・“出張“という名の巣立ちである。・・・ちなみにうちらの場合は2年間。・・・出張先としてあらかじめ決められたリストがある。・・・
1つめは、病院のクオリティ(最新鋭の設備からおんぼろの設備)
2つめは病院の立地
3つめは給料の額(月額30万円~70万円)
「あみだのゴールには番号が書いてあります。それが個々の選択権の順番になりますから、その順に希望の出張病院を選んでいくことにします」
・新しい就職先を目前に人生最大の体調不良を起こし、驚くなかれ自宅に寝たきりの状態になっていたのであーる!? ・・・結局いろんな先輩の手を思いっきりわずらせながら、アタシは東京は下町の古くからある病院に勤めさせてもらえることになった。そして世間からおくれること、約半年。アタシの花道人生はようやく最初の一歩を踏み出したのである。
・ムンテラ、これは話術による治療のことをさす。口で治す、つまり患者との対話によって病態を快方に近づけようとする技法だが、それも知慮者の言葉づかいや口調によって、病人の状態はよくもなるし悪くもなるものだからこんな治療が存在し、いまなお受け継がれているのである。
ネタばらしになっちゃうけど、じつはムンテラって厳しめにするのがミソなんだよねぇ。別名、キツめのムンテラともいう。要するに、ちょっとだけ悪く言う。
ほとんど痛みの出ない病気でも、「もしかすると、少しだけ痛むことがあるかもしれません」と言っておく。また、再発の恐れが9割方ない場合でも、「万が一、再発するという可能性もないわけではありません」
・“虚仮の一念岩をも通す”で、最終的には1年間の努力の結果、10kgの減量に成功。
だからいまとなっては「やせたいのにやせられない」って言いわけばっかりしてる甘えたヤツらが大嫌いじゃ。そーゆーのは努力と根気が足りないか、知識が著しく欠如してるかのどっちかだ。・・・つまり美しくやせるのは健康のためでも社会的立場のためでもなく、すべては自分の人生をまるごと改革するためなんである。
・しかし女医に関していえば、どうだ? たいして美人でもなくてもなぜか”美人女医“って称号が与えられる。これってどういうことか、よ~く考えてみよう。つまりだな、世間一般の常識では<女医>という生き物にはしょせんあんまりきれいな女はいるはずない、とみなされてるっとことの裏返しじゃないか?
・「先生のお顔を初めて正面からちゃんと見ましたよ・・・おきれいですね」・・・
そうか、私はいつもカルテやレントゲン写真ばかりを見ていたから、机のほうを向いていたんだ。患者さんの顔を見ることなんて、いつの間にか忘れていたんだな。患者さんの顔を見て、話を聞いて、そこから初めて診察が始まるものなのに。それすらもおざなりになっていたということか。医者として未熟であるがゆえ、知らず知らずノルマに追われてきがせいていたんだろう。・・・その日以来、アタシは必ず患者さんのほうを向いてあいさつすることに決めている。あたりまえのことだけど、慣れてくるとつい忘れがち。
現実に患者のほうを向かない医者はゴマンといる。それに気づかせてくれた彼のこのひと言、いまでも感謝している。
・ある日こんな手紙がきた。
「おおたわ先生
あなたはふだんからアンチ美容整形の意見をお持ちのようですが、あなたのような生まれつき恵まれた容姿の女性には、ブスの気持ちはわからないと思います。世の中には整形しなくては生きていけないくらいに容姿にコンプレックスを持っている女性がいるのです」
・・・だれが生まれつきの容姿だって~っ? それはこのアタシのことですかい。ったく、ばっかじゃないの、ホントに。
・のちに医者になってから美容整形の友達に聞いたんだけどさ、
「とにかく、ここもあそこもいっぱい直したい」とか、
「自分の顔全部きらい、別人にして」とか、
「ここを2mm上げて、そこを1.5mm寄せて」
みたいな思い入れのはげしすぎるタイプの患者さんは要注意なんだそうな。
こういう人って願計以前に自分のパーソナリティーを卑下していることが多い。きらいなのは顔じゃなくて自分自身なんだよね。
・でもこの年になってわかってきたのは、人間の顔ってすっごい変わるってことだ。友達や恋人や周囲との関係によって、どうにでも変化するんだよ。アタシの場合、高校でキレイな女の友達ができた。美人と仲よしになったってだけで、自分もつられてしゃれっけが出た。彼女がいつも笑顔だったから、こっちまで笑う時間がふえた。すると友達もふえた。同時にボーイフレンドができた。彼に会うたびにきれいになりたいと心から願っていたら、少しだけそうなったように思える。
・アタシはこのとき(父が亡くなるとき、意識がなかったのに、つぶったまぶたの端から、大粒の涙がぽろっとこぼれ落ちた)、医者になって初めて自分の大きなまちがいに気づいた。人間が死ぬとき、最期の瞬間にはなんの感情もありはしないと思っていた。
感想;
女医には女医の大変さがあるようです。
美人女医と言われることに反発を持たれているようです。
確かに美人だけでもてはやされる人に比べると”美人**”と付くと、その**の世界での美人との位置づけなのでしょう。
ネットでおおたわ史絵さんの画像を見ました。
27歳の結婚式の写真もありました。
いわゆる美人といってもよいと思います。
著者の美人はもっと高いところにあるのでしょう。
医者で美人、かつ作家でTVにも出演されている、羨ましく思う人もいると思います。
容姿はある程度持って生まれたものですが、笑顔とか愛語、なによりお手入れでも変わっていくのでしょう。
医者になるにはそれなりの勉強、かつ医者になってからも勉強が必要です。
努力が必須ですが、なかなかそれは見えてこないので、嫉妬なども生まれるのでしょう。
今あるものをどう生かすか。
