いい台詞だったので、もう一度、載せます。
「命の恩人の顔を忘れるとは、上杉の義も何もあったものではござりませんな」
「フッ、それとも義とは、都合の良い時だけに振りかざすものなので、ございますか?
それに、貴殿は出しゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござるまい」
「真っ直ぐで正直なのもよろしいが、何事も行き過ぎると、あほうに見られますぞ」
この言葉に、涙目になった兼続でありました。結局、秀吉の取り成しで、気を取り直します。
秀吉の話から、握り飯で三成の心をほぐそうとする。まあ、そんな簡単に行くはずはなく、越後の米から国家論や幸せの基準の論議に持っていくのは、脚本家の計算ですね。
しかし、怒りを抑えられず三成に掴み掛かろうとするし、秀吉の話から、単純に握り飯で懐柔ですか?兼続はやはり子どもです。
前回、せっかく三成が突っ込んでくれたのに、三成の他人を小ばかにする人間性ばかり強調し、三成の鋭い指摘は棚に上げられてしまいました。まず、自分の非を認め、三成にきちんと謝って欲しかったです。
今回は時間の流れをゆっくりさせて、兼続と三成が心を通わせあわせたのですが、その根拠というか、成り行きも説得力不足です。一晩、国家論を戦わせたりとか、せめて、三成が指摘した「貴殿は出しゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござるまい。真っ直ぐで正直なのもよろしいが、何事も行き過ぎると、あほうに見られますぞ」という兼続の性格を三成も感銘受けるほど際立たせたエピソードを見せて欲しかった。
裸踊りで「あほう」になるだけで、三成の心を解かすのでは、あまりにも芸がない。いきなり農民を出すのも、強引。妻は「日頃から」と言っていましたが。
相変わらず、初音は出しゃばります。
残念ながら、今後は『天地人』について記事に取り上げることは、ないでしょう。
「命の恩人の顔を忘れるとは、上杉の義も何もあったものではござりませんな」
「フッ、それとも義とは、都合の良い時だけに振りかざすものなので、ございますか?
それに、貴殿は出しゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござるまい」
「真っ直ぐで正直なのもよろしいが、何事も行き過ぎると、あほうに見られますぞ」
この言葉に、涙目になった兼続でありました。結局、秀吉の取り成しで、気を取り直します。
秀吉の話から、握り飯で三成の心をほぐそうとする。まあ、そんな簡単に行くはずはなく、越後の米から国家論や幸せの基準の論議に持っていくのは、脚本家の計算ですね。
しかし、怒りを抑えられず三成に掴み掛かろうとするし、秀吉の話から、単純に握り飯で懐柔ですか?兼続はやはり子どもです。
前回、せっかく三成が突っ込んでくれたのに、三成の他人を小ばかにする人間性ばかり強調し、三成の鋭い指摘は棚に上げられてしまいました。まず、自分の非を認め、三成にきちんと謝って欲しかったです。
今回は時間の流れをゆっくりさせて、兼続と三成が心を通わせあわせたのですが、その根拠というか、成り行きも説得力不足です。一晩、国家論を戦わせたりとか、せめて、三成が指摘した「貴殿は出しゃばりすぎじゃ。それでは景勝様の立つ瀬がござるまい。真っ直ぐで正直なのもよろしいが、何事も行き過ぎると、あほうに見られますぞ」という兼続の性格を三成も感銘受けるほど際立たせたエピソードを見せて欲しかった。
裸踊りで「あほう」になるだけで、三成の心を解かすのでは、あまりにも芸がない。いきなり農民を出すのも、強引。妻は「日頃から」と言っていましたが。
相変わらず、初音は出しゃばります。
残念ながら、今後は『天地人』について記事に取り上げることは、ないでしょう。