幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「わたし虐待サバイバー」羽馬(はば)千恵著 ”虐待はその時も苦しいが、その後もトラウマとなって苦しめる”

2021-11-18 18:25:18 | 本の紹介
・13歳の千恵さんへの手紙(大人になった千恵から)
  今、毎日が地獄のような日々ですね。・・・
  でも大丈夫。踏み止まれるよ。・・・
  やがて大人になったあなたは、心を病んで、何度も自殺未遂をします。
  親の愛情に飢えたあなたはたくさんの人に愛を求めては、裏切られ、
  心は傷だらけになるでしょう。虐待の後遺症にも、ひどく苦しむでしょう。
  長い年月、虐待の後遺症は医者にも誰にも理解してもらえないでしょう。・・・
  でも大丈夫。あなたは幸運にも、素晴らしい希望の宝物を3つもっているの、
  この3つの希望の宝物のおかげで、あなたは回復することができるでしょう。
  1つ目の宝物は、5歳まで愛情たっぷりに育てられた刹那の記憶。・・・
   幼い頃に大人たちに愛情深く温かく包み込まれた体験ほど、
   大人になり人生の苦境に立ったときに、
   土台となり勇気づけてくれるものはないのです。
  2つ目の宝物は、生まれ育った明るい性格。
   明かるいあなたを好いて、たくさんの人が応援してくれる、幸せな大人になれるでしょう。
   多くの人に愛情をもらえて、いつしか心の深い傷も言えるでしょう。
  3つ目の宝物は、まっすぐな一生懸命さ。・・・
   前向きに努力し続けるあなたは、いつしか、何があっても大丈夫、
   と自信を持って強く生きていくことができるでしょう。
  13歳のわたしに、この本を送ります。

・悲惨な結婚生活を知った母の両親は、「子どもを堕ろせ」と頻繁に忠告にやってきたのだ、それでも、お前を生んだのだ・・・母は幾度となく、わたしにその話をしました。・・・
 母は一度は私の堕胎を決意します。しかし妊娠3か月をとうに過ぎており、医者から「もう中絶できない」と言われたそうです。

・「ちえが悪いからミツオ(義父)さんに厳しく怒られるんや」
 母は、いつもそういいました。

・やがてミツオさんは、まだ小学校低学年だったわたしに、家事全般、特に料理を毎日作るように強制しました。
 「女は家事ができないとダメだ。料理は女の仕事だ」・・・
 「さっさとしな!」と怒鳴りつけ、わたしにきつく当たることもありました。
 パートの仕事をしながら子育てと家事をすべてさせられていた母には、
 料理は楽しいものだと娘に教える余裕はなかったのでしょう。
 大人になった今でも、料理をしようとすると圧迫感に襲われます。
 台所に立つことが苦痛でなりません。

・小学生低学年の頃から、洗濯物をたたむのも、わたしの仕事になりました。・・・
「テレビを観ながらたたむな!」と突然怒鳴られました。

・ミツオさんはその頃より、二言目には、「ちえは頭が悪い」と罵るようになりました。
 そのたびにわたしは、自分は頭が悪いのだ、他の子よりも劣っているのだという呪いにかかり、
 言われるたびに自信をなくしていきました。

・なぜ真面目な女の人ほど、ダメな男を支えちゃうんだろう。

・優しかった母までもわたしを傷つけた。
 母の顔色をうかがうことは、父の顔色をうかがうことの何倍も、しんどい気持ちになりました。

・「朝、髪はとかすな」
 鏡を見ることも(ミツオさんから)怒鳴られるようになっていきました。

・毎日服を着替えず、髪をとかさなければ、学校でいじめにあう。
 毎日着替えて、髪をとかせば、父親から、殺されるほどの虐待にある。

・12歳で自殺を考えた。
 一度は、大型トラックの前に飛び出して自殺すれば楽になれるのではないかと考え、
 道路の真ん中に立ってみたこともありました。

・12歳のわたしと4歳の妹で、夜間二人だけ置き去りにされることもしょっちゅうでした。
 母はユウジさん(三人目の父親)のための食事は作りましたが、
 娘たちの食事をまったく作らなくなり、毎夜、テーブルの上に千円札を一枚置いて出て行きました。

・高校に進学した春、母は再び、離婚しました。そしてまたすぐに新し男性を家に呼び寄せたのです。・・・
 ある日突然家に入ってきて、無理やりパパと呼ばされ、性的な嫌がらせも我慢しながら、
 なんとかユウジさんいも慣れてきた中学3年のわたしは、
 母があっけなく「あんな男はいらん」と言い捨てたことに失望しました。

