{今日死ぬと思って事に当たり、
永遠に生きると思って計画を練る}by Asay
ご存じガンジーの言葉、
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
からパクってアレンジしてみた。
何をやるにも、
ボクは「楽しむ」ということを主流においている。
確かに人生は、家康が言うように、
「重き荷物を負うて 遠き道をゆくがごとし」 ものである。
つまり、辛く長いという。
それを楽しいと思い、
楽しむことができれば、怖いものはなくなる。
確かに人生は、
辛く苦しい試練の連続である。
だが、それらを跳ね返すというよりも、
真っ正面から受け入れて、
「これが自分の道」なんだ、
これが「自分の人生なんだ」と思うこと。
むしろ、
苦しみや障害さえも好んで自身の糧とし、
それで大きくなっていくような強靱さを持ち合わること。
インテルの長友佑都は言う。
「なんかそういう壁みたいなものを自分が求めているから、来るんでしょうね。
もちろん、好きじゃないですよ。だけど、自分で好きだ好きだと思い込むんです。
自分のストーリーがあまりにもすべてがうまくいくのは、気持ちいいかもしれないけど面白くないじゃないですか。
ケガをしたり、ミスをして批判されて、ブーイングされて、メディアでぐちゃぐちゃに叩たたかれたりして、
そこから這い上がっていくストーリーのほうが僕は好きだし、
それを見せるのも好きなんですよ。
頑張っている子どもたちがそれを見たときに、
どれだけ勇気をもらえるか、ということも意識しているんでしょうね。
そっちのほうが格好いいと思っている自分がいるんです」
「どんなときも這い上がってくる、
どんなときも諦めずに走っている」
そんな姿を未来にいる自分が見ている。
思考は常に未来に向いている。
そして全力で戦った今日の先にある明日を信じる。
この先に何があるのだろうか
その根幹にあるのは、
強い「ポジティブ感」と、力強く「生き抜く力」。
そしてそれを後世(特に我が子たち)に伝えていく強い「使命感」。
自分自身は、
生きている限り
さらなる大きな次のステージに進み続ける。
実際ボクは、
約20㎏のバックパックを担いで、
(しかも時には4歳の子を抱きかかえ)
400日間かけて世界一周を成し遂げた。
文字通り、重い荷物を担いで、
地球という長い道のり(約6万キロほど、月までの距離?)を歩いた。
(もちろん、飛行機やバスなども利用したが)
その間、苦しいとは一度も思わなkった。
実に楽しかった。
そして、そうした旅(人生)を今でも性懲りもなく続けている。
なぜなら、楽しいから。
楽しすぎるから。
日本ほど、安全で、綺麗で、便利な国はないのに、
なぜわざわざ危険で汚くて不便な国に出かけるのか。
それは、まだ行っていない場所があり、
見ていないものがあり、
会っていない人々がいるからだ。
それに、触れていない空気が漂っている。
目や耳だけではない。
五感で触れて感じて初めて本物としての実感が湧くのだ。
同じように、
本を読み、学問をすることで、
未知の世界に行き触れるとができる。
過去の偉人にも会える。
それをこれから始めようというわけなのだ。
これから、大学院の修士課程に臨み、
「心理学」という専門分野を学ぶ。
修了するためには、24単位とらなければならない。
一年に4単にずつ取れば、6年かかる。
それから博士課程(ドクターコース)に進む。
更に年月を要するだろう。
もっと難解な勉学を積まなければならないだろう。
それまで生きている確率は低い。
だからといって、その努力が無駄だとは思わない。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 」
高村幸太郎『道程』より
竹を切り倒し、道を作りながら進む
例え道半ばで倒れても、
それまでは諦めず前を向いて進むのだ。
そして前のめりに死んでいこう。
茨の道で。
♬Winding road♬
♪曲がりくねった 道の先に
待っている 幾つもの 小さな光
まだ遠くて 見えなくても
一歩ずつ ただそれだけを 信じてゆこう(^^♪
