初霰 ちゃんぽんの湯気 吹いて食い
梅士 Baishi
今朝の気温は1℃ということだが、さして冷たくは感
じない。
昨日は初霰が降った。
風の冷たさはさすがにしびれた。
胸を張って北風に顔を上げて歩く。
冬の風がとても新鮮に鼻の中を吹き抜ける。
お腹を壊したというのに、ゲンノショウコで調子がよく
なった。
この薬草にどれほど助けられたことか。
おかげで、お昼には腹が減った。
結局、行きつけのちゃんぽんになった。
夏場のちゃんぽんは大汗をかくが、冬場のちゃんぽ
んはあったまってよい。
外食といっても、習慣性のものだ。
新しい店には入りずらいものである。
特に、入り口のわかりずらいもの、一目で標準メニュー
が分らないものは通過する。
職場近くに麻布コーヒーの看板を掛けたカレー屋が
あるが、リーゼントスタイルの昔の暴走族崩れといっ
たイメージの根暗な店主を見かけるだけで敬遠する。
アメリカンな店づくりをしたいのだろうか。
ならば、大判のアメリカンステーキを売ればよいの
にと思う。
喫煙者のいる店は、早々に退散する。
喫煙レストランの表示をしてほしいものだ。
喫煙者で賑わうに違いないし、嫌煙家には避けて通
れるから助かるのである。
行政指導で表示義務を課してほしいと思うところで
ある。
食事を作るのも大変だろうが、商売は難しい。
八方美人では、客を失う羽目になるだろう。
分かりやすいシンプルさが一番である。
スポーツ科学の限界性という大きな論点がある。
そもそも、スポーツは文科省管轄になっているが、
本来は医療分野であって、学問的には教育学関連も
あるが、心身の発育発達、身体活動の研究、健康維
持促進の研究など、医学に属する部分が多い。
したがって、スポーツ科学の限界は、文科省に所属
することからくる予算の限界と、医学の限界でもあると
いえる。
医学の限界としては、唯物論の呪縛による限界と、
ドーピングに見られるような倫理的限界がある。
スポーツ科学によって、記録更新はどこまで可能な
のかというと、30年ぶりの新記録などということが当
たり前になってくるだろう。
しかし、開発の可能性は限界論の裏側に隠されて
いる。
一つは、念の力、ないし、スピリチュアルパワーの
開発による進化である。
唯物論科学のリミットを取り外して、心の世界を科学
するようになると、超能力スポーツの世界がもう少し
記録を伸ばすことが可能になるだろう。
もう一つは、介助ロボットの延長線上に見えてくる、
身体補強ロボットによるスポーツという新しい領域が、
障害者スポーツの発展から見えてくるところである。
それを今やれば、ドーピングの拡張論に該当してく
るだろうし、スポーツの本質に反するという批判にもさ
らされるだろう。
しかし、ルール化すれば済む話である。
スポーツはすでに純粋な身体能力の競技ではなく
なっている。
多くの専門家チームに支えられ、道具に支えられて
の競技だからである。
であるならば、超能力とロボット利用によるエスパー
スポーツというべき領域へ一歩踏み出してもよいかも
しれない。
そうなるべきか否かは、使い分け、棲み分けの問題
である。
スポーツもまた、大きな価値転換を迫られているの
ではないか。
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幸福実現党応援隊・中村梅士党