・胸にナイフをしのばせて、未差別殺人をする自分の姿を思い浮かべ、社会への恨みを晴らしたいと何度も想像しました。
 しかし、そうした犯罪を犯したいという衝動に駆られるたびに、
 5歳まで可愛がってくれた祖父母や、親戚のおじさん、おばさんの顔が浮かびました。
 人間、犯罪を実際に犯してしまうか、ギリギリでブレーキがかかるかの違いは、
「思い出のなかに振り返る顔があるかないか」だとわたしは思います。

・再び不登校になり、高校は中退

・高校中退者がどうすれば大学受験できるのかを一生懸命調べて、大学入学資格検定を受験。
 さらに貸与型奨学金を借りて、地元の兵庫県から北海道の帯広の国立大学への進学を決めました。
 帯広の大学から合格通知を受け取ったとき、生まれて初めて、自分の背中に羽根が生えたような気持になりました。

・命を脅かすいじめっ子、母、その男たちという存在がようやくいなくなったというのに、
 大学1年生の頃にはもう、うつ症状などの気分変動の激しさが現れ始めました。
 新しい人と出会ったときは極端に緊張し、汗だくになり固まってしまいます。・・・。
 同級生と普通にコミュニケーションが取れないことで、
 さらに精神は落ち込み、様々な症状に悩まされるようになりました。

・自殺未遂から医療保護入院に
 入院初日から、私は閉鎖病棟の保護室に入れられました。
 まるで刑務所の檻のような、鉄格子の柵がある小さな部屋でした。

・その閉鎖病棟へは計3回入院し、入院期間は最長で約50日間に及びました。

・一度信頼し友人関係になっても、どうせわたしはすぐにその関係を壊してしまう。
 ならば、最初から友達なんか作らないほうが、わたしはこころの安定を手に入れられる。
 貸与型奨学金を借り足して、大学院(修士課程)まで進学しました。
 学部と異なり、大学院では、業績が優秀であれば、
 貸与型奨学金が免除される制度があったため、それを目指して勉学に必死で励みました。
 そして大学院を無事に卒業し、貸与型奨学金220万円は全額免除になりました。
 しかし、大学6年間、ずっと精神不安は続きました。

・他人や友人がどうであれ、自分の人生には直接的には関係ないことです。
 それならば友人の幸せを嫉妬するのではなく、一緒になって喜んだ方が、自分のこころも幸せな気持ちで満たされる。
 この考え方の方が生きていく上で得だなと思うようになってから、
 「他人との比較」という苦しみから解放された自分がいました。

・大学院の修士課程2年のとき、就職先を探しますが、
 自分の野生動物の研究を生かせる求人はほとんどなく、あっても狭き門でした。
 専門外の仕事でもいいかと思い、求人サイトに登録し仕事を検索しますが、
 どの仕事にも興味が湧かず、どんあ仕事をするのかイメージもできませんでした。・・・
 ついに、大学院在学中に就職先が決まるという結果には至らず、無職のまま卒業してしまったのです。

・大学院まで卒業したのにアルバイトで生活するという状況は、本当に惨めでした。

・誰にも頼らない、と決めたはずなのに、でも、
 どんどん人を切っていくたびに自分の魂もずたずたに切られていくようでした。
 古本屋に行って自己啓発本を何冊も買ってきては、生きていく答えや自身の在り処を探して貪り読みました。

・25歳で、わたしは、生活保護となりました。
 その後の半年間はほぼ寝たきりの引きこもりになりました。

・悪戦苦闘の末、非正規雇用ですが、何とかひとり暮らしができるだけの仕事が見つかり、
 生活保護から抜け出すことができたのです。
 動物園の飼育員の臨時職員でした。
 決まった仕事は1年契約でしたが、臨時職員とはいえ、生き物に触れることができ、
 自分の専門性の活かせる仕事に就けたことは飛び上がるほど嬉しく、希望に満ち溢れていました。

・その後、低賃金で不安定な非正規雇用からも抜け出したいと思い、働きながら転職活動をつづけました。・・・
 その甲斐もあって1年後、ようやく市役所に正規職員で転職が叶いました。職種も博物館の専門職の学芸員です。

・その間、過去に精神科で辛い経験があるにもかかわらず、再び精神科へもかかっていました。・・・。
 病院を変わるたびに違う病名をつけられました。
 36歳になった現在、障害者枠ではなく一般枠でなんとか職に就けてフルタイムで働きましたが、
 病気の悪化で失業を繰り返しています。
 この本は、約1年前から働きながら夜や休日に執筆して来ました。
 この春から、足りない分の生活費を生活保護から賄い、働ける日は働き、
 生活保護に頼りながら、最後の執筆を進めています。
 大学の学部の頃に借りた奨学金の約500万円は、まだ返済できる見込みはありません。