永遠に生きると思って計画を練る}by Asay
ご存じガンジーの言葉、
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
からパクってアレンジしてみた。
何をやるにも、
ボクは「楽しむ」ということを主流においている。
確かに人生は、家康が言うように、
「重き荷物を負うて 遠き道をゆくがごとし」 ものである。
つまり、辛く長いという。
それを楽しいと思い、
楽しむことができれば、怖いものはなくなる。
確かに人生は、
辛く苦しい試練の連続である。
だが、それらを跳ね返すというよりも、
真っ正面から受け入れて、
「これが自分の道」なんだ、
これが「自分の人生なんだ」と思うこと。
むしろ、
苦しみや障害さえも好んで自身の糧とし、
それで大きくなっていくような強靱さを持ち合わること。
インテルの長友佑都は言う。
「なんかそういう壁みたいなものを自分が求めているから、来るんでしょうね。
もちろん、好きじゃないですよ。だけど、自分で好きだ好きだと思い込むんです。
自分のストーリーがあまりにもすべてがうまくいくのは、気持ちいいかもしれないけど面白くないじゃないですか。
ケガをしたり、ミスをして批判されて、ブーイングされて、メディアでぐちゃぐちゃに叩たたかれたりして、
そこから這い上がっていくストーリーのほうが僕は好きだし、
それを見せるのも好きなんですよ。
頑張っている子どもたちがそれを見たときに、
どれだけ勇気をもらえるか、ということも意識しているんでしょうね。
そっちのほうが格好いいと思っている自分がいるんです」
「どんなときも這い上がってくる、
どんなときも諦めずに走っている」
そんな姿を未来にいる自分が見ている。
思考は常に未来に向いている。
そして全力で戦った今日の先にある明日を信じる。
この先に何があるのだろうか
その根幹にあるのは、
強い「ポジティブ感」と、力強く「生き抜く力」。
そしてそれを後世(特に我が子たち)に伝えていく強い「使命感」。
自分自身は、
生きている限り
さらなる大きな次のステージに進み続ける。
実際ボクは、
約20㎏のバックパックを担いで、
(しかも時には4歳の子を抱きかかえ)
400日間かけて世界一周を成し遂げた。
文字通り、重い荷物を担いで、
地球という長い道のり(約6万キロほど、月までの距離?)を歩いた。
(もちろん、飛行機やバスなども利用したが)
その間、苦しいとは一度も思わなkった。
実に楽しかった。
そして、そうした旅(人生)を今でも性懲りもなく続けている。
なぜなら、楽しいから。
楽しすぎるから。
日本ほど、安全で、綺麗で、便利な国はないのに、
なぜわざわざ危険で汚くて不便な国に出かけるのか。
それは、まだ行っていない場所があり、
見ていないものがあり、
会っていない人々がいるからだ。
それに、触れていない空気が漂っている。
目や耳だけではない。
五感で触れて感じて初めて本物としての実感が湧くのだ。
同じように、
本を読み、学問をすることで、
未知の世界に行き触れるとができる。
過去の偉人にも会える。
それをこれから始めようというわけなのだ。
これから、大学院の修士課程に臨み、
「心理学」という専門分野を学ぶ。
修了するためには、24単位とらなければならない。
一年に4単にずつ取れば、6年かかる。
それから博士課程(ドクターコース)に進む。
更に年月を要するだろう。
もっと難解な勉学を積まなければならないだろう。
それまで生きている確率は低い。
だからといって、その努力が無駄だとは思わない。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 」
高村幸太郎『道程』より
竹を切り倒し、道を作りながら進む
例え道半ばで倒れても、
それまでは諦めず前を向いて進むのだ。
そして前のめりに死んでいこう。
茨の道で。
♬Winding road♬
♪曲がりくねった 道の先に
待っている 幾つもの 小さな光
まだ遠くて 見えなくても
一歩ずつ ただそれだけを 信じてゆこう(^^♪