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国家

2010年03月06日 | 国際
「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」

石原都知事がバンクーバー五輪の日本選手の活躍に対する国内の反応について述べた言葉だ。

また、

「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」

とも話した。


「金無し」 は、文字通り、女性化、草食化の現れか?

とも皮肉りたくなる。




オリンピック選手のように注目されなくとも、

海外協力隊の活動は国家という重いものをそれぞれが背負っている、

と感じることが多々ある。


心に日の丸を掲げて活動している。

一挙手一投足が受け入れ国の国民の注目を受けているのだ。



幸か不幸か、

日本人は、勤勉で、礼儀深いというイメージはまだ海外で生きている。


謙虚というより、シャイで引っ込み思案で、ユーモアがなく、イエス・ノーをはっきり言わない優柔不断というイメージもいまだに根深いようだ。


「自己主張力」 は、国際社会で生き抜くための必須の条件だ。

なのに、

今だ日本人は、自分の意見を堂々とはっきり述べることを苦手とする。


さらに、相手の意見を尊重することも、不得手だ。



愛国心というと、

それだけで何かと毛嫌いする傾向があるように思われる。


右翼や戦争をイメージしてしまうのだろうか。



日本にいても、めったに日の丸を見かけない。

(日の丸弁当も然り)


国際貢献も、なぜかヒッソリとやっている、感がある。


これも、

「奥ゆかしさ = 美徳」

という錯覚のなせる国民性か?


「陰徳」 は、それはそれでまた良さはある。


しかし、これでは国の重みを感じることも出来ないだろう。


某隣大国など、針小棒大的に、これでもかと見せつけているのに。

(それもどうかと思うが)



自分の国に誇りと自信がなければ、

自分自身に、誇りと自信を持つことはできない。


逆もまた真なり。