・この症状は、白川美也子先生の『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』と言う本で、
 「サバイバーミッション」という症状だと知りました。
 トラウマから生きのびた人が、
 トラウマを抱えた他の人を助けることを使命だと思い込んでしまうことがよく起きるそうです。

・人間関係とは、鏡のようなものだということを、この時知りました。
 笑顔で話しかければ、笑顔でわたしに返してくれる。
 自分が明るければ、明るい友人が集まってきてくれる。
 おそらく、幼児期に学習するであろう、この人間関係の基本の基を、わたしは、30歳で知ったのです。

・虐待という名の、負の連鎖が我が家に続いていることに気づき始めたのは、
 母が自分の子ども時代の家庭の悲惨さと、わたしを比較して、「おまえの方がマシだ」とわめき出した頃です。

・この物語を書くことで、過去の母との出来事がわたしのなかで整理でき、
 図らずもトラウマの処理をすることができたのだと思います。

感想
虐待はその後もトラウマとして人を苦しめるのでしょう。
著者も少しずつ学ばれて行かれたようですが、いまだに苦しい思いをされ、そのために人間関係に問題が起き、そして仕事を辞めていくことを繰り返されています。
愛着障害もあり、お父さん的な人を求めて、また壊れていくときもあったようです。
愛に飢え、求めてもそれに十分こたえてくれる人がいなかったようです。
また逆に、その求めが大きすぎて応えられないというより、恐くなって去っていく人もいたようです。
小さい時から周りの支援、社会の支援がなかったようです。

幸せになって欲しいです。
千恵さんを理解し受け容れる懐の大きいパートナーに巡り合えると良いのですが。

福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!顧問会議は『明日のハナコ』の排除を撤回してください。 "表現の自由を脅かす行為!”

2021-11-18 17:03:33 | 社会
https://www.change.org/p/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C-%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%BC%94%E5%8A%87%E9%83%A8-%E9%A1%A7%E5%95%8F%E4%BC%9A%E8%AD%B0-%E7%A6%8F%E4%BA%95%E3%81%AE%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%BC%94%E5%8A%87%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%82%92%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7-%E9%A1%A7%E5%95%8F%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%81%AF-%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%B3-%E3%81%AE%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%82%92%E6%92%A4%E5%9B%9E%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84発信者:福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための『明日のハナコ』上演実行委員会 宛先:福井県 高等学校演劇部顧問会議
――「ハナコ」にもう一度会いたい!――


 「ハナコ」というのは、『明日のハナコ』という劇の主人公の名前です。

 この劇は今年9月の福井県高校演劇祭で、福井農林高校演劇部によって上演されましたが、その後、映像を残すことも、脚本を読むことも禁止され、マボロシの舞台にされてしまいました。

 いったいなぜ、『ハナコ』は禁止されたのでしょうか。



●『明日のハナコ』あらすじ●

 舞台はある高校。「ハナコ」たちは今度上演する劇の稽古をしている。その劇は、1948年の福井震災から始まって現在までの歴史をたどるものだった。学校のこと、仕事のこと、戦争のこと、原発のこと、未来のこと・・・

 彼女たちはさまざまなことを考え、そして成長していく。

           *

このたび、福井農林高校演劇部の上演にかかわる顧問会議の一連の動きを、重大な表現への抑圧だと考える有志が、実行委員会を立ち上げ、上演にむけて活動を始めることにしました。実行委員会の求めることは、以下の通りです。

・10月8日の顧問会議で行われた決定3項目を撤回すること。               (ケーブルテレビでの放映の禁止/記録映像閲覧の禁止/脚本集の回収)

・福井農林高校演劇部員たちへ誠実な謝罪をすること。

・今後演劇表現の内容をもとにあらゆる不利益な扱いをしないこと。

・表現の内容に理不尽な介入をしないこと。

・人権侵害を行ったことへの真摯な反省を表明すること。

【ことの経緯】

 2021年9月18日~20日、例年どおり県の高校演劇祭(演劇部の県大会)が県民ホールで開かれ、福井農林高校演劇部は「明日のハナコ」という劇を上演しました。創作作品です。この世界はいったいどうなるのだろう、自分たちはどうなるのだろう、と不安と闘う少女の成長の物語です。原発の問題、生きる上で大切な誠実の問題、などが盛り込まれていました。

