世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ベトナム列車の旅

2014年01月07日 | 
一足飛びの飛行機と違って地を這うような汽車の旅が好きだ。


ヨーロッパ中をユーレイルパスという乗り放題の回数券を使って列車で旅したころがあるが、

その華やかさ、優雅さと違ってここべトムの列車はどこか辛気臭く、

社会主義国のにおいがして、華やかさには程遠い。


   待合室はヨーロッパ人ばかりだ。



本来駅やバスターミナルは、空港と違い、

本来の移動目的だけのためにあるかのように、さびれた感じがして、危険で怪しげな雰囲気が漂っているものだ。


駅にデパートを作ったのは阪急の創始者小林一三ではなかっただろうか。

そういえば、どこも駅周辺は繁華街になっているところが多いのは日本独特の文化かもしれない。



途上国の駅やバスターミナルは最も危険な地域とされるところが多い。

バスターミナルに限っては、アメリカもそうだ。

今でこそましになったが、ニューヨークの42丁目のバスターミナルあたりは、

当時ハーレムに匹敵するくらい危険な場所だった。



日本では、駅は人がたむろするところが多いが、他国では単なる一つの通過点に過ぎない。


汽車の時間になるとどこからともなく人が集まり、列車が着くと乗客が降りてきてどこからかへ三々五々消えていく。




その風情がまたいい。



車窓から見える景色は、バスのそれ以上にその国の生活を垣間見ることができる。

そこになぜか親近感を感じてしまうのだ。


畑仕事や、山間部の貧しい慎ましやかな生活がそこにはある。

線路脇での暮らしは一層生々しくその国の暮らしを映し出す。



長距離になると、外国人ツーリスウトと、地元の人間たちは厳しく峻別されるところがまだ多く残っている。


寝台車やコンパートメント荷を占めるのはほとんどが外国人だ。

若いバックパッカー族に交じって旅慣れした年配者も見受けられる。



列車とバス、そして船を乗り継ぐたびがボクは好きだ。

それは常に危険と隣り合わせになり、極度の緊張う感を生む。



エジプトのカイロかとクソールを結ぶ寝台車は、

時に列車強盗に襲われると聞いていた。

車掌はすべて武装してその事実を如実に伝えていた。

ボクはナイフを握りしめながらまんじりともせず横たわっていただけだった。



ペルーのクスコからボリビアのチチカカ湖に向かう列車は、

泥棒列車と呼ばれていた。

そのため荷物は鎖でしっかりとその辺の市中に結び付けておかなければならなかった。



半面、ヘルシンキからロバニエミに向かうフィンランドの寝台車は安心して森林風景を楽しめたものだった。


総じてヨーロッパの列車の旅はいい。

それぞれ個性があって、それだけでも楽しめる。




アメリカはアムトラックより、

グレイハウンドの長距離バスのほうがどことなくドライバーとの一体感があって楽しめた。

乗っているうちは、乗客とドライバーは家族のような関係をつ切っていく。


グレイハウンドのドライバーは、

飛行機の機長以上に誇りと責任化を持ち、それだけに権限も掌握していた。



陸路の旅は、移動そのものの中に生活臭さが漂っていて 

旅の醍醐味を感じさせてくれる。



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寝台車の下の段は快適だ。




ビールを買い込み、あとは飲んで寝るだけ。


夜食にって、Nちゃんがテイクアウトしてくれた。



いい子だねー。



車内販売もしっかりあったけど。



このおばさんよりやっぱりマシ。

水とカップラーメンも無料だったけど。


テーブル下には電源もしっかりあったのが嬉しい。