皇居吹上は現在、天皇陛下のお住まいである御所があるエリアで
宮内庁職員や皇宮警察官でさえ、入る事の出来る人間が限られる
絶対不可侵の領域でもあります。
(御所へつながる外庭東門)
家康公入城以前は、局沢と呼ばれており、16の寺社がある物見遊山の場所でもありました。
現在、吹上には局門という門がありますが、これは局沢の地名ではなく
明治時代にこの場所にあった女官官舎に由来しています。
(局門)
徳川時代初期の頃には御三家の上屋敷が置かれた場所で、西の防衛線でもありました。
さらに西側は、街道沿いを服部半蔵が警備を担当し、その北側は沼沢が広がり
その沼沢から紅葉山にかけて風が吹き上がる事から、吹上と呼ばれるようになったとされています。
明暦大火で吹上曲輪が焼失ののちは、吹上御苑として火除け地となり、庭園が造成されました。
(吹上の塀)
(吹上の周囲は地形も面白い)
御一新以降は、庭園の場所にゴルフ場が作られ、盧溝橋事件の際に
昭和天皇がゴルフをお取り止めになられて以降、自然の森中心の御所となりました。
現在の施設は御所の他に、天皇陛下が神道祭祀を行うための宮中三殿や
陛下のご研究の場所でもある生物学御学問所、新嘗祭の稲を育てる稲田、
皇后陛下の御養蚕所や桑畑、観瀑亭や池泉庭園があります。
(長屋門は、江戸時代に中里門があった辺り)
宮内庁職員や皇宮警察官でさえ、入る事の出来る人間が限られる
絶対不可侵の領域でもあります。
(御所へつながる外庭東門)
家康公入城以前は、局沢と呼ばれており、16の寺社がある物見遊山の場所でもありました。
現在、吹上には局門という門がありますが、これは局沢の地名ではなく
明治時代にこの場所にあった女官官舎に由来しています。
(局門)
徳川時代初期の頃には御三家の上屋敷が置かれた場所で、西の防衛線でもありました。
さらに西側は、街道沿いを服部半蔵が警備を担当し、その北側は沼沢が広がり
その沼沢から紅葉山にかけて風が吹き上がる事から、吹上と呼ばれるようになったとされています。
明暦大火で吹上曲輪が焼失ののちは、吹上御苑として火除け地となり、庭園が造成されました。
(吹上の塀)
(吹上の周囲は地形も面白い)
御一新以降は、庭園の場所にゴルフ場が作られ、盧溝橋事件の際に
昭和天皇がゴルフをお取り止めになられて以降、自然の森中心の御所となりました。
現在の施設は御所の他に、天皇陛下が神道祭祀を行うための宮中三殿や
陛下のご研究の場所でもある生物学御学問所、新嘗祭の稲を育てる稲田、
皇后陛下の御養蚕所や桑畑、観瀑亭や池泉庭園があります。
(長屋門は、江戸時代に中里門があった辺り)