 新型コロナウィルスが猛威を振るっていた時期だったので、今年は無観客での上演になりました。見る人がいないのでは劇とは言えません。しかし、例年、演劇祭の劇は「福井ケーブルテレビ」が録画・放映してくれることになっていたので、部員たちは救われる思いだったのです。
                        *
 ところが、9月20日、その福井ケーブルテレビより、福井県高等学校演劇連盟に対して連絡がありました。。

「福井農林高校の劇の放映について、社内で審議にかかるかもしれないので連盟としての意見を求めたい」

「個人を特定する点、原発という繊細な問題の扱い方、差別用語の使用などについて懸念している」とのこと。

 そこでその日に行われた顧問会議の結論は、

「ケーブルテレビ局内の意向を尊重する」。つまりケーブルテレビ側が放送しないと決定したならばそれに従う、というものです。

その理由としては、

1 この劇には、反原発・個人名・差別用語が含まれている。放送後、それらを取り上げられて、生徒や福井農林高校に非難が寄せられることを憂慮する。学校は教育的に生徒を守らなければならないから。

2 福井農林高校の劇は、表現方法はともかく、上演に問題はないと思う。ただ、不特定多数の人目に触れる放送はいかがなものかと思う。

3 高文連は原電からの支援を受けている。また、ケーブルテレビも原電と関係のある企業がスポンサーになっているかもしれない。これからもケーブルテレビと良好な関係を保ちたい。放映すると影響がでる。

 「1」について、まず差別用語は、劇を見てもらえばわかりますが、差別意識を持った取り上げ方はしていません。個人名についても、図書館にある書籍をそのまま引用したものです。反原発については、たとえば「原発からの支援を受けている」という意見には、こう反論したいのです。補助金は、活動の思想的方向や表現内容についてなんら干渉するものではないし、これまでも干渉した例はないはずです。そういう性質の支援であるからこそ、公的な組織が(高文連は県の組織です)は公明正大に受け取ることができるのです。もしも干渉があって、内容を規制しなければならないようなものであれば、それも意見の一方を否定するようなものであれば、そのような助成を受け取っている県が裁かれる事態になってしまうし、即刻県はその助成を返上すべきだというのが、行政上の通念だと思われます。したがって、「3」の理由がまかりとおれば、これ以降、福井では原子力発電の危険性を訴えるような劇を作れないことになります。表現してはいけない分野を生んでしまうことになります。また、原発に関係する内容次第では社内で審議にかかるなどと、排除する可能性も示すのがケーブルテレビなら、むしろ結果的に表現の自由を制約することになるそうしたケーブルテレビの姿勢こそ、問われるべきです。そう主張して生徒を守るのが教員の仕事じゃないでしょうか。

                 *

 その後、福井農林高校演劇部生徒たちの反応を聞き取ったのちに、10月8日に再度、顧問会議が開かれ、あらためて次の三項目が、決定されました。採決もなく、でした。

・福井農林高校の劇だけはケーブルテレビでは放映しない。

・DVDはつくらず、記録映像を閲覧させない。

・脚本集はすべて回収する。

                 *

会議ではスクールロイヤー(顧問弁護士)の意見として次のような見解が述べられました。

・劇中における反原発の主張は、表現の自由が保障されるので問題ではない。

・人権尊重の立場から、表現の自由は制限されることがある。

・劇中使用された「かたわ」という差別用語は、使用するだけで駄目である。

 顧問会議で具体的にどのような討論があったのか、議事録が公開されないのでわかりませんが、最後の「差別用語は使用するだけで駄目」という理由が会議の流れを強く決定したとのことでした。

                 *

この問題について、県内の別の弁護士に尋ねたところ、以下のように教えてくださいました。

・その単語を使用したからすなわち違法であるという判断は、法律家としてあり得ない。そのような見解を述べる法律家はいない。まして、スクールロイヤーは良識ある人物が選ばれているのでそのような判断をしたとは考えられない。

・問題となる差別用語だが、もし、この劇が前敦賀市長と同じ立場に立って障碍者を差別したのであれば問題だが、反原発の立場から批判的にこの言葉を述べている以上、そこに差別意識はなく、よって問題ではない。

・前敦賀市長は公人であるから、特定の個人を非難したという批判も当たらない。当然、遺族からの名誉棄損などということも起こりえない。

・もし万が一クレームがあったら、と考えるのは怖れすぎである。その単語だけを切り取って何者かがクレームをしてくるということはおよそ考えにくい。

 つまり、この差別用語の問題は、放映の禁止や脚本の回収をする根拠にはなりえないということです。

 上演した生徒たちは、「いわれなき批判がくるかもしれない」と聞かされて、不安な面持ちになりました。けれども、そのあと、それでも放映してほしいと言いました。悔しい、と泣いていました。自分たちが稽古してきた劇が放送してもらえないのは悔しいと。

