようです。たしか、日田市が購入して何らかの施設を作るという話も出ていたはずですが、上手くいっていないようです。2003年8月下旬にも日田市に行ったのですが、岩田屋日田店の建物は、何の利用もないままに残されていました(その後、跡地にはマンションが建てられました)。
九州では鉄道ファンのみならず、女性にも人気の高い気動車特急、ゆふいんの森号です。私が撮影したのはゆふいんの森3号別府行でした。外見からではわかりにくいのですが、編成によって1世、2世と言われることもあります。これは1世と言われるキハ71系のほうです。実は、国鉄時代に作られたキハ65とキハ58を改造したもので、発車の際に出すディーゼルエンジンの音がとにかく大きいのですが、車体は新たに作られたもので、ビュッフェがあり、床は木材を使用するなど、とにかく凝ったデザインです。
この列車に乗って、私は、午後の仕事のために湯布院(駅名は由布院)まで行きました。
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