池袋の昔のはなし

2012年09月10日 | 徒然
池袋は、戦後に発展した繁華街で
その発祥は終戦直後の闇市とされています。

この地に山手線の駅ができたのは
隣の目白などよりも後で
最初は、目白-板橋間の信号所として開業しました。

とはいえ、全く何もない場所だったわけではなく
古くは鎌倉古道などが通る場所でもあり
ただ、地名からもわかるように
湿地や湧水の多い場所だったために
開発の遅れた土地だったのです。

東武東上線や地下鉄丸ノ内線などは
もともと大塚をターミナルとする予定でした。
都電荒川線の前身である王電も、大塚をターミナルにしていて
白木屋デパートもあった大塚の方が
池袋よりもはるかに栄えていたのです。

また、現在の山手線のルートである豊島線も
当時の山手線の本線である赤羽線ルートとの分岐を
最初の段階では目白にする予定だったようです。

これらの名残は、東上線の下板橋の急カーブ
(ここを直線で延ばすと大塚駅につながる)
や、山手線の池袋-大塚-巣鴨のカーブに見られます。


さて、池袋駅以前の池袋は
そんなわけでまだ人家が少なく
そのために監獄、巣鴨プリズンができ
戦後、東京拘置所として、戦犯の絞首刑も行われてきました。
現在は、サンシャイン60とサンシャインシティとなっていますが
絞首台の会った場所は公園として整備されています。

また、サンシャインの近くには
明治天皇が陸軍演習の際の野立をした場所もあって
意外と歴史的な舞台になっていたりもするのです。


この石碑は、周辺の再開発に伴って一時撤去されていましたが
ビル完成後、この場所に再び整備されました。

池袋がターミナルになってからは一気にデパートなどが立ち並びましたが
つい30年ほど前までは、ホームも少なく薄暗い地下道の印象しかありませんでした。
今の池袋は、当時から考えれば信じられないような変化です。
コメント
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