・私は終末期の患者さんに寄り添う緩和ケア医として、これまで約3,000人の方々を看取ってきました。
・必ずしも経済的に恵まれていなくても、満足度の高い死を迎えられた方をたくさん知っています。私の母の弟である叔父は、若い頃に私の祖父にあたる父親とけんかして実家を飛び出し、消息不明になっていました。晩年はホームレスに近い生活をしていたようですが、毎日のように効率図書館に通って好きな本を読みふけっていたと聞きます。図書館の職員から、「あなたの叔父さんは、本当に幸福な方でしたよ」と聞かされました。
結局「これでよかった」と思える満たされた死とは、その人の中にある「心の力」が作りだすものなのではないでしょうか。死は誰にでも必ず訪れるものなのに、いのちにも医療にも限界があるということが十分に理解されていません。
・この本では「ひとりで死んでも大丈夫」といえるような満足度の高い死を迎えることのできる「心の力」を、どう築いていったらよいかを考えていきます。
・医療者はどこまでも治療するということに使命感を持ち、患者さんはごこまでも生きたい、家族はどこまでも生きていてほしいという考えに取りつかれているように思えます。
しかし残念ながら、生きているものにとって死は平等で当たり前のことであり、誰もが経験しなければならないのです。難しいことではありますが、そのことをまず考えるべきではないでしょうか。
・がんを病んでも心まで病む必要はない
・がんは治らなくてもすぐ「死」ではない
・鎮痛薬の基本五原則
①なるべく簡単な方法で投与する
②痛みの強さに合わせて段階的に鎮痛剤を選ぶ
③時間を決めて規則正しく
④個々の患者さんの痛みにあわせて鎮痛剤の量を調整する
⑤その他として、副作用対策を十分行う
・がんの痛み
1)がん由来の痛み
2)検査・処置に伴う痛み
3)治療に伴う痛み
①手術によるもの
②化学療法によるもの
③放射線治療によるもの
4)精神的・心理的な痛み
5)その他 帯状疱疹の痛みや、耳痛みや頭痛、寝疲れによる背中や腰の痛み、骨粗鬆症や、ヘルニアなどの整形外科的な問題による痛みなど、がんと直接関係のない痛みを訴えることがあります。
・ パーフォーマンス・ステータス(PS)href="https://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/modal/Performance_Status.html"1 肉体的に激しい活動は制限されるが、歩行可能で、軽作業や座っての作業は行うことができる。例:軽い家事、事務作業
2 歩行可能で、自分の身のまわりのことはすべて可能だが、作業はできない。日中の50%以上はベッド外で過ごす。
3 限られた自分の身のまわりのことしかできない。日中の50%以上をベッドか椅子で過ごす。
4 まったく動けない。自分の身のまわりのことはまったくできない。完全にベッドか椅子で過ごす。
・日本の医療がたくさんの問題を抱えている中で、最も欠落しているものの一つが心のケアではないか、と感じています。
・心のケアにおける医療者の基本的な態度は、「ニュートラル」だと思います。
・「なぜ死にたいか」を聞くことがケアになる
患者さんの「死にたい」という言葉は、魂の叫びともいえるでしょう。
・死にたいという気持ちがどのくらい病的なものかを確かめるために、「どんなふうにして死にたいののですか?」と聞きます。それを具体的ゐイメージされないようなケースでは、その方はたぶん今すぐは死なないだろうと判断しています。ところが、「あそこにタオルがあるから、それっをあそこの釘に引っ掛けて・・・」というふうに具体的にイメージを口にするようなケースは相当危ないかもしてません。この場合は即刻精神科の医師と対応を相談します。
さらに自殺を思いとどまってもらうためのもう一つの方法として、私は「また、あなたに会いたいので明日来ますからね」と約束をするとよい場合もあります。 ・「死にたい」という患者さんを前にして、さりげなくオー・ヘンリーの『最後の一葉』などの話をすることもあります。
絵本『葉っぱのフレディ』、『わすれられないおくりもの』
たわいのない子ども向けのお話でも、しばしば患者さんい「自分と近いところにいるな」と解釈してもらえるようです。
・多くの方にとって有効なのは、撫でたりさすったりするタッチングという非言語的コミュニケーションはとても重要です。・・・。手を握りながら話すことでことばはいっそう深みを持つことになります。医療者との関係性の回復ともいえるでしょう。
・宮城県でがんの在宅医療を早くから進めてこられた岡部委員の故岡部健先生は、
「人は病院にいけば三回死ぬ」とおっしゃっていました。三回の使徒は、入院によって家族や仕事と切り離される「社会的な死」、意欲を失っていく「精神的な死」、そして心臓が止まる「生物学的な死」です。
これに対して在宅医療は日常生活が営まれている場での療養なので、最後まで「生」をまっとうできることになります。
・「在宅なんで無理」という先入観を捨てる
・在宅医療は介護者に絆を与える
・在宅での看取りには障害も少なくない
解説 玉置妙憂(現役看護師・女性僧侶)
「ひとりで死ぬのだって大丈夫」を読み終えたとき、悟りをえたように心が落ちついているのに気づきました。・・・
繰り返し何度も開くページがあります。それは奥野先生が「この本で伝えたいこと(20項目)」をまとめてくださったページです。
「死は誰にでも必ず訪れるものであり、いのちにも医療にも限界があります」
「看取り経験がない現代人は、自分の最後の時のことは元気なうち、若いうちからある程度考えておく必要がありそうです」
「救急車を呼ぶということは穏やかな最後を約束するものではありません」など ・・・
「自灯明、法灯明」という言葉があります。お釈迦様が亡くなるとき弟子たちに、これらは教えを拠り所として自分の中に灯りをともして人生を歩いてゆうきなさいと、言った言葉です。私たちがしっかり生きて、しっかり死んでいくには、ささえてくれる真実の教えが必要なのです。本書は、間違いなく法灯明として私たちの歩く道を照らしてくれるでしょう。
感想;
最近は看取り経験をすることが減ってきました。
いつかは自分にも訪れるということを自覚して、どう生きるか、今何をしたいか、するかなのでしょう。
そして終末期はどんな治療を望むのか、それは周りの協力を得られるのか、得られなければ事前にどうするかを今からでも準備しておくことなのでしょう。
本は疑似体験をさせてくれますね。