世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

愛と恋

2019年02月24日 | 
恋愛というが、

恋と愛は違う。


それは以前書いた、祈願というが、

祈りと願いの違いに似ている。



恋は下心、愛は中心という。


恋は一時であり、愛は永遠である。


恋は冷めるときがあるかもしれない、

だが、愛は冷めない。

愛は、覚めるのである。


恋は落ちるもの、

愛は目覚めるものなのだ。





愛とは、

敬いを伴い、慈しみを育てる。


それは増幅されることはあっても、

逓減したり消失することはない。



本気さは、ある意味狂いを伴う。

ならば、

恋狂いではなく、愛狂いなのだ。


老いらくの恋ではなく、

老いらくの愛なのだ。



あまりに愛されすぎると、怖くなることがある。

いつか冷めるのではないかと、

不安が付きまとう。。


愛されれば愛されるほど信用できない。

それは、愛に慣れてないから。

本当の愛を知らないから。


愛とは信頼であり、

本当の信頼とは、疑いから始まる。

(いきなり信じるのは妄信という)


恋の始まりは決まって不安が付きまとう。

恋の衝撃を愛と錯覚することはよくあることだ。


これは恋なのか、愛なのか。


恋が愛に変わるとき、

それは確信となる。



恋が甘味なモノなら、

愛は美味なモノだ。


恋が薪の炎なら、

愛は、炭の熾火のようなものだ。


恋が盲目なら、

愛は、開眼。


恋が落ちるモノなら、

愛は、目覚めるモノ。


恋は奪い、

愛は与える。



【余談】


英語では、

恋も愛もloveである。


Crashという単語を使うこともある。

I have a crash on you.

これは、

accidentですね。


Fall in love.


Affectionともいうが、

慈悲や穏やかさを伴う愛ですね。