AKO47

2015年12月14日 | 東京のお散歩
元禄十五年師走十四日(西暦1703年1月30日)。
つまり310年ほど前の今日、大石内蔵助良雄総監督率いる
AKO47のメンバーが、本所松坂町に隠居していた、吉良左近衛権少将義央を
亡きAKOグループのプロデューサー浅野内匠頭長矩の仇として討ち取りました。

(本所松坂町吉良邸跡)

なんか変な文章になったな…。


赤穂事件は、忠臣蔵として講談や歌舞伎、のちにはドラマや映画になり
この季節になるとかつては必ずテレビで忠臣蔵が放送されたものです。

(大石良雄が切腹した毛利邸跡地は、現在の六本木ヒルズ下の毛利庭園)

(泉岳寺の赤穂義士墓地入口)

どうしても赤穂寄りの物語になり、吉良は悪役となってしまいますが、
史実上では吉良義央は、なかなかの名君として知られ
事実、知行地三河では今でも慕われています。




コメント
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