 私たち実行委員会は、どうしても、その泣いた生徒のことを考えると何かしないではいられないという気持ちになります。生徒たちは、自分たちの劇がテレビ放映にふさわしくないと思われたことに傷ついています。生徒たちは、信じてもらえなかったということに傷ついています。稽古しながら、原発の問題や社会の問題について、自分たちでも調べました。「こういうことは今まで考えたこともなかった」という部員もいました。それでいろいろ考えるようになった。それこそ「学習」というのではないでしょうか。

 世界に類のない原発集中立地のこの県で、こうした表現の抑圧がまかりとおるようになれば、日本中の表現者にとって、重大な抑圧への一歩です。表現の自由は、基本的人権の最重要な一つです。生徒たちの表現への悪罵とも言える三項目の決定は、あらゆる人の基本的人権に対する敵対宣言と言えます。

 今これを看過したら、今後も権力者や学校当局などにとって不都合な表現は演劇部活動では抑圧・排除されることになるでしょう。すでにそういう動きが、他の学校の劇に対しても圧力としてなされています。これはとても危険な動きです。私たちは、歴史に汚名を残しかねないこの愚行を撤回させたいと思います。心ある市民の皆さんの署名の力で、撤回させたいと思います。ご協力お願いします。

 また、「明日のハナコ」を県内演劇部員、演劇部顧問教員、一般市民の方々に実際に鑑賞していただけるような企画も考えています。劇を実際に上演し、その後、差別用語の成り立ちなどについて、あるいは原発の問題について、みんなで考える催しです。書籍を執筆されている著述家・専門家の方にもご登壇いただけるよう、調整中です。

 日本劇作家協会の言論表現委員である劇作家鈴江俊郎氏(愛媛県在住・元桐朋学園芸術短期大学演劇専攻教授)も、これは単に高校演劇にとっての問題であるだけでなく、表現の権利が大きく歪められた、世界にとっての人権問題なのだと考え、実行委員会に参加されました。起こった事件をありのままに知っていただいて、あるべき姿とはどういうものなのか、皆さんとともに考え始めるための企画です。是非ご参加ください。

                 *

ハナコ  ほら、たくさん家やらビルやらあるだろ。                      こっからだとちっちゃなオモチャみたいに見える。あの中にはたくさん人間がつまってんだ。

ちっちゃなオモチャみたいな人間が。ご飯作って、洗濯して、掃除して、働いて。

あの中にオレの親父がつとめていた会社があった。

建設系の会社でさ、親父はそこの係長だった。

ある時、会社は新しく道路を造る仕事を請け負った。何十億ってお金が動く、でっかい仕事だ。

うまくいけば会社は大もうけできる。社員もたくさん給料がもらえる。

でも、その道路は自然保護区のすぐそばを通ることになってた。

それでどうやってもその道路は環境破壊になってしまうことがわかったんだ。

なんとかっていう絶滅危惧種の鳥がそのへんに生息してたらしい。

親父はそれを上に報告した。

そしてもちろん、握りつぶされた。

そりゃそうだ。何たって何十億だからな。

会社の中で、親父に味方するヤツは一人もいなかった。

でも親父はバカだった。

そのレポートを新聞社に持ち込んだ。自然保護団体に持ち込んだ。ネットにアップした。

大騒ぎになった。

道路の計画は中止になった。

何とかって鳥は助かった。

そして親父は会社をクビになった。

親父はバカだと思う。大馬鹿だと思う。

学校の中でこんだけイジメが起きてるんだぜ。

そんでみんなその学校を出てるんだ。

だから会社にイジメがあるのは当たり前だ。

だからこの世界にイジメがあるのは当たり前だ。

だから、オレはときどき、この全部を踏みつぶしたくなるんだ。
(福井農林高校演劇部「明日のハナコ」上演台本より)

感想
顧問会議とは何でしょう?
メンバーの名前と肩書を知りたいです。

福井ケーブルTVに加入している人が、見たいというと何か変わるのでしょうか?
福井ケーブルTVにしている人が、今回の福井ケーブルTVに抗議して、退会すると変わるのでしょうか。
変えたいものです。

福井の高校演劇から表現の自由を失わせないための 『明日のハナコ』上演実行委員会
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