豊島区西巣鴨。
ここに、招き猫発祥の地の一つとされている寺院があります。
浄土宗道哲弘願山専称院西方寺は、もともと本所押上の大雲寺(現在は江戸川区へ移転)の末寺で
浅草聖天町にある、いわゆる「投込み寺」でした。
(西方寺)
新吉原の遊女で有名な太夫、二代目高尾の墓も、この寺にあります。
(高尾太夫の墓)
招き猫の石像は、この高尾太夫の墓の入口に鎮座しています。
この招き猫の石像は、当地への移転前に寺にあった猫塚の名残で
ある伝説に由来しています。
(招き猫像)
吉原の遊郭三浦屋の抱え遊女、薄雲太夫の愛猫の三毛猫が、
遊郭の主人に化け猫と勘違いされ殺されてしまう云々…。
という伝説です。
伝説自体は、各所に伝わる招き猫伝説と同様、主人を助ける話と
商売繁盛譚という、よくある話ではありますが、由来の石像がある点と
この縁起が「近世江都著聞集」に書かれている点で、
今戸神社、豪徳寺、自性院、伏見稲荷などの発祥説地に並ぶ
招き猫発祥の地として知られています。
その寺院に隣接して、豊島区立朝日中学校跡地に、校舎を利用して作られた
にしすがも創造舎という文化芸術創造支援のスペースがあります。
ここは主に演劇の稽古場として使われています。
(にしすがも創造舎)
この場所は大都映画という娯楽映画の撮影所があった場所で
大正八(1919)年に「天然色活動写真株式会社」というキネマカラーの映画撮影所として開設され
国際活動映画、河合映画製作社と所有者が変わり、河合映画が発展的解消し
昭和八年に大都映画となりました。
昭和十七年には、戦時統合によって大日本映画(大映:現在の角川映画)となり
撮影所跡地は、豊島区立朝日中学校となり、平成十三年に廃校になったのち
再び役者の集まる場所となりました。
(撮影所跡地である説明板)