昨日のブログで
言いたかったのは、
後半の
「最悪の状態を想定して、
最高の夢を描き、
極上のパフォーマンスをする」
ということで、
その上で、
最悪の状態を想定してみたのです。
基本、楽観主義者だけど、
あんまりポジティブばかりでも疲れるんですよね。
第一、可愛気がない。
(それで実際嫌われたりもしてます)
たまにはネガティブな表現になってもいいのでは。
マイナスの言葉を吐いて波動を出すと
マイナスなことを引き寄せる、
と言われるけど、
時にはいいんじゃないかな。
そのほうが人間らしいのでは。
基本ポジティブさはブレてないし。

根幹を鍛える
ゴムも引っ張ってばかりじゃ切れてしまう。
突っ張ってばかりの人は、
そもそも基本弱い場合が多い。
トラの威を借りる羊も、
たまにはトラの衣を脱いでリラックスしなきゃ。
常に、鎧兜を着ているるのも肩が凝る。
時には、フンドシ一丁になって
あるいは素っ裸になって恥部をさらけ出すのも
さっぱりして、清々しくて良いものなんですよ。
(人前でやると、犯罪になります)
言霊の威力は承知しています。
潜在意識やインナーチャイルドといった観点も。
その上で、
敢えて、ポロリと本音を吐くのも愛嬌というものでしょう。
脳にも、
遊びや愛嬌、余興というものは必要だというものです。
むしろ、余裕といってもいいでしょう。
凝り固まったガチガチ頭は柔軟にしなきゃ。
包容力、器量といった観点からも。
ステレオタイプから、
サーラウンド的思考を心掛けて。
全てのもの、物事には表裏、二面性がある。
いつも片側だけ見るのは、いわゆる偏見を生みます。
あるいは多面的に見る必要があるでしょう。
ボクは、楽観主義者だけど、
楽天家ではない。
アドラーの言葉を借りるなら、
楽観的とは単なる能天気ではない。
何の根拠もなく、準備もせずに能天気に対応する人は、
楽観的ではなく楽天的と呼ぶ。
楽観的とは根拠と準備のある人のこと。
しかも、悲観的に検証し、悲観的に準備をし、
その上で肯定的に行動すること。
それを楽観的と呼ぶのです。
そういう意味で最悪を想定したのです。
言いたかったのは、
後半の
「最悪の状態を想定して、
最高の夢を描き、
極上のパフォーマンスをする」
ということで、
その上で、
最悪の状態を想定してみたのです。
基本、楽観主義者だけど、
あんまりポジティブばかりでも疲れるんですよね。
第一、可愛気がない。
(それで実際嫌われたりもしてます)
たまにはネガティブな表現になってもいいのでは。
マイナスの言葉を吐いて波動を出すと
マイナスなことを引き寄せる、
と言われるけど、
時にはいいんじゃないかな。
そのほうが人間らしいのでは。
基本ポジティブさはブレてないし。

根幹を鍛える
ゴムも引っ張ってばかりじゃ切れてしまう。
突っ張ってばかりの人は、
そもそも基本弱い場合が多い。
トラの威を借りる羊も、
たまにはトラの衣を脱いでリラックスしなきゃ。
常に、鎧兜を着ているるのも肩が凝る。
時には、フンドシ一丁になって
あるいは素っ裸になって恥部をさらけ出すのも
さっぱりして、清々しくて良いものなんですよ。
(人前でやると、犯罪になります)
言霊の威力は承知しています。
潜在意識やインナーチャイルドといった観点も。
その上で、
敢えて、ポロリと本音を吐くのも愛嬌というものでしょう。
脳にも、
遊びや愛嬌、余興というものは必要だというものです。
むしろ、余裕といってもいいでしょう。
凝り固まったガチガチ頭は柔軟にしなきゃ。
包容力、器量といった観点からも。
ステレオタイプから、
サーラウンド的思考を心掛けて。
全てのもの、物事には表裏、二面性がある。
いつも片側だけ見るのは、いわゆる偏見を生みます。
あるいは多面的に見る必要があるでしょう。
ボクは、楽観主義者だけど、
楽天家ではない。
アドラーの言葉を借りるなら、
楽観的とは単なる能天気ではない。
何の根拠もなく、準備もせずに能天気に対応する人は、
楽観的ではなく楽天的と呼ぶ。
楽観的とは根拠と準備のある人のこと。
しかも、悲観的に検証し、悲観的に準備をし、
その上で肯定的に行動すること。
それを楽観的と呼ぶのです。
そういう意味で最悪を想定したのです。