ウチの周りは縄文時代から人が居住していた地域のようで
各時代の遺物が出土しているらしい。
遺跡台帳には古墳や貝塚も載っている。
鎌倉時代から街道が整備され
鎌倉往還の古道が残されている。
現在は明治通りに組み込まれてしまったが
鎌倉橋という地名があったり
不自然に枝分かれする細い道があって
それが鎌倉街道である。
中仙道は、その南側に平行している千川上水とともに
江戸時代に尾根伝い(板橋平尾宿に地名の名残あり)に整備されたもので
鎌倉道とは掘割(千川上水の沈殿池に由来する地名)で
交差している。
その北側、現在の国道17号線と交差する西巣鴨付近から
古代、この周辺を治めていた「平塚氏」の居城である
平塚城(現在は平塚神社)結ぶまで道があった。
途中西ヶ原に「道音坂」という急な坂があって
おそらく古代、石神井川(このあたりでは滝野河と呼ばれていた)の
流路であったであろう谷戸を降り、都電滝野川1丁目停留所付近を底に
再び本郷・上野台地へ登ってゆく。
住居表示で、この付近は「滝野川」「西ヶ原」にまとめられてしまったが
駐在所(交番ではない!)や消防署出張所の名前や町会名などに名残があって
今と名っては失われつつある名前を気にしながら
近所を歩くのもは結構楽しい。
30年以上住んでいて、結構新しい発見もあったりする。
各時代の遺物が出土しているらしい。
遺跡台帳には古墳や貝塚も載っている。
鎌倉時代から街道が整備され
鎌倉往還の古道が残されている。
現在は明治通りに組み込まれてしまったが
鎌倉橋という地名があったり
不自然に枝分かれする細い道があって
それが鎌倉街道である。
中仙道は、その南側に平行している千川上水とともに
江戸時代に尾根伝い(板橋平尾宿に地名の名残あり)に整備されたもので
鎌倉道とは掘割(千川上水の沈殿池に由来する地名)で
交差している。
その北側、現在の国道17号線と交差する西巣鴨付近から
古代、この周辺を治めていた「平塚氏」の居城である
平塚城(現在は平塚神社)結ぶまで道があった。
途中西ヶ原に「道音坂」という急な坂があって
おそらく古代、石神井川(このあたりでは滝野河と呼ばれていた)の
流路であったであろう谷戸を降り、都電滝野川1丁目停留所付近を底に
再び本郷・上野台地へ登ってゆく。
住居表示で、この付近は「滝野川」「西ヶ原」にまとめられてしまったが
駐在所(交番ではない!)や消防署出張所の名前や町会名などに名残があって
今と名っては失われつつある名前を気にしながら
近所を歩くのもは結構楽しい。
30年以上住んでいて、結構新しい発見もあったりする。