世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

TOPの美学

2007年09月14日 | 人生
世界は全く異なるが、政界と角界のトップの座にある者が転んだ。

  というか、欝という病魔に冒され、心を病んだ。

  その世界でトップの座に上り詰めた人間が、こんなに脆弱なものなのか。
 

形は違っても、いずれも勝負の世界だ。


いや、財界に限らず、中小企業や商業の世界も、規模の差にかかわらず、毎日毎日生きるか死ぬかの勝負の中に晒されながら生きている。

そして、戦場でバタバタと倒れていく戦友のように、消え去るものも少なくない。

  常在戦場で、「明日はわが身」とただ見守るしか術のない非力さを痛感する。


勝負というからには、敵と呼ばれる相手が存在する。

すべからく勝負師は敵を打ち負かすべく邁進する。


いかに常勝者でも、負けるときはある。

しかし、再起を期して、さらに精進を重ねる。


一つの成功の影に、百もの失敗があるように、

   一つの勝利の裏に、数え切れない挫折があるものだ。

失敗や挫折の辛酸を舐めることなく、成功や勝利の美酒の味に浸るものは、むしろミジメだ。

なぜなら、本当の勝負は、勝った後に訪れるものだから。

勝ち続けること、成功を積み重ねることの方がより困難だ。

 負けたとき、挫折した時こそ、勝負師の真価が問われる。


そして真の勝者は、引き際を常に念頭に置く。

  引く勇気は、進む勇気を凌駕する。


そのときの勝負の相手は、誰でもない、自分自身だろう。

  最大の敵は、自分の中に潜んでいる。


先の政界・角界のトップは結局自分に負けたのだろう。


時に、勝つことより、引き際の花道を作ることのほうが難しいことがある。

  最後に、美学を飾るのは潔い引き際だ。



ボクも、吹けば飛ぶような規模ながら、一様トップにある。

  「鶏口となるも、牛後となることなかれ」

     さて、小人のささやかな美学として、引き際の花道を模索するか?


It's better to be a big fish in a little pond than a little fish in a big pond.