幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん「サワコの朝 木下ほうかさん」 ”イヤミな人ではなく、優しいナイーブな人”

2018-07-28 08:31:11 | 生き方/考え方
俳優。今月から「チアダン」でサワコと共演、矢部さんの漫画「大家さんと僕」に出てくる大家さんがモデル。

オシャレして来た。1964年生まれ。「チアダン」。教頭役の木下さん。校長役がサワコ。
長く売れない時代。50歳の昼顔で嫌味役で注目。それから敵役を次々と。実際はどうなのでしょう?

チアダンの現場で見ていても、面白い。若い人にいろいろ言っているので、指導者かなと思っていたが、現場に入るとそうでもない。現場では余裕がない。

1曲目 小柳ルミ子さん「瀬戸の花嫁」。小さい時から歌が好きだった。親戚が集まったとき、6歳のとき、台の上で歌って、皆から「うまいうまい」と言われていた。ジーンとくる。近所で評判の美少年系。16歳のとき、パンチパーマ。ちょっと不良のマネをしたが、悪事はしていなかった。大阪で不良を撮るとのことで、軽いノリで応募した。井筒監督が「にいちゃん、いいね」と採用された。面白かった。これを職業にできたらいいなと思った。

俳優になろうと決意した。養成所や大学など。養成所は50倍。無名塾700倍。大阪芸術大学は3.5倍。ここを受けようと思った。演技の基本を理論から学ぶことにした。当時の演劇部は関西で一番だった。空手部に入っていた。空手部では「オス」しか言わない。古田新太は1年後輩。筧もいた。

大学卒業後は吉本興業に入った。すぐ舞台に出た。最初は客役。うどん屋で「おっちゃん、いくらや?」「300万円」。それを聞いてこける役。コケる前にちょっとお尻を移動させてコケる前に準備する。それを3か月やった。

25歳で吉本を辞めた。井筒監督に手紙を出した。監督にも責任があると柔らかく書いた。監督から「応援するよ」と返事が来た。井筒監督の映画に出させてもらった。
アルバイトは無茶苦茶やった。西岡徳馬さんの付き人をやった。20日間で首になった。アルバイトしていたのでうたた寝してしまっていた。古瀬さんの夫役で人気が出た。何で自分に? きっと第一候補に嫌われた。撮影の近い時に依頼が来るのでそれがわかる。僕に発注したから良かったと思われるように演じようと思った。
イヤミな役は人間観察から学んだ。ちょっとずつ集めればイヤミな人間ができる。自分がグサッと来たときにメモしている。今もしている。イヤミ役が多いので、それぞれ違いをだす工夫している。
チアダンに賛成しない教頭役。しかし、娘がチアダンに入っている。娘と二人暮らしのシングルファーザー役。娘役は佐久間由衣さん。なんだか自分の娘に見えてくる。まだ彼女は身長が伸びている。

現在54歳、独身。失敗したくない。一度結婚してみればの考えではなく、結婚は一度で良い。結婚しそうになったときがあったが、二度くらいあったが断られた。傷ではないが記憶に残っている。食欲がなくなって、動けなくなる。3か月は流動食になる。一人で暮らしている寂しさはある。パートーナーはいないから、言うとんねんけどね(突然大阪弁)。ネガティブな性格は変えられない。
今日は好感度が下がっている。下がっているのですか?(サ)
これからも相談に乗ってください。私でいいのですか(サ)。

2曲目は中島みゆき「命の別名」。隠れた名曲。
いかがですか? いいですね(サ)。たまにカラオケで歌っている。一人でサイゼリヤに行く。では一緒に(サ)。いいのですか? 私も行きますよ(サ)。個室があるサイゼリヤもある。個室でなくてもよいですよ(サ)。本当ですか? 指きりげんまん。
ありがとうございました(サ)。
もう終わるのですか? もっといたい?(サ)

感想
ドラマの嫌味な役とは違って、ナイーブな優しい人だと思いました。
一生懸命生きて来られた方の印象を受けました。

イヤミな役をつくるために、どんなことがイヤミに感じるかを常に学んでおられました。

サワコさんはすっかり余裕が出てきたのを感じました。
結婚されたことも自信になっているように思いました。
女優、作家とお仕事も広げられています。