花明かり 彼岸の道の 見え隠れ
梅士 Baishi
夜道の提燈がからんころんと遠のくように、梅の花明かりが消えよ
うとしている。
梅の美学、桜の美学、額田姫王は何れを好まれようか。
ときめいて やがてふぶきし 花の夢
手を振る人の その道の夢
馬草 Magusa
明日は彼岸明け、供養の経も上げてはおらぬ。
「訪ねてみたけど、留守じゃった・・・」というボヤキが聞こえてきそう
である。
「家」というものが薄らいできたことは、家族が職業単位としての組織
ではなくなったと言うことでもあろう。
家庭教育の柱は、親の職業倫理、仕事の神聖を権威としていたとも
考えられる。
その家が見失われつつあるということは、子を育て、この精神的支
柱となるべき親の倫理、家訓が見失われているともいえる。
職業そのものを子に譲ると言う伝来がなくとも、家訓と言うべき親の
精神は伝えられるべきである。
その根幹にあるのが、宗教であったはずである。
宗教をもたない家は、子に伝えるべき伝統精神をもたず、「家」とい
う家族の絆を見失う。
それが、モラルさえも見失いつつある日本の空洞化であろう。
「神聖」という価値観を見失ってはならない。
美学を見失ってはならない。
経済の倫理というのは、職業の神聖、仕事の美学である。
心を一つにするその要は、神の心に叶う一蓮托生の使命というべき
大義にある。
それこそは、マネジメントの要諦である。
リーダーシップの根底にあるべき精神である。
利他の教育なくしては、利他の組織は生まれない。
芸をしこむのなら、動物訓練的マネジメントでもよかろうが、それは
仕事の本質ではない。
精神的価値の創造、これを修行するのが職業であろう。
スポーツにしても同じである。
武士道精神であり、克己心であり、愛国心である。
そのために技を選び、技を磨く。
安売り競争というのも、市場の精神性が劣化している証拠である。
市場マインドも教育しなければならない。
商品はお手ごろ価格である前に、商品の持つ縁起のよさ、悪さで
選別することが大事である。
コピー商品は縁起が悪い。
売国奴的放送局でCMを流す商品は縁起が悪い。
花王のような反日企業の提供物も縁起が悪い。
反日左翼・日教組教職員の教育を受けたのでは、子供の人生が
穢れる。
神聖という職業観、縁起という商品観が現代病に問われている反省
点なのではないか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi