かつて石神井川を王子で分水して導水された音無川(石神井用水)が
三ノ輪でさらに幾筋かに別れたうちの一つ、思川。
この川を渡る日光街道の橋があしたのジョーでもおなじみ泪橋です。
江戸時代、現在の都営バス南千住営業所付近に小塚原刑場があり
ここでは磔、火炙り、獄門が行われ、伝馬町の牢屋敷などで処刑され
ここへ運ばれ梟首にされるものもありました。
小塚原で処刑される者にとっては、この橋が今生の別れの場でもあり
身内の者とこの橋の上で涙を流し別れたことから泪橋とつけられました。
東海道鈴ヶ森の刑場近くにも泪橋がありましたが(立会川)、
こちらは浜川橋と改称されています。