人との比較ではなく、自分の今日と明日の比較なのですが。
1つめは、病院のクオリティ(最新鋭の設備からおんぼろの設備)
2つめは病院の立地
3つめは給料の額(月額30万円~70万円)
「あみだのゴールには番号が書いてあります。それが個々の選択権の順番になりますから、その順に希望の出張病院を選んでいくことにします」
・新しい就職先を目前に人生最大の体調不良を起こし、驚くなかれ自宅に寝たきりの状態になっていたのであーる!? ・・・結局いろんな先輩の手を思いっきりわずらせながら、アタシは東京は下町の古くからある病院に勤めさせてもらえることになった。そして世間からおくれること、約半年。アタシの花道人生はようやく最初の一歩を踏み出したのである。
・ムンテラ、これは話術による治療のことをさす。口で治す、つまり患者との対話によって病態を快方に近づけようとする技法だが、それも知慮者の言葉づかいや口調によって、病人の状態はよくもなるし悪くもなるものだからこんな治療が存在し、いまなお受け継がれているのである。
ネタばらしになっちゃうけど、じつはムンテラって厳しめにするのがミソなんだよねぇ。別名、キツめのムンテラともいう。要するに、ちょっとだけ悪く言う。
ほとんど痛みの出ない病気でも、「もしかすると、少しだけ痛むことがあるかもしれません」と言っておく。また、再発の恐れが9割方ない場合でも、「万が一、再発するという可能性もないわけではありません」
・“虚仮の一念岩をも通す”で、最終的には1年間の努力の結果、10kgの減量に成功。
だからいまとなっては「やせたいのにやせられない」って言いわけばっかりしてる甘えたヤツらが大嫌いじゃ。そーゆーのは努力と根気が足りないか、知識が著しく欠如してるかのどっちかだ。・・・つまり美しくやせるのは健康のためでも社会的立場のためでもなく、すべては自分の人生をまるごと改革するためなんである。
・しかし女医に関していえば、どうだ? たいして美人でもなくてもなぜか”美人女医“って称号が与えられる。これってどういうことか、よ~く考えてみよう。つまりだな、世間一般の常識では<女医>という生き物にはしょせんあんまりきれいな女はいるはずない、とみなされてるっとことの裏返しじゃないか?
・「先生のお顔を初めて正面からちゃんと見ましたよ・・・おきれいですね」・・・
そうか、私はいつもカルテやレントゲン写真ばかりを見ていたから、机のほうを向いていたんだ。患者さんの顔を見ることなんて、いつの間にか忘れていたんだな。患者さんの顔を見て、話を聞いて、そこから初めて診察が始まるものなのに。それすらもおざなりになっていたということか。医者として未熟であるがゆえ、知らず知らずノルマに追われてきがせいていたんだろう。・・・その日以来、アタシは必ず患者さんのほうを向いてあいさつすることに決めている。あたりまえのことだけど、慣れてくるとつい忘れがち。
現実に患者のほうを向かない医者はゴマンといる。それに気づかせてくれた彼のこのひと言、いまでも感謝している。
・ある日こんな手紙がきた。
「おおたわ先生
あなたはふだんからアンチ美容整形の意見をお持ちのようですが、あなたのような生まれつき恵まれた容姿の女性には、ブスの気持ちはわからないと思います。世の中には整形しなくては生きていけないくらいに容姿にコンプレックスを持っている女性がいるのです」
・・・だれが生まれつきの容姿だって~っ? それはこのアタシのことですかい。ったく、ばっかじゃないの、ホントに。
・のちに医者になってから美容整形の友達に聞いたんだけどさ、
「とにかく、ここもあそこもいっぱい直したい」とか、
「自分の顔全部きらい、別人にして」とか、
「ここを2mm上げて、そこを1.5mm寄せて」
みたいな思い入れのはげしすぎるタイプの患者さんは要注意なんだそうな。
こういう人って願計以前に自分のパーソナリティーを卑下していることが多い。きらいなのは顔じゃなくて自分自身なんだよね。
・でもこの年になってわかってきたのは、人間の顔ってすっごい変わるってことだ。友達や恋人や周囲との関係によって、どうにでも変化するんだよ。アタシの場合、高校でキレイな女の友達ができた。美人と仲よしになったってだけで、自分もつられてしゃれっけが出た。彼女がいつも笑顔だったから、こっちまで笑う時間がふえた。すると友達もふえた。同時にボーイフレンドができた。彼に会うたびにきれいになりたいと心から願っていたら、少しだけそうなったように思える。
・アタシはこのとき(父が亡くなるとき、意識がなかったのに、つぶったまぶたの端から、大粒の涙がぽろっとこぼれ落ちた)、医者になって初めて自分の大きなまちがいに気づいた。人間が死ぬとき、最期の瞬間にはなんの感情もありはしないと思っていた。
感想;
女医には女医の大変さがあるようです。
美人女医と言われることに反発を持たれているようです。
確かに美人だけでもてはやされる人に比べると”美人**”と付くと、その**の世界での美人との位置づけなのでしょう。
ネットでおおたわ史絵さんの画像を見ました。
27歳の結婚式の写真もありました。
いわゆる美人といってもよいと思います。
著者の美人はもっと高いところにあるのでしょう。
医者で美人、かつ作家でTVにも出演されている、羨ましく思う人もいると思います。
容姿はある程度持って生まれたものですが、笑顔とか愛語、なによりお手入れでも変わっていくのでしょう。
医者になるにはそれなりの勉強、かつ医者になってからも勉強が必要です。
努力が必須ですが、なかなかそれは見えてこないので、嫉妬なども生まれるのでしょう。
今あるものをどう生かすか。
人との比較ではなく、自分の今日と明日の比較なのですが。