道灌濠と紅葉山

2015年12月12日 | 東京のお散歩
皇居、つまり旧江戸城西の丸と吹上曲輪を隔てる濠が、道灌濠です。
その位置から、通常は一般人の目に触れる事のない濠です。

(道灌濠)

名前からもわかるように、太田道灌が江戸城築城の際に築いたとされていますが
その事を裏付ける文書は、現在に至るまで発見されていません。
史実上の道灌の江戸城域には、現在の道灌濠は含まれません。

周囲の地形や濠の形、水源などからみて、赤坂台地の自然池泉を
人工的に開削し濠としたものと考えられます。

道灌濠に囲まれた西の丸の北側には、紅葉山という山があります。
この山は、言い伝えでは古墳とも言われていますが、定かではありません。

(紅葉山)

(紅葉山の麓の山下通)

道灌の時代以前には最勝寺という寺があり、築城の際に麹町へ移転させられました。
この寺は、のちに数度の移転を経て、現在は世田谷の三軒茶屋に
「教学院」や「目青不動」の名で知られています。

(最勝寺)

家康公による江戸城拡張普請の際に文庫が作られ、没後は東照宮となりました。
明治以降は、東照宮が上野山に遷座し、紅葉山文庫は内閣文庫となり
大正時代に皇后陛下の御養蚕施設「紅葉山御養蚕所」が建てられ
現在に至っています。

(上野東照宮)
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